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 結局、組の間のいざこざは思った以上にあっけなく終息する。

 仙庭組の不正の証拠を握っていた仁貴会の一部によって組長逮捕のため警察が動くと思われたが、さらにその前にキムラの一件で面が割れている娘の私を誘拐し交渉金を得ようとする実に小さいことを企てる輩が出てきた。

 その後警察が弱った組に止めをさすことを期待しての怖いもの知らずな行動である。確かに彼らの言うとおり搾取できるものは髄まで、という信条そのものだった。

 しかしあの男たちの勝手な単独行動が招いたのは仙庭組の一次団体である鷲尾組を巻き込んだ全面抗争への危機だった。

 警察が仙庭組を検挙すれば証拠を流したのが仁貴会の一部ということが露呈せずに済むが結果としてそうならなかった。仁義に重きを置く鷲尾組は下部組織である仙庭組への卑劣な行為に仁貴会との抗争を示唆した。

 しかし、実際に事の次第を計画したのは組織の一部である仁貴会としては巨大組織との大規模な抗争は避けたい。

 仁貴会会長が直接仙庭組へ趣き謝罪し、会長職を辞退し現若頭へ譲渡する形でケジメは付けられることとなった。

 どの組織も目の届かないところから腐っていくという例を見た話となったのである。



 積極的にヤクザの世界に関わろうとしなかった私が、そんな事情まで知るつもりになったのは日常との決別をするためだ。

 私は渋谷での一件を思い浮かべる。

 奈津美は酷くショックだっただろう。あんな目に合うのはやっと見つけた孤独を埋めてくれる友達のせいなのだ。

 あの後、傷ついた奈津美を家まで黙って送るのが精一杯だった。何か言われるのが怖くて、ずっと視線を交わさず、何も答えない姿勢を作ってしまった。

 最後に何か言いたげだった奈津美の顔を見て私は逃げ出した。あんな理不尽な暴力にさらされた彼女をいたわってあげることも出来ず、ただ謝罪の言葉だけを残して駆け出した。


「キョーコさん、元気してるかなぁ」

 私は遠く空の下にいるであろう彼女に呟く。

 彼女たちが羨ましかったのかもしれない。あんなに強く思いあえて、なにもかもを捨ててでも二人で生きていく決断をした。誘ったのは私だが、何の躊躇も後悔もなく彼女たちは旅立っていったのだ。

「ああ、もう。リア充爆発しろ……」

 私は見当違いな悪態をつきながらベッドで寝返った。学校へもバーへも行かない日々。実家へ戻る準備だけは怠らず続けている。

 戻って何をするわけでもないが、この環境は私に辛い思いしかさせない。

 学校を辞めたらニートとして暮らしても差し支えないだろうか。

 あまり面白くもない未来を想像しながら再び寝返りを打つと、インターホンが鳴った。

「あの、宅配便です」

 風邪でも引いているのか、妙にかすれて聞き取りにくい声が受話器越しに聞こえてくる。何か荷物を頼んだ覚えはないかと考えて、レトルト食品を通販で買っていたことを思い出した。外に出るのも億劫だったのである。

 私は玄関ロックを外して業者が来るのを待った。ほどなくしてドアのチャイムが鳴らされる。

「はいはい、いくらだっけ…………いや、やっぱり返品する」

 そう言って、私はドアを閉めようとした。

「泉美っ、ま、待ってよ!」

 奈津美は慌てて食い下がってきた。なんで、彼女がうちを訪ねてくるんだ。

「待たない! もう私学校行かないし! それに、こんなとこ来ないでよ!」

「それは、またあの怖い人たちが来るからっ?」

「奈津美、お願いだから帰って」

「や、やだ!」

 私たちは互いに握ったドアを防衛線に問答を繰り返した。奈津美はなかなか引き下がらない。

「泉美、黙っていなくなろうとしてるでしょ、私なんにも言ってないのに。泉美がなんだって、私は許すよ! ううん、そんなおこがましいことも言わない。私は泉美を酷いなんて思わない、なにも変わらない」

「それは、奈津美が……」

 友達を必要としているだけ、それは私じゃなくていい。もっとマトモな人間と付き合えばいい。

 そう言おうとして彼女の瞳が揺れる。

「私、友達いないよ。保健室で私を待っててくれる泉美がたった一人の友達だよ。……依存してるって思ってるでしょ?」

 頷けるわけがない。私は視線を逸らした。

「でも、友達ってそうじゃないの?」

 知らず、彼女の引く力は途絶えていた。その気になれば押し返してドアを閉めることも出来る。それでも私は動かなかった。

「その子のこと頼りにして、助けあって、その子と一緒に居るのが楽しくて、ずっと一緒にいて欲しいって、思っちゃいけないの?」とうとうドアを離して私にすがった。

 ああ、その言葉はまるで告白だ。私は必死にしがみつく彼女の背に手を回しそうになる。

「……だめだよ。奈津美はもっと、普通の子と一緒に居なきゃ」

 背を通り過ぎ肩を抱いて、後ろへ下がらせた。そういう理屈が通じるのは、普通の友達だけだ。

 私はあらゆる面において世間で言う普通じゃない。だから、彼女を望んではいけない。

「やだ……」

「今度は駄々っ子?」

 言いながらドアの外へ彼女を帰そうとした。しかし、不意に強く押される。

「……やだッ」

「うわっ」

 急に奈津美が私の身体に押し倒さんばかりの力で抱きついてきたせいでバランスを崩し玄関の上がり框に尻餅をついてしまう。私に伸し掛かるようにした奈津美の顔が近かった。バタンと虚しくドアが閉まる。

「だって、泉美がヤクザってわけじゃないじゃない。泉美がわざわざ危険なところへ行こうとしてるわけじゃないじゃない」

「で、でも、この間みたいなことが」

「だから、あの人達に守ってもらえばいいじゃない!」

「そ、そんな簡単な話じゃ……」

「簡単だよ!」

 顔が近いせいか呼吸が荒くなる。ここまで接近した彼女を顔を見るのは初めてだった。知らず鼓動が早くなる。

「私は、他の誰でもない奈津美と友達でいたいんだよ。一緒にいたいんだよ……」

 奈津美はぽろぽろとその瞳から涙を落とした。

「一緒にいさせてよ」

「……私なんて、ろくな人間じゃないのに。奈津美、幻滅することばっかりだよ」

 そっと奈津美の頭を撫でる。

 こんなの共依存になるだけだ。奈津美は孤独の中で得た友達を離したくない執念だけで言っているのだ。

 そう思いながら、彼女の危険をこれから先払ってやれる力がないと分かっていながら、私は根負けした。

 彼女が愛しいのは前から変わりないのだ。

「いいよ。友達だから、我慢してあげる」

 奈津美がすましたようにふふっと笑う。身じろいだ身体の感触が伝わってきて心臓が跳ねる。

「あと、さ……忘れてるかもしれないけど私、レズだから」

 すぐ鼻先にある彼女の顔を窺い見て、視線を合わせないよう俯いた。

「奈津美とは友達でいたいけど、いたくない。……キスしたくなる」

「いいよ、キスぐらい」

 そう言って、大胆にも彼女は目を閉じた。その決断力の速さに私は思考停止する。

「え……」

 突然訪れた申し出に私は挙動不審になった。

「あ、えと、いや、その……」

 キスなんかしてそのまま止まれる自信がない。その肌に指を這わせなければ我慢ならない欲望が湧いてしまう。

 しかし、こうも分かりやすい据え膳をされてしまうと許されているのだろうかという思いも生まれてきて思考はあっという間にぐちゃぐちゃである。

 友達にキスを許すのは一般的なのだろうか、私は悩んだ。

「……しないの?」

 目を開けた奈津美が小首を傾げて尋ねる。いや、してもいいんでしょうか。

「し、舌とか入れても?」

 私の勝手な口はとんでもないことを訊いた。死にたい。

「…………」

 白々しい視線が私を貫く。やはり、良くない。友達として接するためにはキスなんかしてはいけない。

「ごめん、離れて」

「友達でいてくれるなら」

「だ、だから……」

 同じ問答が繰り返されようとした時、またインターホンが鳴った。今度こそ宅配便であるはずだ。

「出なきゃ」

 身体を起こそうとするも奈津美はどいてくれる気配がない。私は嘆息した。

「……わかった。奈津美とはずっと友達だよ」

 言ってて悲しくなるような、嬉しくなるような複雑な気持ちに苛まれながら私は彼女の主張を通すことにした。

 すると奈津美は喜色満面、私の手を取手起こしてくれる。

「うん、一緒にいよう」

 そのあどけない笑顔に私も釣られて微笑む。いつかまた後悔することになるんだろうかとぼんやり考えて、しかしそんな暗い思いは振り払った。

「あ」

 宅配業者への対応の為にリビングへ行こうとした私の後ろで奈津美が声を上げる。

「これは、ご褒美ね」

 そう言って、振り返る私の唇に、奈津美の唇がちょんと重なった。

「……ッッ!?」

 声にならない声が出る。心臓が跳ねたなんてもんじゃないほどに疾走する。

「ほらほら、待たせてるよ」

「え、あ、は、はい……」

 私は言われるがまま応対し、荷物を受け取り、気が付いた時にはリビングのソファに座っていた。

 あまりの衝撃に思考が抜け落ちていた。

 向かいの椅子に座る奈津美が部屋をぐるりと見渡した。この子はこんな手で男たちを虜にしていたんだろうか。不謹慎な思いで見つめながら天然って恐ろしい、と身震いする。

「で、この荷造りしてるのって」

「学校辞めようと」

「だめ」

「だめですか」

 すげなく却下である。もはやあらゆることに対して私の決定権は奪われていた。

 唇の感触を思い出す。体の一部が触れるだけのことなのにこんなにも舞い上がった気持ちは初めてだった。

 もっと、欲しくなる。

 ちらりと彼女を窺うと目が合った。微笑む。

「だめだよ?」

 私の考えを見透かしていたのか、そのだめは何に掛かっているのか。

 私はとんでもない了承をしてしまったのかもしれない。

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