70 過保護がすぎる兄達
闇市場に行った日から1週間が過ぎた。
イクスはドグラス子爵や窃盗団についての調査を開始したようだが、まだ私には何の情報も入ってこない。
何も情報がないのか、報告されてないだけなのか。
……暇だわ。
やらなければいけない事はたくさんある気がするのに、何もやる事がないなんて……。はぁ。
何もやる事のない今、私はメイに促されて慣れない刺繍の練習をしていた。
どうやら貴族令嬢には必須技術らしいのだが、ハンドメイドなどやった事もない私は10分で飽きてしまった。
刺繍途中のハンカチをポイっと投げて、そのままソファにダイブした。
もーーやだ!!
こんなの何時間もやってられるほど、女子力高くないわーー!!
無駄に力が入っちゃうから指痛いし!
刺繍するくらいなら、勉強の方がマシ!!
ソファに横になりながら、部屋の隅っこに置いてある本棚に目をやった。
たくさんの本があるが、リディアが読んだ形跡など全くない。
……本当に勉強とかやってみようかしら。
実は結構前から考えていたのよね。
この世界の事……この国や貴族の事について、ちゃんと学んだ方がいいって。
でもこの年でまた勉強となると、どうしても嫌で後回しにしてきてしまった。
ドグラス子爵の件もあるし、もう覚悟を決めてしっかり学ぶべきなのだろう。
……刺繍するより勉強する方がいいわ。
今日の晩御飯の時、エリックにお願いしてみよう。
いつからか、エリックと私の食事にカイザも加わるようになっていた。
エリックは少し不満そうだったが、言っても言う事を聞かないとわかっているからか何も文句は言わなかった。
「あの、エリックお兄様。
お願いがあるのですが……」
食事をほぼ食べ終えて、デザートが運ばれた頃に話を切り出した。
エリックはデザートを食べないため、コーヒーを口に運んでいた。
「お願い?なんだ、言ってみろ」
相変わらずの無表情だ。
エリックに対しては、機嫌を伺う必要がない。
機嫌がいいのか悪いのか、全くわからないからだ。
カイザはまだ食事が終わっておらず、肉を頬張りながら私を見てきた。
「家庭教師をつけて欲しいのです」
「家庭教師?」
「この国の歴史や貴族の歴史について学びたいのです」
私の言葉を聞いて、カイザは持っているフォークを落としそうになっていた。
間抜け顔が、驚きでいっぱいという心を全て表現している。
「お前が……勉強するっていうのか?」
想像通り、カイザは失礼な言葉を投げかけてきた。
以前のリディアを知っているのであれば、このカイザの反応が普通なのだろう。
それでもムカつくものはムカつく!!
なんとなく、カイザにだけは言われたくないし!!
カイザを無視してエリックに向き直った。
綺麗な薄いグリーンの瞳が少し大きく開いているので、エリックもエリックなりに驚いてはいるようだ。
よく見ると、周りにいるメイド達もみんな同じような顔をしていた。
信じられないといった表情だ。
……みんなちょっと失礼すぎない?
最近の私は、昔のリディアよりは立派に過ごしていると思うけど!?
普段の私を見てるイクスは、もちろん驚いたりしてないわよね?
くるっとイクスの方を振り向いて見る。
イクスは子どもから初めて「パパ」と呼ばれた父親のような、何とも言えない感動した表情で私を見つめていた。
お前もかよ!!
なんでただ「勉強したい」と言っただけで、こんな雰囲気になっちゃうわけ!?
「勉強したいというのは、いい事だな。うん。
いい事……だよな?うん」
エリックが口元を手でおさえながら、なにやらボソボソ言っている。
リディアの口から出た事で、『勉強したい』という言葉の意味を一瞬理解できなくなったらしい。
んなアホな!!
キレるぞ!!せっかくいい子の私だって、こんな扱いされたらグレちゃうぞ!?
ふーー……ふーー……落ち着け。
ここで暴れたら、またリディアのイメージが悪くなるだけよ!
あくまでも可愛く!!
今のリディアは可愛くていい子なんだから!!
「……ダメですか?」
ちょっと首を傾げて可愛いらしくお願いしてみる。
メイド達からは「まぁ……なんて愛らしい」という声が聞こえてきた。
そうでしょう!そうでしょう!
こんな可愛い妹からお願いされたら、即座に優秀な家庭教師を派遣してくれる事でしょう!
自信満々な気持ちをうまく隠し、エリックを見つめていたのだが……何故かエリックとカイザは、笑顔になるどころか真顔になった。
とても真剣な顔で私を見つめている。
……え?なに?
「……家庭教師って、女は呼べないのか?」
「無理だな。侯爵家以上の貴族の家には男性の家庭教師しか呼べない事になっている」
「チッ!誰だよそんなふざけた規則を作ったやつは!」
私から目を離してくれたと思ったら、今度は2人でブツブツ話し合いを始めてるし……なんなの。
カイザはなにやら怒ってるみたいだし。
「家庭教師っていったら、部屋で2人きりになるんだろ!?
そんなの危険じゃねぇか!」
「わかっている!だが、実際に女性の家庭教師を呼ぶのは無理だ。
罰則がある以上、相手だって引き受けないだろう」
「じゃあどうすんだよ!」
「うるさいな。文句ばかり言っていないで、少しはお前も頭を使って考えたらどうだ」
「そういうのはお前の仕事だろ!」
「……だったら口出しせずに黙っていろ」
しーーーーーーーーん。
えーーーーと、なんっでここで喧嘩が勃発するわけ!?
カイザってばギリギリしながらエリックの事睨んでるし!!
そしてエリックはそれを無視してるし!!
なんなのこの空気……。
私はただ、家庭教師つけて欲しいってお願いしただけなのに。
そもそも、何で男の家庭教師だとダメなのよ?
「あ、あの。私、男性の家庭教師でも構いませんけど……?」
「ダメだ!!!!」
……何故か冷たい表情のエリックと不機嫌な表情のカイザから、同時に即断されてしまった。
気のせいだろうか。
後ろに立っているイクスの方からも「ダメです」という声が聞こえた気がしたんだけど。
エリックからは保留という返事でこの話は終わった。




