エピローグ
リュウキュウからモメンの種と引き換えで、密かに取り寄せたる
作物の苗は、サツマの国で大いにその力を振るった。
ウシはサツマイモにこの上なく適したシラス台地の事を、
教え子である若いサムライ達に伝える。
苗は城の中にある庭で試験栽培され、
夏の終わりに充分な数を確保してから領内の農民たちへ
分け与えられた。
天候と季節に恵まれたのか1月程で苗は身を肥やし、
豊かな収穫を容易に見込めた。
苗とともにもたらされた、地方役人・ギマが書き記した報告書から
栽培と保存の方法などを吸収し、戦時の糧食を開発する追い風を得る。
カンショを口にした人々は口々に、
「シマヅの殿様がくだされた、このイモはなんと美味なことだろう。
飢饉に強いこの作物は、私たちを飢えから救ってくださった。
痛んだカズラはシバ山羊にくれてやれば充分だし、棄てるところも無い。
何よりもう、毒のあるソテツの世話にならなくて済むのが1番有り難い」
と作物の到来を無邪気に喜んでいた。
殿様達とウシは、2月ほど前にカゴシマ城へ密かに訪れた
役人のギマから、
「どうか私たちの宝である、このカンショを、戦の道具にだけは
しないでいただきたい」と泣きながら懇願され、彼は苦笑しながら、
「戦によらない講和の結果を、どうか私に任せてください」
この時のために準備した言葉を容易に言えず、困っている。
相手は武士の頭領になったあのトクガワ家なのだ。
一行の中には叡弘達やバックナージュニアの姿は無く、
ギマの言葉にならない慟哭と涙は彼らの前であろうと長い時間続く。
……ギマの「戦嫌い」は筋金入りだった。
かつてヒデヨシの九州征伐で領地の大部分を削がれたシマヅ家にとって、
まるで残りかすのような本領安堵だったが、
このままトクガワと揉めると、取り潰しの恐れもあった。
やっと落ち着いたギマをなだめるように手ぬぐいを渡し、
彼は木綿の栽培方法の伝授と機織職人の派遣を彼らへ提案する。
肩を落とす彼に「カンショによるナイフ様との外交が失敗しても、
どうかサツマの国の温情は忘れないで欲しい」というのが精一杯だった。
ウシは記憶を呼び起こして思い出した。
この時代のトクガワ家は、
世界屈指の軍事国家、エド幕府の安定維持までもう少し……
そのための次の戦争を、彼は知っていた。
……大阪の役。大阪冬の陣と、夏の陣の事だ。
そのカウントダウンは、ここサツマの地でも既に始まっている。
だからこそ彼は、帝国軍人としての本来の立場を超えて
人材や領地の事について殿様達が上手く興味をそそるようにテコ入れをし、
南洲翁の私学校さながら、小規模であるものの明治期に起こった富国強兵
政策のモデルタイプを作り上げようとしていた。
カンショ導入も一環として取り上げ、彼は故郷の雄飛を目論んだのだ。
サツマの貧しさは土地柄だけではなく、
これからやってくるトクガワ家の財政搾取によるものも大きい。
飢饉の時に再び、領民が貧しさから命がけで毒のあるソテツを食らう
羽目になる事だけは、絶対に避けるべき命題だった。
非常食のソテツの実は解毒したデンプンを食糧とするが、
解毒処理が不足すると中毒を起こし、最悪死に至る一方で、
飢饉の少なかった近代でも調味料として使われる機会が多い。
サツマの地にも豊富に分布しており、度重なる飢饉や災害で、
多くの民を救ってきた実績をもつ作物ではあった。
近代の昭和恐慌時や戦後における、奄美諸島の祖国復帰時まで
南西諸島の島々でサツマイモと共に救貧食糧として食されていた。
しかし戦に強くても、食べ物がなければ、どんなに強い人間でも確実に
死んでしまう。……彼自身が体験したあの悲惨な島尻の洞窟での、
あまりにも苦い経験である。
彼の国とサツマの国の民が命をつなぐカンショを、彼は平和
交渉の材料にし、リュウキュウ征伐を戦争以外の方法でどうにか
回避出来ないか、キイレ村にいた時から、長い間模索し続けていた。
彼は自らの故郷にいる素朴で貧しい、無邪気に暮らす彼らを、
これ以上悲惨な目に遭わせたくなかった。
瀕死の彼を助けてくれ、今は遠くに感じるキイレ村の人々への、
彼なりの恩の返し方なのだった。
その日の早朝、ウシは去り際のギマから
「バックナージュニアと言うわが国の国賓から、殿様の近くに、
「ウシジマミツル」という方が居れば、渡して欲しいと渡されました。
どうぞお改めください」
丸められたB5サイズ程度の大きさになる、羊皮紙の書簡を受け取った。
中にはまだ世界共通語ではない、
流麗な筆記体の英文が短く簡潔にインクで記されている。
今ここで内容を理解して読める者は、……残念な事に彼ただ1人だった。
以下、英文の和訳を記す。
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第三十二軍司令官 牛島 滿 陸軍中将閣下へ
親愛なる牛島将軍。貴下に再び、敬意をこめて、
この一書を呈します。
日琉の前途ある若者の未来を、戦場で多く喪失せらるる事は、
甚だ意義のない事と私は信じます。
私は人格高潔な指揮官である貴下の努力によって、
琉球国への薩摩侵攻を即時撤回し、
どうか日琉講和交渉が流血の訪れない、
平和裡の内に進むことを切に願います。
サイモン・B・バックナージュニア
アメリカ合衆国陸軍中将 慶長九年 六月二十三日
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「……ギマ殿、バックナー将軍は琉球の地で、すこぶるご健勝で
あらせられるか。本当に急いで返事の書面をしたためる故、暫く
待っていてはくれまいか。
彼が私の存在を知れば、祖国と呼ぶこの国全体を戦禍で塗り潰す
真似は控えてくれるかも知れない。
それに無用な戦を避けるのは、兵法の初手であろう?のう?」
とギマ一行を城門の中へ急いで引き止める。
彼の目には涙が光っているが、声は明るく笑顔だった。
彼は瞳を潤ませて終始笑顔で、
ギマ達の応対の指図を近くにいた小姓達に出していく。
結局のところ、ギマ達は城門で4時間ほど待たされる。
彼は殿様たちに手紙の内容を大まかに説明し、
慎重に手紙を書いている頃、退屈凌ぎにギマの連れの1人が三線を
弾き始め、1人は曲に合わせて外国の歌を歌った。
内密に来たという事を皆忘れて、一行は異国情緒を醸し出す。
カゴシマ城でのギマ達の役割はほぼ終わっていたので、
見咎める者もおらず、のんびりと音色を愉しむ。
他にも小姓達の手で、使者たちへ当主にあたるタダツネからも
彼らに舶来のボウロが振舞われる。
丸い円盤状の形をしたカステイラの種類の1つであり
砂糖の甘さは控えめで、使者たちも喜ぶ。
ギマの方を見ると、渡されたボウロを小さな紙に書きつけてから、
味を確認するように食べている。優しい甘味はそのまま、
ギマ達に対するサツマの心根をそっと現した菓子のようだ。
やがて彼1人がギマの前に現れ、和紙に書きつけた将軍への書状を
託した頃には、早い夕方がカゴシマ城に訪れる。
蒼穹の広がるカゴシマ城へ風雲急を告げたリュウキュウの一行は、
まるで一陣の風のように速やかに立ち去って行った。
【次のお話は……】
閑話。
カッチン間切へ向かうバックナージュニアが出会った、
無邪気な親友 (マブダチ)が登場。
【「旅の場所」鹿児島県 鹿児島市 鹿児島城跡】
エピローグ 「ソテツ地獄」からの脱却 了
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