第33話
ウシはカゴシマ城ですっかり客分に収まっていた。
主に大殿様の娯楽担当で、短歌や俳句以外にも得意な趣味を
発見されると、城の者は皆、喜んで彼を受け入れてくれる。
俳句や短歌はもちろん、示現流の剣、囲碁を使った模擬戦の演習、
西洋馬術……
彼らに一番喜ばれたのは意外にも西洋馬術だった。
大殿様から拝領された、とても大人しい黒毛の牡馬に、
『クロ』と名付け、彼らが今まで見慣れない歩様を早速仕込む。
金メダリストのバロン西のようには派手な曲芸こそできないものの、
人馬ともに和装ながらも騎馬の珍しい扱い方は、見る者たちの興味
を引いた。
◇
最初に流れ着いたキイレ村にこそ向かうことは無かったが
ある日大殿様から誘われた遠駆けによって、
寺の住職たちと再会が叶い、タケには泣かれた。
「ウシ先生がいないと、書き取りばっかりでつまんないよ。
もう、ここには戻ってきてくれないの?」とすがって凄まれる。
大殿様の御前での狼藉に、青ざめた住職にこれ!と怒られるタケへ、
彼は優しく諭す。
「私はカゴシマ城にずっといるつもりだ。タケがもう少しだけ、
大きくなって殿様に仕えられるようになったら城へおいで。
私が直に仕込んであげよう……
それに与えられるもので満足しないで、
やり方は教えたはずだから今度はタケたちが先生なんだよ?」
タケは怒りをようやく収め、平常を取り戻すと
小さく「……わかった」とだけ言って寂しそうに立ち去っていく。
少年を見送った彼は住職と大殿様に向き直り、畏まって頼み込む。
「寺で優秀なサムライの若者を、一年に2人まで、3年間ずつ
城で私に世話をさせてください。彼らは城で沢山の事を吸収し、
やがて郷土薩摩の宝に変わるはずです。
大殿様、住職様、大変不躾なお願いですが、お願いできます
でしょうか?」
薩摩の国では古くから「二才教育」という名の英才教育が
若いサムライを中心にして行われている。
大抵のサムライ達は身分別や地域別に固まって教育を行う。
集まった彼らは素朴な疑問を徹底的に論証し、納得した解答を導き
出す時間を持つことで柔軟な理詰めの頭脳を育んだ。
しかし一方では、女性一般を忌避する男性社会特有の潔癖さを持ちつつある。
寺での彼が行った授業に近所の若いサムライ達が評判を聞きつけて、
興味を持って集まって来たのは、そういう背景も大きい。
勿論、彼らの末裔に当たるウシも、幼い頃に施されたであろう
二才教育から少なからず影響を受けてはいる。
住職から授業の評判を知った大殿様に願いは快く聞き届けられ、
今回は相談の結果、元服したばかりでゴウシの若者2人を
召し上げることが決まる。
まだ10歳に満たない子どものタケやゲンを親と引き離して
城へ連れるのは、彼らの成長を阻害すると考え、ウシの気が引けたのだ。
体が出来上がりつつある若者のほうが厳しい教練に耐えうるだろうと
経験上、見越しての人選だった。
大殿様は
「城に籠ると窒息しそうで、野駆けが日課だった若い頃を思い出すの。
サムライの役目を超えた付き合いは、若い者たちの宝になるとええのう」
大殿様もなにやら城の若いサムライたちも混ぜてくれと笑顔でやんわり
要望を述べる。
寺の住職や子ども達との別れを惜しみながら、彼らは城へ戻って行く。
【次のお話は……】
カゴシマ城で、人材育成の準備を始めたウシ。
本来の「学習指導要領」は、結構古い歴史が(戦前から)あるもの
だそうです。……本作用に、カスタムメイド?しました。
【「旅の場所」鹿児島県 鹿児島市 喜入地域】
第33話 健全な精神は健全な肉体に宿って欲しい 了
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【近代馬術と去勢処置】
作中は戦国の終わり頃なので、
イカツイ未去勢馬を御して馴らすのも
武将たちの甲斐性部分に。
去勢する旧い民俗史みたいなものは見かけないので
日本での習慣としては
積極的、身近なものではなかったかもしれません。
時代が降って
義和団事件の時、ちょっと恥ずかしい思いをしたあと……
近代軍隊に必要な馬匹管理を通して
種牡馬を除く軍馬に供する牡馬は去勢されることに。
現代でも家畜動物に対しての去勢は気性の軟化を目指した処置で
特に馬産に関しては
自動車産業の成熟まで近代軍隊の屋台骨を支えてもいました。
(ウシの乗用馬、夏川号が悍馬だったらしいとされますがグレー。
個体差で去勢しても気性が変わらなかったのかしら?と思っています)
たくさんの作品の中から、本作を読んでいただけて嬉しいです。
ありがとうございます。




