第31話
ウシの目の前にあるご馳走は、何とシマヅの大殿様と
同じメニューだった。
小さく切られたタレ付きの厚焼き卵、混じり気の無い銀メシ、
香の物にたくあんが少し、野菜たっぷりの薩摩汁が素朴な漆器に盛られ、
美味しそうに湯気を放っている。
毒味役を置くことを良しとしなかったシマヅ家の、豪気な昼ごはんが現れた。
薩摩焼が磁器として有名になるのは今の時代からずいぶん後に
なってからになる。
「お客人には悪いが、隠居するようになってから
食べ物はだいぶ控えめにしておる。
随分若い頃はひえもんとりやに仲間たちと
野駆けに行った時にえのころ飯を、一緒に作って食べたりしたがの、
……おかわりも好きなだけあるから、食べて行きなさい」
大殿様は静かに笑いながら優しく言う。
お代わりの盛り付け役である側仕えの小姓も笑顔で会釈してくれた。
彼は「ひえもんとり」の言葉に少し反応を示したが、
目の前のご馳走を逃す手は無かったので、
「では、ご馳走に預かります」とだけ言い、
流れるような手つきでご馳走に手をつけ始めた。
卵焼きはわずかな甘いタレが卵の甘さをさらに際立たせ、
壕内で稀に配給されたあのゴルフボールサイズ程度のおにぎりでは無い、
久しぶりの器いっぱいに入った混じり気のない銀シャリは、
寺で食べた雑穀よりも甘みが強く感じられる。
たくあんを定期的に食べたくなった程だ。
それから薩摩汁の野菜と味噌汁の味はまるで実家に帰ってきたような、
記憶の中にあった味付けがまるで再現されたかのような気分にさせられる。
彼にとってそのまま「お袋の味」なのだった。
泣きそうになりながらも、いくつかおかわりをし、
特に話はしなかったが、2人が食べ終わる頃には、1時間と少し、
時間が過ぎている。
持っていたハンケチで口を拭き、
「シマヅの大殿様は腕の良い料理人を抱えていらっしゃる。
羨ましい限りです。ご馳走さまでした」と
笑顔で言うと、大殿様は待ってましたと言わんばかりに目を輝かせて、
こちらを見ている。
手早く食膳は片付けられ、小姓たちが文箱と硯と筆立ての準備をし
こちらへ運び込む。……いずれも洗練された調度品ばかりだ。
小姓の手から先日寺の住職が送ったいくつか短歌の紙片が大殿様に渡され、
大殿様は楽しそうな表情で何やら探している。
もう1人の小姓は横で墨の支度をしており、
ご隠居とはいえ殿様稼業の優雅な一部分が彼の目の前に広がっていた。
「ワシが特に気になった短歌はこれじゃ。
短い文章の中で、余りにも領土を守る辛さが漂いおる。
あのセキガハラの大戦で命からがら逃げ帰ってきた弟たちからは、
ここまで感じる事は無かったぞ。いったい、何があったんじゃ?
同じサムライとして、話してみてくれないか?」
大殿様は嬉々としてウシの字で俳句が記された紙片を差し出して尋ねる。
どうやら戦上手のシマヅ家の者は、こういうの事の機微に聡いのか、
短い短歌からでも戦の匂いを嗅ぎとることができたようだ。
「この句は私が沖縄……「ここ」で言うところの琉球で、
私達は外国から琉球を含めた祖国を守るために闘いました。
祖国から遠く離れた琉球の空と海を奪われた我が軍は、3か月間
狭い島に閉じ込められ、敵軍の大量にある兵站に屈しながらも、
せめて1日でも長く本土決戦を遅らせるために、苦渋の決断を持って
多くの住民の残るままの彼の地を……祖国の捨て石にしました。
結果、沢山の友軍を喪いながら戦況はさらに悪化し、南端にある
島尻の洞窟で私が割腹自決を選んだ時の気持ちを書き留めた句です。
……ですが何故か今は生きて先祖の故郷である薩摩国に流れ着き、
畏れ多くもシマヅの大殿様に御目通りが叶い、こうして辞世の句を
楽しく詠み合わせできる日が来るだなんて驚きでした」
彼はあくまで冷静に述べて行く。
返答に満足したようにうなづき、穏やかな声で「説明、大儀である」
大殿様は言葉を繋げる。
ふと顔を見ると、泣きそうな笑顔でこちらを見ている。
どうやら説明を聞いて感動しているらしい。
「……ウシよ。島ぐるみの籠城戦か。空も海もとはワシには
想像がつかないが、
とにかく3月も地獄のような修羅をくぐり抜けてきたんだの。
それなのにお主は生まれた国だけではなく、多くの兵子と民草をも
救おうとしたんじゃ。良か。良か兵子じゃ。
この歌は、避けられぬ死合に向かうお主の心意気をワシに見せて
くれたのか。そうか。難儀じゃったの。説明、誠に大儀であった。
……どうか涙を拭いてくれの」
目配せを受けた小姓が、ウシの方へ手拭いを差し出す。
彼は「かたじけない」とうやうやしく手ぬぐいを受け取り、涙を拭う。
実はあの島の闘いの辛さだけを思い出して泣いている訳ではなかった。
幼少の頃からずっと憧れていた豪傑に目の前で認めてもらえたのだ。
泣かない男などいない。誇らしい気持ちになって、嬉しかったのだ。
これまでどうしても埋められなかった彼の心の隙間が満たされていく。
「ところで、ワシの辞世の句は、面白い短歌にしてみたいんじゃが。
サツマヘゴは戦でいつ死んでも良いように準備は怠らないと言う
のが誇りなんじゃ。どういった感じにしてみようか、ウシのお陰で
楽しみが増えたぞ。うーん……ウシも一緒に考えてくれまいか?」
彼は笑顔で「よろしくお願いします」と気持ちの良い返事をする。
その日の遅い夕方まで、シマヅの大殿様と彼は楽しい短歌の談義に
花を咲かせた。
カゴシマ城はのどかな夕焼けへ呑み込まれていく。
昨日と同じの、穏やかな夕焼けだった。
【次のお話は……】
次回は視点を変えた番外編になりまっす☆
【「旅の場所」鹿児島県 鹿児島市 鹿児島城跡】
第31話 最近流行りの「圧迫面接」 了
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【狂言回しなウシ】
主人公ではないけれど、物語の進行を引っ張ってもらっています。
距離と時間を超えて、多くの人々が物語の中を歩いて行きます。
たくさんの作品の中から、本作を読んでいただけて嬉しいです。
ありがとうございます。




