12
「駅に着いたら念のため、地元とは反対の電車に乗って遠回りしよう」
そろそろ日が暮れる。街は変わらず人で賑わっており、夜に備えて明かりと装飾をより一層輝かせる。それでも昼間に比べれば暗がりが増えだいぶ視認しづらい状況だ。このまま見つからずにやり過ごせるかもしれない。
駅が目と鼻の先にあるスクランブル交差点で、信号待ちの人々に紛れながら私は携帯を取り出した。
蔵野に電話をして、最寄り駅についたら迎えに来させよう。事情を話して奈津美のことも頼めるように。
アドレスから名前を検索していることころで、信号が青になった。私たちは流れに乗ってそのまま歩き出す。
バラバラに各々の目的地へ歩いて行く通行人に紛れて、車道を挟んだ反対側に足並み揃った集団がいるのに気付いた。
横断歩道をこちらに向かって歩いてくる先頭を切った男のその顔は先ほどのヤクザである。
「しまった、駅に先回りされてた……」
耳に当てることなく、呼び出し中だった電話を切る。奈津美の手を握る。
「走って!」
「待てコラァ!!」
突然リーダー格と思しき男が叫びながら飛び出してきた。私たちは方向転換して走りだす。しかし、先程は味方につけていた人波が今度は障害となって私たちを阻む。何度も通行人にぶつかりながら必死で駆けた。
どれくらい距離を詰められているのか、怖くて確認できない。
私たちは交差点をなんとか通りぬけ、西武デパートで左折、再びセンター街方面へ戻るルートを辿る。
しかし、人混みを避けて細い道へ入ったところで奈津美の足がもつれた。危うく転びそうになるところを私が支えて留まらせる。
「ご、ごめん」
「ううん、それより……」
寄り掛かった奈津美越しに顔を上げると、息を切らした男たちがすぐ側まで迫っていた。
「もう逃げられねえぜぇ!」
体裁なんて気にせず、声を上げて周りの人間に助けを呼ぼうかと考えたが周囲を見渡して絶望する。
「あ……」
みな、誰一人としてこちらを見ようとしないで歩き去っていく。脇のガードレールでお喋りしていた学生たちも、男たちの形相と鬼気迫る雰囲気にそそくさと離れていった。
風貌が、言動が暴力的な人間に好んで関わろうとする奇特な人はいない。
「待って、……わかった。私はいいよ。でも、この子は関係ないから……」
私は意を決して男たちに一歩近づく。手を離した奈津美が私の名前を呼んだが無視した。
「それはどうかな。とりあえず、二人とも来いよ」
「駄目。……奈津美、逃げて。走って」
私は男たちと奈津美の間を阻むように立って後ろへ向かって言う。素直に聞いてくれるかわからなかったが、それでも出来ることはしたかった。
私が無力でも、彼女を少しでも守れるチャンスを作ればそれでいい。
「いやあ、ラッキーだったな。噂に聞いた仙庭組の娘とこんなとこで会えるなんてよ。二人とも、丁重にもてなしてやるぜ? なあ?」
「ああ、うちの事務所で可愛いがってやってもいいぜ」他の男も言いながら笑う。
「そんなことしたら、うちの組はあんたらを全力で潰しに行くよ」
喋りながらチラリと後ろへ目線をやると、奈津美は硬直したまま動けないようだった。強面の男たちに囲まれる経験なんてそうそうないだろう。やはり、彼女だけどうにか逃げてもらうことは出来ないか。
「ああ、それが出来たらいいけどなあ。お前のとこはもうダメだろう、もう警察の手が回る」
私の言葉にニヤニヤしながらリーダー格の男が返した。
「それは、どういう……」
「もうじきお前の親父は詐欺容疑で逮捕だ」
後ろにいた男が笑みを濃くしながら言う。
キムラを犬にしていたあの一派。あいつらが押さえた証拠が既に仁貴会に流れていたというのだろうか。私は虚勢でも彼らを睨みつけながら鼻で笑う。
「でも、だったら私なんか捕まえても意味ないじゃない」
組が潰されるなら組長の娘である私の価値は当然下がる。そう思っていた。
「わかってねえな。知ってるだろ? 俺たちやくざ者はむしり取れるならどこまでも頂く主義だぜ」
ここまで分かったのは、彼らは問答無用で私たちを捕まえる気はないということ。それは恐らく女子高生相手への余裕と油断だ。喋れば時間稼ぎくらいにはなる。
私はこれからどうすればいいのか、頭の中をフル回転させながら男たちの話に乗って言葉を返した。
「なんでよ、こんな、仁義の無いこと……」
「仁義! それはなあ、お嬢ちゃん、映画の見過ぎだ」
リーダー格の男はさも可笑しそうに声を上げる。その哄笑は私だけでなく、私たち極道の人間を笑うようなものに見えた。
「義理と人情で世の中渡っていけるなんて思うんならそいつの頭はえらいお花畑が咲いてるよ」
こいつらは、私の知るヤクザではない。身内を庇うつもりはないが、それでも彼らは一線を越えないことを誇りとして生きている。仲間のことには激情して怒り、必ずケジメをつけさせるが、卑怯な手段と一般人を巻き込むような見境のない行動は取らない。
その点を利用して私は彼らを永山……アケミたちにけしかけたが、それは私が外道だからだ。
目の前の男もまた、外道であるということだろう。
「……仁貴会も腐ったもんだね」
私は会話しながら見えない角度で、肩掛け鞄の陰に隠れて携帯をポケットから取り出していた。直接画面を見ずともある程度の操作はできる。
微かに呼び出し音が携帯から聞こえた。早く。プツ、と音がして蔵野の陰気な声が少しだけ聞こえた。
「やー、ほんと最低だね。渋谷のゲーセンで遊んでただけなのに、ヤクザに絡まれるなんて、もうどうしようもないよ! 誰も助けてくれないのもホント最低! ……奈津美、走って、逃げて!」
私は大声でまくし立ててから、持っていた携帯を泉美に放った。泉美は慌てて受け取り、こちらを見返す。
これで、蔵野たちがすぐに駆けつけてくれればいいけど。
そう思いながら、私は肩に掛けていた鞄ですぐ近くに居た男の一人に殴りかかった。辞書が入っているからそれなりに痛いはずだ。
「こいつッ」
「奈津美、早く! さっさと行けえーッ!」
最後は怒鳴りながら私は不意打ちに驚いた男に更に襲いかかる。数は四人。どう考えても勝てるわけがない。
だが、一番距離が離れている奈津美は全力で走ればなんとか彼らを巻くことが出来るはず。それに、彼らにとって私のほうが最優先のはずだ。
「おい、あいつを……」
仲間に向かってなにか言いかけた男の脛を蹴ろうとして腕を掴まれる。だが、お構いなしに私は引き寄せられたのをこれ幸いにと脛ではなく男の急所に向かって膝を入れた。
「……ッ」
突然の衝撃に息でも止まったように男の力が抜ける。急所というのはやはり効くらしい。昔少しだけかじった護身術が役に立った。
少しはなんとか出来るだろうか、そう思って振り向いた所に激しい痛みが襲った。
頬が燃えるように熱い。一週間前と同じ感覚に私は我に返って目の前に立った男を見上げた。
一瞬だけ四方に視線をやって、奈津美が居ないことに安堵する。逃げてくれたのならそれでいい。
「ったくだらしねえな。子供にのされてんじゃねえよ」
私は痛みが引かない頬を抑えて男を睨む。
股間を抑えながら悶絶している男に、他の二人がからかうように笑った。
「お前、さっき携帯もう一人のガキに投げてたな。あれはどういうつもりだ」
「警察に保護をお願いしようと思って」
「笑わせるじゃねえか」
まったく笑顔ではない顔を向けて、男が地面に座り込む私に向かって足を振り上げた。また、ボールみたいに蹴られるのか、そう思って目を瞑り歯を食い縛る。
一瞬のち、身体に柔らかい感触があって、その物体越しに鈍い衝撃が伝わった。
「っ……う、ぐぅ……ッ」
耳元で呻く声にはっとする。
「奈津美! なんで!」
私をかばってお腹に蹴りを貰った奈津美は背中をくの字にして震えていた。
なんで、逃げない。どうしてかばう。
友達だから? そんなの、大馬鹿だ。
「なんだ、戻ってきやがったのか。手間が省ける」
リーダー格の男は言うと他の男に目配せして、蹲る奈津美を更に蹴った。道端のゴミを蹴るような仕草だった。
「おら、立てよ。楽しいとこ行こうぜ」
私は奈津美の身体にしがみつくようにして彼女を守ろうとした。どうにもならないと思っていても私にはもうこうすることしか出来ない。
「あーめんどくせえなあ。これじゃホントにサツが来ちまうだろ」
暗がりで、遠巻きに私たちを見ている人々に警察へ通報してもらうことを期待するしかない。その大半は見て見ぬふり。去年教室で起きていたことと大差ない話だ。
「……チッ、おい、車まだか」
男の一人に聞くが、首をふる。先ほどの目配せは車の手配を頼んでいたのか、仲間の男が一人居なかった。
「くそ、おい、こいつぶっ殺してやる」
急所を蹴られて呻いていた男が回復して私たちのもとへ歩いてくる。その怒りは一度二度蹴られるだけでは済まなそうだった。
「やめとけ、死んだら交渉できない」
リーダー格の男が呆れたように男を一瞥する。男は仕方なく引き下がるが、私を見る目には殺意しか浮かんでいない。
「こう、しょう……って」
私は口の中に広がる血の味と痺れにろれつが回らなくなりながら喋る。喋っていることで少しでも、暴力の時間を減らせればいいと思ったがもうそれが通用する相手ではなかった。
「黙れ、ガキが」
「うあっ」
男は私の脇腹を蹴るとつまらなさそうに背を向けた。抵抗の姿勢がないと見たのだろう。
事実、私はもうどうすることも出来ない。
腕の中で痛みのあまり涙を浮べている奈津美を抱きすくめる。小声で、何度も「ごめん」と呟いた。
「ああ、やっぱり一発殴らせろ、それくらいならいいだろ、なあ」
急所男が苛立ちを抑えきれずに向き直る。リーダー格の男がやれやれと溜息を付いた。
先程は油断させていたから通用したが、よく見るとこの中では一番体格の良い屈強そうな男だ。
勢いのあまり殴り殺されたら。
ぞくりと背筋が凍る。いつの間にか、この通りに人通りは皆無だった。
「おらぁ!」
振り被った男の拳が空を裂く。避けようと思う間もなく身体が硬直して動けなかった。
しかし、またしても衝撃が伝わってこない。
遠くで何台もの車のブレーキ音がした。
「お、おい……」
見ると、通りの出口に黒塗りのセダンが二台。後ろを向くとさらに反対の出口にも同じ車種が三台停まっている。慌ただしくドアを開け降りてきた男たちはどうみてもカタギではなかった。
「蔵野!」
知った顔がこちらへ歩いてくる。私たちを捕らえようとしていた男たちは、車から降りた強面たちに迫られことごとく捕まっていく。
とうとう懐からナイフを取り出したリーダー格の男が彼らに向かっていくが、まるで赤子の手をひねるように返り討ちにあい、地面に引き倒された。
私は驚きながらも疑惑の目を蔵野に向ける。
今も、この間のときも、蔵野たちが駆けつけてくるのが異様に早い。さきほど電話で連絡を入れたが彼らが本来シマにしている場所から渋谷は程遠いのだ。
「どうしてすぐに……」
「お嬢からの電話で慌てて」
「来れるわけない」
私がばっさりと言い捨てると蔵野は困ったような顔をした。
「私に何か、発信機みたいなのつけてるでしょ」
「……申し訳ありません。お嬢の鞄に、」
私は蔵野の頬を張った。
子供だと思って、対等な人間としても扱う気はなかったのだ。結局私は家から一歩も出られていない。自由を謳歌しているつもりでその実捕らわれたままだ。
「お嬢の位置が学校から急に渋谷へ移動していたので、念のため近くに組員を寄越していたところでした。もうあんな失態をしたら俺はおやじに顔向け出来ないどころか、ケジメに死ぬしかない」
深く頭を下げる。私の溜飲をそれで下げられると思っているのだろうか。
「だったら」
私は奈津美を抱く腕に力を込めた。
「だったら、もっと早く来てよ! この子が、酷い目にあう前に、もっと……早く……」
私じゃ彼女を守れない。
言い分がめちゃくちゃなのも分かっているし感情がぐちゃぐちゃに混ざって吐き出したいだけなのも分かる。それでも、私は奈津美をこんな目に合わせてしまった自分に酷く腹が立ったし、その環境を作った自分の家を呪った。
これで、終わりだ。




