◆040覚醒
※本日2話目です。
ルルは、がくがくと震える自分の身体を押さえながら、必死でゆずき様のお腹を押さえていました。爪の数だけ穿たれた穴からは鮮血が止めどなく溢れてきます。
「ルル、ちゃ……逃げん、さい」
力なく、呟くようなゆずき様の言葉にしかし、ルルは何も言い返せません。ただ、泣くのを必死で我慢して、少しでもゆずき様のためになるように傷口を押さえているしかできないのです。
あまね様は、きっと助かりません。それどころか、もしかしたら、もう――
脳裏に焼き付いたのは、ルルを守るためにずたずたに引き裂かれたあまね様の姿。
あのモンスターが転移してきたことに気付けたのに、怖くて動けなくなっちゃったせいです。役立たずで、何の恩返しもできないルルを助けるために、あまね様は怪我をしました。
兄が死んでしまった時よりも、弟が殺されてしまった時よりも、もっとずっと酷い怪我でした。
同じくらい酷い様子のクリス様があまね様を連れてどこかへと《転移》しました。
ルルにはもう、お二人にしてあげられることはありません。
でも、だから。
ルルは、ルルのできることをするのです。
あの日、ルルを救ってくれたあまね様の奴隷として、恥ずかしくないように。
天国であったら、よく頑張ったって、頭を撫でてもらえるように。
「る……ルちゃ……」
ゆずき様の身体から力が抜けていきます。まだ魔力はあるようですが、きっともう、どうにもなりません。
「三条!」
「御当主! ここは私にお任せください!」
「しかし――クソォッ! 死ぬなよ!」
「おおーい、俺の相手は爺さん一人かよぉ。まぁいい、やっちまいなぁ」
手下を操る巨大なディープワンを三条さんがせき止めている間に土御門さんがルルたちの方へと来ます。クリス様が転移直前、溢れるような魔力を吸収したのか、ディープワンたちは最初よりも強くなっているようでした。
「まだ息はあるな!? ちくしょう、だからガキを連れてくるのは反対だったんだ!!!」
憎しみと怒りに満ちた表情でゆずき様を睨みつけると、その傷口に細長い紙をばら撒き始めました。何枚も、何十枚も。
それから何かをブツブツと呟きながら、胸の前で指を動かします。
弾けるように紙が燃え、代わりに魔力が煌めきました。
魔力の布。
そうとしか言いようのないものが、何重にもゆずき様を包み、ゆずき様の身体から抜け出ようとする魔力を、血液を、魂を押さえようとしてくれるのが分かります。
「応急処置だ、絶対に傷口を離すな! 少しでも出血を抑えろ!」
土御門さんはそう告げると、再びディープワンとの戦いに戻ろうと踵を返しました。
ですが、すでに決着はついていました。
三条さんが右腕を切り飛ばされ、膝をついていたのです。他にも怪我をたくさんしているのでしょう、洋服は血で赤黒に染まっていて、もう戦えるようにはみえません。
「ま、これで終わりってやつだぁな」
ディープワンが蛙顔を歪ませ、にやりと笑います。手下はわたしたちを取り囲むようにばらけていて、もう逃げる隙間もありません。
怖くて、カチカチと歯が鳴ります。
でも、ルルは決めたんです。
変わるって。そう、決めたんです。
ルルはゆずき様に覆いかぶさるようにして傷口を抑えました。
「酷ぇことするもんだぜ。こいつらはまだ、赤ん坊みたいなもんだってのにいきなり襲いやがってよぅ」
いあいあ、いあいあ、いあいあ、いあいあ。
周囲を取り囲むようにバラけるディープワンたちが、低くくぐもった声で何かを言っています。聞くだけで心を搔き毟られるような、怖い声。
「そうだなぁ。取引するかい? メス犬と、刃物振り回すねーちゃんには逃げられちまったからなぁ。そこの右腕取れたじいさんと、死にかけの女。その二人を置いてくなら逃がしてやるぜぇ。二人の生命も保障してやるよぉ」
「ふん。どうせ碌なことになるまい。生贄にするか、眷属にするか。まともな扱いではなかろう」
「おおっと、随分くわしいねぇ。眷属にしてやろうと思ったんだがなぁ」
土御門さんは紙束をばさりと構えながら、小声でルルに呟きました。
「小娘。もう有栖川の娘は放っておけ。俺と三条で隙を作るから、お前だけでも逃げろ」
逃げる。
どこへ?
あまね様もいないのに。
逃げる。
ゆずき様を置いて、自分だけ?
脳裏をよぎったのは、銀貨を握りしめてルルたちに背を向けたママの姿でした。
ルルは。
ルルの知っているあまね様は、そんなことは絶対にしません。
「にににっ、にげまぜんっ!」
ことばと一緒に、涙が溢れてしまいました。
一度溢れ出した涙は止められず、頬を濡らしながらぽたぽたと流れていきます。
「ごごで逃げだら、あまね様に! 顔向げでぎまぜんッ! 家族は、守るんでず!!!」
「……そうか」
土御門さんは全ての紙束をばら撒くと、指を動かします。
「お前らに結界を張ってやる。最期まであがいて、できるなら生き延びてくれ」
魔力が溢れ、編みこまれ、ルルとゆずき様を包みます。
「巻き込んですまなかった……予想が甘かった」
土御門さんのことばに、嘘はありませんでした。
***
魔法を。
回復魔法をかけなきゃ。
クリスの傷をふさがないと。
そう思っているのに、声が出ない。代わりに血の泡が口から洩れる。
すでにクリスには意識がない。ひゅうひゅうと喉から洩れる息だけがクリスが生きていることを知らせてくれる。だけど、それもどんどん弱くなっていっている。
傷を抑えてあげたいけれど、身体の感覚も無くなってきて動かすことなどまったくできない。
ああ。
ちくしょう。
おれのせいだ。
おれにもっと力があれば。
おれがもっとちゃんとしていれば。
クリスを助けるって、居場所を作るって約束したのに。
ずっと一緒にいるって約束したのに。
――嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
クリスを生かしたい。
クリスを生かさなきゃ。
クリスが生きてないと、おれは。
その思いが溢れた瞬間、感覚がなくなったはずの身体に熱が生まれた。
引き裂かれたときのようなものではなく。
クリスに抱きしめられたときに感じるような、クリスを抱きしめているときに感じるような、温かくも足りず、際限なく求めてしまうような幸福な熱だ。
周囲から――魔力がたくさんある異世界の空気から、魔力を根こそぎに奪っているのだ。
穴の開いたバケツのように、限界など無いかのようにどこまでも魔力を吸収していく。
昏くぼやけていた視界が広がる。
魔力が溢れる。
身体が作り変えられていくのが分かる。
すべての傷が、まるで幻であったかのように塞がっていく。
同時に、おれ自身が知らなかったおれのことが湧き上がるように頭の中に浮かんできた。
――そうか、おれは。そうだったのか。
洪水のような情報の奔流に押し流されそうになるけれど、ここで押し流されてしまうような意思であれば、おれは進化なんてしていない。
そう、おれは進化したのだ。
魔族の起源が魔物だから?
おれが前世の記憶を持つ特殊な個体だから?
何でもいい。
とにかくおれは進化した。
進化に必要なのは、膨大な魔力だとクリスは言っていた。
毎晩どころか一日三食きっちりがっつり摂っていたおれが、腹が減り続けていたのは何故か。
決まっている。
膨大な魔力を欲していたからだ。
クリスは知らなかったのだろうけれど、流れ込んできた知識によれば進化の条件は複数ある。
膨大な魔力。
そして知能。
最後に、――世界を塗りつぶすような強烈な意思だ。
おれの想いが。
クリスを助けたいという願いが。
その条件を、満たした。
バサリと巨大な翼を広げ、溢れる魔力を束ねてことばに乗せる。
分かる。
流れ込んできた知識が、おれに何ができるのかを教えてくれる。
「《月光癒》!」
おれから放たれた紫銀の魔力がクリスを包み、その傷を。失った血液を。零れ落ちようとしていた生命を。
そのすべてをおれの魔力で補い、回復させた。
「クリス! クリス!」
「あ、まね……? あまね!? あまねなの!?」
「そうだよクリス! 怪我は!? 痛いところはない!?」
「大丈夫。大丈夫だけど、その姿は……?」
「おれ、進化しちゃったみたい」
進化のときに身体を作り変えられたからか、引き裂かれた痕跡など何もない。
12歳くらいだったはずの身体は四肢が伸び、女性らしい肉付きを得て、20歳くらいに。銀の髪は月光に照らされて煌めきながらきゅっとした腰の辺りまで伸びている。
羊のような巻き角はより太く、鋭く。
小さな翼はおれの身体を包めるほどに大きく、しなやかに。
妖艶。
そして淫靡にすら見える姿である。
「おれ、進化したんだ」
「そう」
クリスはおれを抱きしめてくれた。
流れ込んだ知識が教えてくれた。進化することで得たおれの名は、《夜天の女王》。
まごう事なき、名前を得たモンスターだ。
「クリス、おれのこと――」
「愛してる。誰よりも。何よりも」
質問する前に、死ぬほど欲しかった答えを貰い、おれは思わずクリスを抱きしめ返し、唇を奪った。より蠱惑的になった身体はクリスを欲している。本能が、クリスを欲望のままに貪りつくせとおれに囁いている。
このまま、肉欲に溺れて淫蕩の限りを尽くしたい。
すべてを忘れるほどに、お互いを貪り、満たされあいたい。
今のおれには、それができるだけの力がある。
でも、おれはクリスに誇れるおれでいたい。
だから。
「戻ろう。みんなを助けないと」
「うん」
身体の奥底から無限に溢れるような紫銀の魔力を使い、おれたちは再びあの地下室へと転移した。
※次話は明日の朝9時に更新予定です。




