霊光聖骸教会
霊光聖骸教会の本部。
信徒はおろか職員にすら秘匿された儀式室というものがいくつか存在している。警察や外部の人間に見せるための囮としての部屋もあれば、公にできない資料や呪物を保管している部屋もある。
私が待機していたのは閑散とした、やや殺風景にも見える部屋だ。
呪物の類は存在していないものの、まともな腕を持った祓魔師が見ればその場で私を殺しにかかるであろうレベルの術式がいくつも展開されている。
細巻きたばこを燻らせながら部下を待てば、程なくしてスマホに着信。
「私よ」
『お待たせしました七五三木様。今、”適合者”を送りましたのですぐそちらに見えるかと思います』
「そう。ご苦労様」
あっさり電話を切るとほぼ同時、出入口の扉がノックされる。
「どうぞ」
笑みとともに明るい声をつくって促せば、信徒用の質素なローブに身を包んだ女性が現れた。年齢は三〇前後だろうか。
「あ、七五三木様……」
「こんにちは。急に呼び立ててしまってごめんなさいね」
「いえ! 七五三木様のお役に立てるのであれば、主の御心にも沿えるはずですですので」
「そうね」
にっこり微笑んで、部屋の中央へと案内する。
「あまり知られていない儀式ではあるんだけれども、私たち霊光聖骸教会にとってはとても大切な儀式なの」
「そんな儀式に私を……! 嬉しいです!」
「貴女の信仰心を評価した結果です。他の職員も、もちろん私もね」
「七五三木様……!」
名前すら憶えていない信徒にリップサービスを餞すると、何か思うところがあったのか女は感動に目を潤ませた。
そのまま儀式の方法を簡単に説明し、すぐに開始する。
私が発する祝詞に反応し、体内で練り上げ、この部屋に充満させておいた呪力が門を形作る。
朱塗りの柱に鉄扉が据えられた門だ。
眼前に現れた門は呪力など欠片も持たない女には見えていないはずだが、”適合者”なだけあるのか、顔色が目に見えて悪くなっていた。
とはいえ止める選択肢はない。
どうせ死ぬ人間を気遣う意味などないし、気遣うつもりも毛頭なかった。
――バガンッ!
巨人にけ破られるかのようにして勢いよく開いた門扉。中に詰まっているのは、一切の光を許さぬ闇だ。
闇が溢れそうになったところで、部屋に敷かれた術式がすぐさま発動した。
すなわち、赤茶けた鉄錆色の鎖となって闇を縛り上げたのだ。
さらに、鎖のうちの一本がどぷりと闇の中に沈む。
「あ……ああ、あ……!」
理解できずとも根源的な恐怖があるのか、女が呻くような悲鳴を洩らす。
だが、もう遅い。
闇に沈んだ鎖が、一つの魂を救い上げた。
傷つき、砕け、黄泉で消滅を待つだけだったはずの魂。
それが引きずり出され、動けないままに悲鳴を洩らす女の身体へと打ち込まれた。
言葉にならない絶叫が室内を満たす。
魂と身体の拒絶反応だ。
”適合者”ですらこれなのだから、不適合者が即座に塵になるというのもうなずける。
やがてばったりと倒れ込んだ女。
その身体から吹き散らす光る欠片は、女の中に元々入っていた魂の残骸だ。
「気分はどう?」
女は周囲を見回すと舌打ちを一つ。
それまでの雰囲気からは想像もつかない顰め面をして、私を睨みつけた。
「……最悪の気分だよ」
「でしょうね。でもまぁ、せっかくの現世なんだから、楽しんだらどう?」
「生憎と、自分に課せられた使命は楽しむためのものではない」
「あら、まだ全うするつもりなの? もう大日本帝国陸軍なんて存在しないのに」
「……口を慎め小娘。貴様の立つ土地も、貴様が飲む水も、貴様の吸う空気でさえも我らが戦い、護り抜いたものだ」
「第二次世界大戦では負けたけれど」
「清、露西亜、独逸。どこを相手にしようが自分は負けなかった。もしもどこかで負けたのであれば、後任は愛国心が足らなかったのだろう」
傲慢という言葉ですら甘く感じてしまう自己評価と、笑い話にすらならないレベルの精神論。だがしかし、それらを語る女の口調はどこか納得させてしまうだけの気迫があった。ビリビリとした空気は、躊躇わず人を殺すことに慣れた人間しか纏うことができないものだ。
「……負けたのか。大日本帝国は」
「ええ。今は日本国と名を改めているわ」
「……後任も、後任の任命に関わった者も腹を切って天皇陛下と国民に詫びるべきだな」
「それで、なんだけれども」
蘇ってそうそうで悪いが、一〇〇年以上前の戦争にセンチな気分になられても困る。
「強く美しい日本を取り戻したくない? 一〇〇年以上かけて砕かれたプライドと、抜かれた牙を取り戻したくはない?」
「……ほう。聞かせろ」
「そうね。貴方の時代、『呪術』というものがどういう認識だったのか教えてもらえるかしら。えーと、何とお呼びすれば?」
「どの名が残っているかは知らんが、どうせ偽名だ。好きに呼べ」
左右非対称に顔を歪めて笑う姿は、それだけで化け物じみて見える。
吉田・月島・竹内・佐藤。
霊光聖骸教会が知っているだけでも、彼の名前は四つある。戦前の記録が散逸していることを加味しても、我々が本名を絞り切れないのは異常の一言であった。
「情報将校の名は伊達じゃないってことね」
立案する作戦。
相手の心理を読んだ攪乱情報。
さらには、日本国民以外を人とは認めず、――それどころか日本国民でさえ勝利のために犠牲にする狂気の参謀。
最終的に帝国陸軍によって『処分』されるまでに多くの戦を勝利に導き、そして多くの人間の命を消耗した。情報が錯綜しすぎていて眉唾レベルのものばかりだが、最低でも二〇〇〇人以上の人間を犠牲にしているのは間違いない。
敵兵どころか同胞――それも、非戦闘員ですら兵器で勘定に入れるのが、目の前にいる彼だった。
「では、月島と呼ばせてもらう」
「日露時代の呼び名か。では、敬意をもって中佐とつけたまえ」
言いながら、すんすんと鼻を鳴らす。
「葉巻かたばこは持っているか?」
「吸われるので?」
「月島の時は、な」
どこまで本気なのか分からない態度だが、実際に敵国の諜報は目の前の人物の暗殺を何度も試みて、しかし失敗したという記録が存在していた。
それどころか、彼が月島なのかどうかすら突き止められなかった者が大半だろう。
月島中佐は細巻きたばことライターを受けとり一服。大きく吸い込んでから紫煙を吐き出した。
「さて、『呪術』と言ったかねお嬢さん」
先ほどとは打って変わって、ややユーモラスな口調と紳士的な態度になった月島中佐。思わず別人じゃないかと疑ってしまうほどの変化である。
「いや済まないね。取って食おうというわけでもない。親戚か、ご近所さんとの世間話くらいのつもりで話してくれて構わないよ?」
擬態。
そうとしか言いようがないレベルの変化に、目の前にいるのが本物の化け物であることを改めて確認し、気を引き締めた。
どれほど優秀であろうと、狼は人には懐かない。
従順なふりをしているのは利害が一致しているか、そうでなければこちらの喉笛を食い千切る隙を伺っているだけなのだ。
「ええ。我々はそれを使って世界を変えようとしているのです」
とはいえ、所詮は黄泉から召喚しただけの魂だ。
どうせこれも素材なのだから適当にあしらえば良い。
「さて、それではお話ししましょうか」
そう告げて微笑んだ私を見る彼の瞳は、どこまで無機質なものだった。




