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「次、次はー……あれやろう!」
プライズゲームで散々高額投入したにも関わらず、何一つゲットできなかったのを悔やむ間もなく奈津美は次の興味対象へ走っていた。こういうバイタリティは多少なりとも見習うべきだろうか。少なくとも、落ち込んだ私の心はここ数時間でいくらか浮上した。
渋谷センター街にあるメーカー直営型のゲームセンターは、平日だがそこそこの人入りで、時間帯を考えるとこれからもっと学生が増えてくるだろう。それほど馴染みのない空間だが華やかな遊技機やビデオゲーム、メダルゲームが並んでいるさまはゴチャゴチャとしているが気が散ることでかえって気分転換にもなれた。
少し心配するのは、こういうところには胡散臭い手合いの連中がやってきたりすることぐらいだ。
「ねえねえ、あれ二人でやるとお金半分だって」
先ほどの散財が響いているのか、奈津美はロケテストで半額キャンペーン中のガンシューティングゲームに目を付けた。米国の警官がバディを組み、悪漢を撃ってストーリーを進めていくオーソドックスなタイプだ。
私は妙にリアルに作りこまれた拳銃型コントローラを見て、息を呑む。違う、これはゲームだ。
「多分、私下手だよ」
「私結構こういうの得意ー」
自慢げに言う彼女に引っ張られ、筐体の前へ立つ。流れるデモ画面はフォトリアリスティックな3Dポリゴンのキャラクターがなにやら小芝居をしているところだった。よく出来ていると思うがどこか現実味がないのはゲームだからというだけではない。
本当は、銃を向けられるだけで、それだけで恐怖で身が竦んでしまうのだ。プレイヤーのように果敢に挑もうとするのはゲームの中の話で、正常な人間はこんな世界を望んで生きていこうとは思わない。
「泉美っ、撃って撃って! そこの右のやつ!」
横で叫ぶ奈津美の声にはっと我に返る。しかし、猛然と撃ってくる悪漢に対して自機のライフがどんどん削れていきやがて片面の私だけコンティニュー画面へ流れた。こちらは武器が拳銃しかないのに向こうはマシンガンを使ってくるとか、一面なのにハードな設定だ。
チカチカと点滅し減少する数字を眺めながら隣で勇敢に戦う相方を見た。数に物を言わせて弾幕を張ってくる敵に一人では苦戦しているようだ。
「泉美、コインコイン!もっかい!」
「いや……私はもう……」
死んでしまったからコンティニューなんて出来ない。
人生はゲームじゃない。もし、このゲームの中にいる二人が私と奈津美だったら、私は早々に撃たれて死んでしまっているのだ。その逆も、もちろんありえる。
「あー死んじゃった……これ結構ムズかしいよぉ」
悔しがる奈津美に、「そろそろ出よう」と声を掛けようとしたところ、不意にコイン投入口へ百円玉が放られた。奈津美のコンティニュー画面がぱっと切り替わり、ライフが全回復する。
「やる?」
振り返るとラフなスタイルをした、二十代か三十代といった年格好の男が百円を持って聞いてきた。咄嗟に首を横に振ったが、そんなことは意にも介さず男は投入口にその百円を入れた。
「貸して」
なんとなく持っていたままだったコントローラを素早く手に取ると男は私のポジションを押し退けるように画面に向かって発射した。
「あ、あれ?」
隣の奈津美が不思議そうにするも目の前の作業に手一杯なのか、再び前を向いて引き金を引き続ける。
「俺けっこう上手いっしょ」
得意げに言うその態度の通り、私が死んでしまったポイントを軽く受け流し時には奈津美のカバーまでしてラクラクとステージを進めていく。
いつの間にか、周囲に男と同じような格好の連中が二、三人立っており私達と筐体を囲んでいた。
時折、コントローラを持つ男に野次を飛ばしながら囃し立てている。
「あー、残念。コイツ強いからさ、なかなか勝てねえんだよ」
しばらく順調にステージを進んでいたがボスと思わしき大型銃火器装備の大男相手に惜しいところまで行って二人のライフが尽きた。
「惜しかったねぇ! ていうか、お兄さんたち、誰……?」
今更のように首を傾げる奈津美に私も同意見だ。
すると男はニコニコとしてから、
「ああ、俺ら? 仁貴会」
笑みを消した。
どこまで走っただろう、私は奈津美の手を絶対に離すまいとしながらゲーセンを飛び出した。
男たち以外にもそれなりに人が居たのが幸いしたのか周囲の人波に飲まれるようにして追跡の手を逃れられた。
「はぁっ、はぁっ……今日は走ってばっかりだよ……」
私はビル陰に奈津美を押し込みながら、荒い息を吐く。通りを覗う。
どうやら、ゲーセンを出てからお互いに居場所を見失ってしまったようだ。
「ねえ、さっきの人たちって」
「……ヤクザ」
私が苦々しく言うと奈津美はきょとんとした。
「でも私たち、なにもしてないよ? 追いかけられることなんて……」
「私がいるから」
ますます難解そうにする奈津美に私は目線を逸らしながら告げる。
見る目があると自負していたくせに、繁華街に紛れ込んだ男たちの正体を見抜けなかった。
「あのね、私の家、あのヤクザさんたちと因縁があって……とにかく捕まるのはマズイ」
意識的に、自分の家もまた極道なのだということを避けた言い回しをした。卑怯だ。
「うーん、なんだかドラマっぽくなってきたね」
暢気に言う彼女に多少の苛立ちを覚えたが、一般人の反応として無いこともない。実際に自分がどれだけ危険なのか身を持って知らないと実感なんてしない。私がそうだったように。
「駅まで行こう。電車乗っちゃえば追いかけてこれないよ」
警察署までは行かない。おそらく私のせいでややこしいことになるだろう。もし助けを求めることになるとしても、一時避難の場所としてのみ考えたほうがいい。ヤクザもさすがに国家権力の象徴には近づかないはずだ。
蔵野を呼び出して、私たちを自宅まで送ってもらうのがベストだろう。しかし、完全に私の顔が割れてしまっている。
これは本格的に仁貴会との確執を精算しなければ私はずっとヤクザの護衛をつけて生活しなければいけないことになる。
そして奈津美も最悪の場合、私と同じ状態になる。奈津美が私と最も親しいと看破されてしまえば、捕らえた彼女を口実に護衛の目を盗んで出てこさせることも可能だ。キムラがやったように。
いや、そもそもどこまで仕組まれている?
私を利用して仙庭組へ本気で仕掛ける気であれば、事はもっと深刻だ。キムラの存在でまず学校が割れているのだから生半可な護衛で日常生活を送るのはもはや足りない。
この土地から離れなければならない可能性も……
「泉美? 大丈夫?」
酷く汗をかいていることを心配したのだろう、奈津美が私の肩を抱く。
「ん……大丈夫」
なんでもない、と微笑んでみせる。
私は本当に迂闊だった。本来なら、もう大人しく実家へ帰り状況が終息するまでなんらかの対策を講じなければいけなかったのだ。
蔵野たちが一週間前から何度も護衛を願い出ていたのを断り続けたツケが、いまここで帰ってきた。
最後の思い出作りなんて、することを許されるはずがなかったのだ。
「ごめん、奈津美……私、奈津美に酷いことしちゃった……」
彼女の身の安全が保証できない。私はどうしてこんなに無力なのだろう。
「え? え? なにも、奈津美はなにもしてないよ?」
「これから、酷いことになる」
ふと、大通りを闊歩する見知らぬカップルを見つけた。肩を寄せあって、時折交わされる会話に互いが微笑み合う。
男は、当たり前のように彼女に想いを告げ、当たり前のように陽の中を隣の彼女と二人歩いてゆくのだ、とても幸せそうに。
私には何一つ無いものを持っているその姿に理不尽な嫉妬が湧く。知らず下げた手が拳を形作る。
「ごめん。……絶対にそれ以上、迷惑はかけないようにするから……もう、私は――」
あなたの前には現れないようにするから――。
爪が手のひらに食い込んだ。
「泉美」
私の堅い拳に、暖かいものが触れた。奈津美の手のひら。ぎゅっと、力を込めて包み込む。
振り返ると、風邪で倒れた日保健室のベッドの上で見た彼女の顔と重なる。ふっと力を抜いて奈津美は微笑んだ。
「大丈夫、私は酷いなんて思わないよ。だから、そんなに悲しそうにしないでよ」
気丈に振る舞う奈津美に、安心感より不安が募る。
そんなことを言っても、きっと後悔する。私に関わったことを、後悔するんだ。
「早く、行こう。あいつら、もしかしたらもう近くまで来てるかもしれない」
「泉美……」
包まれた拳を解く。ある程度の人通りを見込んで紛れてしまえば警察署までそう遠くもない。
奈津美に目配せして歩き出しながら、私は後ろを振り返らずに言う。
「私は、本当に酷い人間なんだ。生まれた場所も酷ければ、性格も酷い。だから……」
「そんなことない!」
強く否定する言葉に私は思わず歩みを止めた。すぐ後ろに付いて来ていると思っていた奈津美は、数歩以上離れた道の途中で佇んでいる。
それはどこか親に置いて行かれて途方に暮れる子供のようにも見えた。
「だって、私のこと新宿で見つけて、助けてくれたじゃない」
「あれは……」
偶然通りかかっただけで、そもそも最初は下心だけで近づいた上に深く関わるつもりなんて無かった。
適当に遊んで、楽しい思いをして、三日後くらいには忘れてるような表面だけの付き合いで充分だった。
バーで働いていた時でさえ、無意識にそういう気持ちが働いていたと今になって思う。
居場所と決めて逃げ込んだ先でも結局、誰かと深く繋がろうなんて考えていなかった。
「私、平気だよ。泉美は私の友達だから。どんなことをされても、平気」
だから、男はつけ上がるんだ。そう言いかけた言葉を飲み込む。
なぜ、彼女はこんなにも私一人に親身なのだろう。
なぜ、そんなにも友達ということにこだわり、その上に絶対の信頼を置いているのだろう。
「……泉美は私の友達だよ。だから、そんな……離れていくようなこと、言わないで……」
言葉尻は消え入るように。縋るような瞳が私をじっと見つめる。
もしかして、奈津美は――
学校で、クラスで孤独なのではないだろうか。
私は学校内で彼女と誰かが親しげに話しているところを見たことがない。ずっと保健室に引きこもっていたからだといえばそうだが、彼女の言動から普段の交友関係が全く見えて来なかったのは事実だ。
花に例えてもおかしくない可憐な外見、ともすればふとしたきっかけでつまらない嫉妬や妬みの対象になる。孤立すればするほど周りとの会話はなく、けれど男ウケがいい容姿は男子を魅了してしまう。どちらかと言えば男目線で女性を見る私にはその想像が当たりである確信があった。
いくら天然気味でドジだとしても、落ち着きある高校生が何もないところで躓いたりしないだろう、何度も。
頻繁に学校をサボるその理由は天気がいいからなんて、いくら奈津美でも頭にお花畑が咲いてるような人間であるとは思わない。
私の噂話を知らないなんてまず居ないと思っていたが、そのネットワークに入っていなければ耳にすることもないだろう。
人は誰かと接するとき、無意識に相手に合わせた仮面を作る。
私に見せる天真爛漫で人懐こいマスクはその実、教室ではどう変化しているのだろうか。
暗い瞳の彼女を想像するのは嫌だった。
「とにかく、ここで立ち話できる余裕ないから……」
私は戻って彼女の腕を取り、大通りを小走りに駆け抜けた。




