第一話 彼は見た ある聖女による暴行現場を
俺はね、見たんだ。
ゴブリンがボコボコに殴られているのを。
むろん喜ばしいことなんだよ。
俺達の隊商を襲ってきたゴブリンがやられているんだからね。
よくやってくれたと感謝するところなんだよ、本来はね。
うん、でもさ。
そのゴブリンを殴ってるのが聖女さまだったらさ。
やっぱちょっと......びびるじゃん?
しかも思い切り素手でさ。
にこにこしながら拳をゴブリンの顔面に叩きつけてるんだぜ?
それだけじゃない。
「あっ、このままじゃすぐに死んじゃいますね〜」なんて言いながらゴブリンに回復かけてるんだよ。
うん、あの回復呪文の回復だよ。
ゴブリンの傷はあっという間に治っていた。
あいつら馬鹿だから、最初は傷が治ったことを嬉しがってた。
奇声をあげて性懲りもなく、聖女さまにまた襲いかかってた。
でも拳1つで鎮圧。
ぶっ飛ばされたゴブリン達にまた回復。
「良かった、まだ死なないでください〜」なんて言いながら回復。
傷が治ると同時にまた殴る。
鈍い打撃音とうめき声。
これが二、三回も続いたらさ。
さすがにゴブリンといえどもおかしいと思い始めたんだろ。
だんだん腰が引けてきてさ。
そのうち1匹が背中を向けて逃げようとしたんだ。
次の瞬間。
「あー、ダメダメ。無駄ですよぉ」
聖女様が投げた聖杖がゴブリンの背中を貫き通してた。
串刺しだよ、ああ。
そこに駆け寄ってまた回復。
結構な深手なのに傷口がみるみるうちに塞がってゆく。
にっこりと聖女さまは笑っていた。
「ふふ、これでまた戦えますねー。さ、どうぞ。存分にかかってきてくださいー」
だんだん俺は怖くなってきた。
ゴブリン達はもっと酷い様子だった。
がくがくと膝を震わせて、顔色が青黒くなってきている。
戸惑いが明確に恐れになっているのは見て分かったよ。
それから後は正直思い出したくないな。
見た目は可愛らしい少女なのにね。
俺には悪鬼のようにしか見えなかった。
いや、悪鬼より悪質かもな。
だって殴り倒した相手に回復かけてまた殴るんだぜ?
これが情報得るための拷問ならまだ理解できる。
相手を死なせたら情報は手に入らないから。
でもこの場合は違う。
普通にゴブリンを倒せばいいだけなのにさ。
メヂッ、と鈍い音立ててゴブリンの醜い面が鼻血出してぶっ飛んで。
周囲のゴブリンが慌てて避けて。
殴った聖女さまは迷わずに突進。
吹っ飛んだゴブリンに即座に回復。
「ほらぁ、まだまだいけますよねぇ」なんて呼びかける声が優しいから逆に怖かったよ。
理解不能だ。
逃げれば聖杖を投げつけてからの回復。
近寄れば殴られてからの回復。
死なないだけましだって?
違うね。
死ねないんだ。
圧倒的な強さを持った相手を前に身体と心を折られ続ける。
死ぬ寸前まで追い込まれても回復で強制的に回復。
無限地獄だよ。
それでもゴブリンの方が圧倒的に数が多い。
頭が悪いなりに腹をくくったんだろう。
包囲網を組んで一斉に襲いかかった。
結果は無惨なものさ。
「あら、やりますね〜」と軽やかに笑って聖女さまは跳躍。
聖杖を地面に突き立てて、それを支点にして強烈な回し蹴り。
3匹のゴブリンの顔面がぐるんと捻れた。
首から上が180度曲がって後方を向いていた。
多分あれは一撃で死んでるよ。
「あっ、しまった。やっちゃいましたぁ」
聖女さまがそう呟いたのを俺は聞き漏らさなかった。
いかにも残念そうに眉をひそめて。
おもちゃを取り上げられた子供みたいな顔だった。
ぞっとしたよ。
あまりにも無邪気そうな顔だったからさ。
この一蹴りをきっかけにゴブリンは総崩れ。
我先にとバラバラに散っていった。
さすがにこうなると聖女さまも諦めた。
「あーあ、終わっちゃいましたねぇ」とため息をつくばかり。
俺は何を言えばいいのか分からなかった。
命を助けてくれたお礼を言うべきだと頭では分かっていた。
でも舌が口の中で乾ききって動かない。
ゴブリンの次は自分じゃないかって。
そんな恐ろしい考えが脳裏に貼り付いちまった。
否定するのは簡単だ。
だけどこの人はおかしい。
常識が通用しない。
一言で表すなら異常だ。
さくさくと倒すだけならただ強いで済む。
どこの世界に殴り倒した相手に回復をかけて回復させる奴がいるんだ?
それもただ単にもう一回殴るためだけに!
「どうされましたかぁ。顔色が悪いですよ〜?」
「だ、大丈夫、です......」
声をかけられて何とかそれだけ返した。
ああ、見た目は完璧なのに。
ふわっと肩まで届く金髪は陽の光にきらきらと輝いている。
透き通るような青い目は少し垂れ目で優しそう。
純白の法衣を着ていても、女性らしい曲線を描く身体は隠しきれない。
けれども俺は恐怖している。
ああ、そうだ。
見惚れるよりも先に恐怖している。
理解不能な相手。
予測のつかない行動を取る相手。
そういった存在は何より恐ろしい。
「あ、あの、一つお聞きしたいんですがよろしいですか?」
それでも。
恐怖に震えながら俺は口を開いた。
聖女さまは小首を傾げた。
「はい? ええ、何でしょうかー?」と可憐に微笑む。
その顔をまともに見られず、俺は視線を地面にやった。
「あの、何であんなに楽しそうにゴブリンを殴りつけていたんですか......?」
聖女さまはキョトンとしている。
「え、そんなの当たり前じゃないですかー」
「当たり前って」
「楽しいから殴るんですよ〜。問いがそのまま答えですぅ。すぐに倒れちゃ殴れないのでわざわざ回復で治すんですよ〜」
にこにこと笑いながら口にする言葉じゃないだろ!
「死体を殴っても手応えないから嫌いなんですよねー。やっぱり私の拳で痛みを感じていただかないとつまらないのでー」
頬を染めながら口にする言葉じゃないだろ!
「殴る、回復、殴る、回復。殴り続けられる、それも好きなだけー。生の喜びを実感しますねぇ!」
その瞬間、俺の意識はブラックアウトした。
多分、これ以上聞くと脳が破壊されると無意識に感じたからじゃないかな。
すいません、もうこれでいいですか。
今でも背筋が震えそうになるんですよ。
あの聖女さまのことを思い出すとね。




