第五話 お仕事終わりの酒は美味しい 奢ってもらえば尚更です
聖女の仕事は多岐に渡る。
派遣された場所の住人を治療するだけではない。
神事の際の祈祷。
出産の際の祝福の儀。
婚姻、葬儀といった人生の節目の際の立会人。
そうした公事な場に聖女がいると箔が付くのだ。
ユスティナも例外ではない。
「えーと、明日は昼に村長さんの娘さんの8歳の誕生日に立ち会って、その後は農作物の豊穣を祈るお祭りの打ち合わせが入っていて〜」
手帳をめくりながら予定を確認している。
時刻は宵の口。
酒場でエールを飲みながらというのが何とも聖女らしくはない。
だがコルデン村では特に問題視されていない。
むしろ「気さくな聖女様だ」と見なされている。
この点は田舎の方が良かったとユスティナも認めていた。
「あとは......よろず屋さんが訪ねてくるんでしたねぇ。確か遠方への出張前に安全祈願してほしいって言ってましたっけ〜」
これで全部確認したはずだ。
一日中駆けずり回っているわけではない。
だが気を抜けるほどでもない。
直接的に治療や回復の術を行使せずともやることはたくさんある。
「はー、頑張りますぅ」とユスティナがため息混じりにエールを一口飲んだ時だった。
「さすが聖女様。皆の為に働いてらっしゃるのですね」
右の方から声と共にパチパチパチという拍手の音。
ユスティナはそちらを振り向いた。
酒場のランプの光の下、男がこちらを見ている。
「どちら様ですかぁ?」
言いつつ、ささっと人物確認した。
見た目から判断すれば20代半ばの男だ。
顔は普通だが親しみがもてそうな風貌をしている。
だがコルデン村の人間ではない。
見覚えがない。
旅装と大きな革の鞄からも明らかだ。
相手の「これはすみません。ただの行きずりの商人でございます」という言葉も納得だ。
"邪険にするのも悪いですねぇ"
即座に判断して「あぁ、そうなんですかぁ。どうもお気遣いいただきすみませんー」と挨拶した。
愛想良くしておかないと「あの聖女は性格が悪い」と悪評を立てられかねない。
職業自体が特殊である。
仮に名前が伏せられていても大体目処はつく。
そうなったら面倒くさい。
幸いなことに相手も妙に絡む気は無さそうだった。
それどころか「一杯奢らせていただいてもよろしいですか?」と申し出てくれた。
変な下心がある感じではない。
「えーと、それではご厚意に甘えて」
遠慮なくいただくことにした。
人の奢りで飲むエールほど美味い酒は無い。
気取っても仕方がない。
手元の一杯はほぼ空なので即座に飲み干した。
奢りの一杯を一気に半分ほど喉に流し込む。
「労働の後のエールは最高ですねぇ〜」と自然に声が出る。
「いい飲みっぷりですね。見ていて気持ちが良くなります」
「あ、すみません。がっつりいっちゃいました〜」
「いえいえ。こちらもそれくらいの方が奢った甲斐があるというものなので」
相手はにこにこ笑っている。
変に同席しようとしないのも好感が持てた。
ユスティナは見た目は美少女である。
下心込みの好意を向けられることもたまにある。
王都にいた時はそういう相手は手頃なストレス解消の対象だった。
路地裏に連れ込んでぼこぼこにしてやった。
"あれは楽しかったですねー"
もちろん1発で倒すと面白くない。
即座に回復をかけて治してやって、さらに殴る。
これが最高に楽しかったのだ。
幸か不幸か、コルドン村にはそういう不埒な輩はいない。
この商人も単に聖女に尊敬の念を抱いているだけのようだ。
卓を離したまま当たり障りの無い会話が始まった。
「この村に聖女様がいらっしゃると聞いた時は半信半疑だったのですが。立ち寄って正解でした」
「いえー、別にそれほどの者でもないですよぉ。神様でもなんでもないのでぇ」
「はは、それはそうでしょうけど。でも行商の途中で聖女様に会うと商売繁盛すると言われてましてね。この先上手く行きそうな気がします」
「あらら。それでは上手く行くよう祈っております〜」
持ち上げられるとユスティナも弱い。
両手を胸の前で合わせ、にこやかに微笑んだ。
相手は嬉しそうである。
その視線がユスティナの左手にツツ、と注がれた。
ユスティナはちょっとドヤ顔になる。
「信じていただけましたでしょうかぁ? 自称聖女じゃないですよぉ」
ユスティナの華奢な左手の甲。
白い肌に赤く五芒星が浮かび上がっている。
聖刻と呼ばれる紋様だ。
聖女として法皇庁に認定された時、特殊な儀式を通して施される。
言うなれば聖女としての正式な免許でもある。
「いやいや、そんなことは! 最初から疑ってなどは!」
「うふふ、分かっておりますぅ。ちょーっと意地悪したかっただけですよぉ」
「はは、聖女様も人が悪いですね」
「えぇ、聖女といっても聖人とは限りませんのでぇ。たまには人をからかうくらいはしますよぉ〜」
多少酔いが回ってきたせいもあるのだろう。
ユスティナの口が軽くなっていた。
そのあともポツポツと相手と話した。
もちろん当たり障りの無い内容だけだ。
コルデンに赴任して二ヶ月ほど経過すること。
基本的に村に滞在して仕事をしていること。
村の人達は親切であること。
しばらくはこの村にいるであろうこと。
その程度である。
何杯目かのエールを飲み終わった。
酔いが深くなっているのを自覚する。
酔い覚ましのため、ユスティナは自分に解毒作用をかけた。
スッと素面に戻る。
「そんなことも出来るんですか。便利な使い方ですね」
「本来の使い方ではないんですけどねぇ。帰り道に千鳥足で転んで怪我とかしたくないのでー」
驚く相手に一応説明しておいた。
ついでに付け加える。
「だけど自分の為だけってことにしてますぅ。でないと酔客専用の聖女になってくださいとか頼まれちゃいますからねぇ」
「あ、ははは。そうですね......」
冗談のつもりだったが不発だったようだ。
ユスティナはこっそり肩をすくめた。




