第29話
ウシは流れ着いたキイレ村の長老の勧めで、
寺の住職に住む許しを得た。
新しい住まいは、素朴ながらも畳のある六畳間で、
あの後一週間高熱に倒れた。
どうやら感情の制御が体の負担に大きく関わっているらしい。
小坊主や住職に看病されながら、
彼は感情を無闇に動かさない様にと告げられる。
実際の沖縄戦でのPTSD患者は勝った側の米軍の間でも多く報告された。
戦後、悩まされる兵士は多かったとされる一方で、
さらに後の時代の戦争となったベトナム戦争に至るまで、病気疾患として
一般社会に認知される様になるまでに、長い時間が必要とされた。
敗者となった多くの日本兵側や住民側のトラウマ症状はきっと、
記録に留められていないが更に酷い物になったかもしれない。
彼が調子を取り戻し良くなる頃には、1月の時間が必要になる。
やがて住職と交代で子ども達の授業を執り行うまでに回復すると、
最初こそ子ども達の刺さるような視線に辟易したが、
回数を重ねるうちに慣れ、無邪気な彼らと関わることで、
元々教育者としての英気を養えるまでになって行く。
サムライの子たちには素振りの練習や、囲碁の駒を使った簡単な
陣取り合戦の練習、自分より弱い立場の者を守る道徳教育を簡易
に施し始めた。
この頃には子ども達から評判を聞きつけた、近所に暮らす
若いサムライ達が集まってくる。
寺に通う子どもたちに人気のある授業だった「関ヶ原の合戦」の
模擬戦は、「新しく来た生徒たち」にとっても特に身近な大戦だったので、
年齢や身分を問わず夢中になった。
授業の中には寺の小坊主たちも居る。
ウシ曰く、
「……戦地の地形は天候や陣形と共に勝敗の大きな要因となるが、
大きな組織が一枚岩でなくては勝ち戦も勝てなくなる。
味方の戦友に裏切られない様にするためにはどうすれば良いか、
みんなで考えてみよう」と
陣取り合戦にありがちな質問だったが、生き生きと問いに答える
幼い子ども達は、彼のかつて育てた若い士官たちを思い出させる。
中には彼自身が考えつかない様な回答もあり、
子ども達の思考のしなやかさに驚かされた。
生徒や子ども達の年齢に応じた学習の覚書を書き綴る彼の姿に、
子ども達が嬉しそうに目を見張っている。
住職とはすっかり短歌を詠む仲になっていた。
試しに俳句を一度見せてみたが彼は俳句をまだ知らないらしく、
首を傾げながら
「短い方も面白そうじゃが、わしは短歌の方が好みなんじゃ」と
すまなさそうに返す。彼が元気になる頃には、
すっかり漢詩を詠むことまで、苦労しなくなっていた。
「これだけ短歌ができるなら、シマヅのお殿様にお目をかけて
もらえるかもしれないの。ウシは普段気持ちのいい性格じゃから、
気にいられるかもしれぬ。
天下を取ったあのオダのウフ様や、タイコウ殿下のお側用人になった
殿様たちのお陰で、殿様方も皆教養ができる様になっておるからの……
ワシが紹介状を書いて進ぜようか?」とまで言ってくれた。
彼は「シマヅのお殿様の在わす、カゴシマ城はどこにあるのですか?
ここから遠いのでしょうか?」と不安そうに尋ねる。
彼の頭には全国の主要な基地や軍港、飛行場の場所は叩き込まれては
いたが、旧所名跡になると記憶が未だにぼやけてしまうようだ。
それを見た住職は見兼ねた様に返事をする。
「そんなに心配しないでくれの。
カゴシマ城はこの寺から街道沿いに歩いて北に2日、
馬ならその日で簡単に着くのじゃよ」
安心させたいのか、彼の肩を柔らかく笑いながら
ポンポンと軽く叩く。
住職の答えに安心した彼は、住職の助言に感謝を述べた。
「シマヅの殿様へ紹介状の件、よろしくお願い致します。
私が行っただけでは、取次ができない様ですね。
住職様のお墨付きを持って、御城に向かいたいと思います」
翌日、住職は寺の小坊主達のうち、年嵩の2人にカゴシマ城への使いを頼む。
3日後の夜に小坊主たちは返事の書状を持って城から戻ってきた。
小坊主が笑顔で明るい声で言った。
「シマヅの大殿様が、紹介状と一緒に書き添えられた
短歌の中の1つが珍しく、特に面白かったと仰せでした。
西の京スオウからも遠くなってしまったこの片田舎で、
趣のある文人との顔合わせは大変珍しい。
寂しい隠居の身に楽しみが増えてとても嬉しいので、
近いうちに是非とも城へ立ち寄って欲しい、とのことでした」
十分な収穫を伝えられた住職は、「ほほほ」と
静かだが得意そうに笑う。彼もつられて、嬉しそうに微笑む。
「住職さま、本当にありがとうございました。
私は明日から御城に向かう支度をします。
私の願いを聞き届けてくれる殿様かどうか会って見ますね。
申し訳ないですが、城に向かう案内と馬の用意をお願いしても
よろしいでしょうか?」と彼は努めて明るい表情で願い出た。
住職は
「タケの親父さんに明日聞いてみようかの。
彼の家は牧役で多く馬を育てておるから、馬に困らない。
タケを毎朝、寺へ送りに来るから簡単に尋ねられるだろうし。
条件が合えば城の案内も頼んでみようかの」と
返事をし、小坊主たちに労いの言葉とご褒美の金平糖の包みを渡した。
この国へやってきた新しい菓子・金平糖は、広く受け入れられている様だ。
笑顔で受け取った小坊主たちの1人は金平糖を懐に納め、
もう1人はその場で食べていた。
和菓子特有の優しい甘味ではなく、砂糖の強い甘味が
彼らの疲れを癒した様だった。
◇
翌日、住職は寺にやってきたタケの父親、タカに馬と案内の件を依頼する。
最近身体の大きくなってきたタケが1人で馬に乗れる様になっていて、
移動の騎馬には困らなかった。
彼は城に向かう事を2つ返事で了承してくれたが、
「ウシ先生、つぎ当てだらけの服で城へ向かうと門番に追い出されるから、
何かよそ行きの服を着てくださいな」
ウシはタカに促され、乗馬に向いたあの服を着ることにした。
……帝国陸軍の礼装だ。
……引き裂かれていた腹の部分にあたる所はキイレ村の老婆によって
丁寧に繕われ、痕が目立たなかった。
服に合わせて今まで洗うだけで無精にしていた口髭も整える。
城に着ていく服としては「南蛮人の服に似てますが、よろしいでしょう」
と住職とタケの父親から承諾が返って来た。
漂着した時に帽子と長靴を喪くしてしまったが、
代わりに戦袴の上からゲートル風に布を巻き上げ、
草鞋を履いて騎馬の支度を整えた。
慣らし乗馬をタケの父親と少しした後、
「こちらの乗馬は私の習った方法と違いますね。勉強になります」と
言って寺の庭で馬を、颯爽と乗りこなす姿は帝国陸軍の軍人そのものだ。
馬はタケの乗っていた青毛の中型馬でかなり大人しい。
しばらくすると、彼を乗せたまま貨物用のキャンターを取り、
庭で周回を始める。
「先生がこんなに乗馬ができるなんて知らなんだ。
その服も乗り回しに向いてるみたいで本当によかった。
今度ウチに来てくださいよ。自慢の馬たちを見せてやりたいです」と
彼は嬉しそうに話してくれる。
それから彼らは箒で寺の庭中に付いた馬の足跡を均し、
住職にお礼と出発の挨拶をしてカゴシマ城へ向かう。
早い昼の出発であった。
すでに彼の懐には、住職のお墨付きが収められている。
【次のお話は……】
閑話。
有名な異世界小説のタイトルではありませんよ。
【「旅の場所」鹿児島県 鹿児島市 喜入地域】
第29話 「さよなら」の向こう側に 了
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