96 イクス目線
ドグラス子爵邸から出ようと思った矢先、裏の道から入ってきた馬車。
その馬車から降りてきた人物を見て、俺は驚いた。
「アイツは……!!」
闇市場にいた、クソヤロー!!!
帰り際にリディア様の髪を触った男だ!!間違いない!!
アイツがここに来たという事は、やっぱり今日ここで万薬の取引が……。
クソ男に集中していて、周りへの警戒を怠っていた。
微かな足音に気づいた時には、黒髪の見知らぬ男が近寄ってきていたのだ。
慌てて木の上から飛び降りて、剣に手をかける。
向かい合った男は特に構える様子もなく、半笑いの顔でこちらを見ていた。
「おぉ〜。相変わらず怖いねぇ。
その目はやめてよ騎士くん!」
ヘラヘラした顔に軽い口調、赤い瞳には見覚えがある。
「…………あ?お前……クソ兎か?」
「うわーー。その呼び方ひどいなぁ」
「お前っ……!!何でここに!?」
何故ドグラス子爵邸にコイツがいるんだ!?
まさか、窃盗団の仲間なのか!?
そんな疑いを持ったが、次のクソ兎の言葉に頭が真っ白になった。
「キミがまだここにいるという事は、誘拐されたリディに気づいていなかったんだね?」
…………は?
なんて言った、今……?
誘拐された……?誰が?
誘拐されたリディだと!?
「……なんだと?誰が……誘拐されただって?」
身体中から血の気がなくなっていくのがわかる。
怒りなのか焦りなのかわからない感情が、ぐるぐる渦巻いていた。
目の前に立っている男は、少し呆れたような顔をして俺を見ている。
「リディさ!!巫女が神殿から誘拐されたのさ!!
今頃神殿は大パニックになってるはずだよ」
「なんだって……!?」
リディア様!!
足が勝手に走り出した瞬間、クソ兎に服の背中部分をガシッと掴まれた。
衝動で、後ろに倒れかける。
「ちょっと!!落ち着いて!!」
「これが落ち着いていられるか!!離せ!!」
「リディはここにいるんだってば!!」
掴んでいる手を振りほどこうとバタバタしていた動きを、ピタリと止めた。
背後にいるクソ兎に視線を向ける。
「は!?」
「少し前に、男3人組が来ただろう?
そいつらが、リディとサラとかいう侍女を連れてきたんだけど……キミ、見てないの?」
「…………」
3人組の男?侍女?
それって、さっき荷馬車で来た奴らのことか?
あの侍女っぽい女が、サラ様だと!?
なら、あの大男が抱えていた黒い布を被せられた女性が……リディア様!?
気絶していたのか、拘束されていたのか、身動きせずに運ばれていた姿が思い出される。
「…………殺るか」
「だからちょっと落ち着けってば!!
あの屋敷に何人いると思ってるのさ!」
クソ兎は歩き出そうとする俺の前に飛び出し、止めようとしてくる。
コイツを殴って一瞬で気絶させて、すぐにリディア様を助けに……
「ちょ、ちょ、ちょっと!!
なんか怖いこと考えてるでしょ!?やめてよね!?
……はぁ。リディは無事だから安心しなよ。
怪我もしていないし、ただ捕まっているだけで酷い扱いはされていないよ!」
「……何でそんな事がわかる?」
「え?だって、さっき会ってきたからさ!」
クソ兎は曇りのない笑顔でケロッと答えた。
会ってきた……だと!?
ガシッ!!
「うぇっ!?」
俺は片手でクソ兎の首を掴んだ。
「なーーんーーでーー……その時に助けて来なかったんだ?あぁ!?」
「ぐるじい!!首!!じまっでるがら!!」
クソ兎が俺の手をベシベシ叩いてくるので、離してやった。
「もーー!!ほんと!!
騎士くん、少しは話を聞いてくれるかな!?ゲホッ」
クソ兎は首をスリスリしながら文句を言ってきた。
めずらしくヘラヘラ笑顔ではなく、少し怒った顔をしている。
「何だよ話って」
「……ふーー。……さっき、闇市場にいた痩せた男が来たのは見たかい?」
「!!」
「見たようだね。彼がこの誘拐の首謀者さ」
「アイツが……」
「あの男はマーデルと言って、闇市場に行った日からリディのことを狙っていたのさ。
僕はずっと彼をマークしていたから、今回の事も事前に知ることが出来たんだ」
闇市場に行った日、マーデルという男はずっとリディア様のことを嫌な目で見ていた。
帰り際には髪まで触っていたくらいだ。
狙っている……とは感じたが、まさか誘拐までしてくるとは思ってもいなかった。
「あの男……!!」
「この誘拐を事前に止める事もできたが、それでは今回だけの回避に過ぎない。
マーデルを捕まえない限り、リディに本当の安全はこない。
その彼を確実に捕まえるためには、実際に巫女の誘拐をしてもらうしかなかったのさ」
クソ兎の赤い瞳に、少し怒りの色が見えた気がした。
真面目な顔で話してる姿を見ると、コイツなりにリディア様のことを真剣に考えている事が伝わってくる。
「なるほどな。
それで、リディア様の兄……カイザ様達にこの場所の事はもう伝えてあるのか?」
「いや。まだだけど」
「………………」
「………………」
真面目な顔でキッパリ言い切ったコイツの顔を、殴り飛ばしたい衝動に襲われた。
何かを察したのか、クソ兎が俺から少し離れた。
すかさずに言い訳をしてくる。
「あのね!顔見知りでもないのに、そんな情報を侯爵家の奴らに話せるわけないだろ!?
信じてもらえる前に、こっちが疑われて捕まるだけさ。
だから、騎士くんを探していたんだよ!」
「…………」
「だけどキミが神殿にいなかったから、伝えられなかったのさ!」
「なら今からカイザ様に……。
だが、その間にもしもリディア様の身に何か起きたら……」
すぐにカイザ様の元へ行き、王宮騎士団諸共この場所に連れて来るべきだ。
完全に屋敷を包囲してから助け出すのが定石。
だが、今この間もリディア様が捕まっているのだと思うと、なかなか動くことができない。
ここを離れても本当に平気なのか!?
もしその間に何か取り返しのつかない事でも起きたらどうするんだ!?
グルグルと頭の中で考え込んでいると、ふいに頭部に強烈な痛みが走った。
ドスッ!!
「ぐっ!?」
目の前がチカチカするほどの一瞬の衝撃。
ジンジンする痛みに頭を抱え、その場に踞る。
どうやらクソ兎が俺の頭部に手刀を繰り出してきたらしい。
クソ兎は右手をさすりながら、俺を見下ろしている。
「いったぁーー。石頭だなぁ。……ほら!!考えてる時間はないよ!!
早く他の騎士たちを連れて来てよ!」
痛みで声が出せず、涙目でギロッと睨む。
クソ兎はいつものヘラヘラ笑顔に戻っていて、俺の威嚇にも動じず話を続けた。
「リディの事は僕が見張ってるからさ!
大丈夫だよ!鍵のついた牢の中に入っているし、誰も彼女に触れる事はできないから。
牢の中にいる限り、彼女は安全さ!」
「……わかった」
クソ兎にこの場を任せるのは気に食わないが、そこは妥協するしかないだろう。
そうと決まれば、1分でも1秒でも早くカイザ様の元へ!!
侵入に気づかれないよう、馬を少し遠くに置いてきてしまった。
まずは馬のいる場所まで行かなければ。
俺はクソ兎を振り返ることもなく、全力で走り出した。




