72 コーヒータイム 前編
都市型熱波が顕著に現れ、地元地方局のニュース番組でも連日「熱中症にご注意ください」と大騒ぎしていた長野県の県庁所在地長野市も、セミの大合唱がやがて鈴虫や秋の虫たちの大合唱に変わる事で、過酷だった猛暑からひつじ雲の似合う秋の風景へと変化が訪れ始めている。
“頬を撫でる風が爽やかな季節”
この長野市の北部地域においても、巨大な団地群や主要幹線道路の傍には稲田が広がっており、それまでは鮮やかな緑色に彩られ艶々に輝いていた稲穂が、徐々に徐々にと黄金色に輝きを変えるそんな季節の事。
この長野市北部の巨大な団地群を南北に縦断する、県道荒瀬原線沿いに隣接された郊外型店舗の中にぽつんと建てられた個人経営の喫茶店「コーヒータイム」では、近年稀に見る賑わいを見せていた。
『オニオングラタンスープの美味しいレトロな喫茶店』
評判を呼んだ一番の理由はこれであり、地元住民の口コミから発生した波は他の市町村にも波及し、“珍しいモノには即飛び付くが飽きっぽい”長野県民の県民性をがっちりと掴んだそれは、ちょっとした地元のブームになっていた。
週末金曜日の午後、従来のコーヒータイムであるならば、奥様方が集いお茶を飲みながら午後のひとときを談笑で過ごす程度の賑わいであったのが、夕方になればなるほど学校帰りの女学生の集団であったり女子大生の集団であったり、OLさんの集団であったりと……ひっきりなしに客が現れ、このまま夕方から始まる夕飯時の掻き入れ時に向けて店員を休憩させられないほどに忙しくなっている。
流行り病のようにいつかはこのブームも途切れるのだろうが、コーヒータイムのマスターとアルバイトの江森美央は「たまにはこんな忙しさも楽しみの一つ」と、額に汗しながら丁寧な仕事に努めていた。
時間は十八時に差し掛かろうとする頃、相変わらず賑やかな店内にカランコロンとドアベルが響き、新たな来客を知らせる。
ーー店内に入って来たのは一人の少女。真新しいブレザーの制服から察するに、今年春先に進学したばかりの高校一年生ではと推察出来る。
多分、誰かとこの店で落ち合う約束でもしているのか、その少女は入店するなら不安げな表情でグルグルと店内を見回している。
夕飯前だと言うのに、オニオングラタンスープとホットサンドを別腹に溜め込む女子高生たち。
なんだかんだで甘いもの狙いよと、イチゴパフェやフルーツパフェに舌鼓を打つ女子高生。
オニオングラタンスープを写真に収めて投稿アプリにアップロードしようとする女子大生たち。
それらのかしましい光景を「お子ちゃまね」と側で見ながら上司の悪口を肴に、砂糖をたっぷりと入れたオレンジペコで喉を潤すOL軍団など、女性っ気がムンムンと溢れかえる店内において、新たに入店して来た少女は同世代の者たちには目もくれずに、お目当ての人物を探し続ける。
「あっ、いた! おば様」
店内の窓側に並ぶボックスシート一番奥に少女の視点が定まる。
やっとお目当ての人物を見つけたのか、不安げな表情は一気に消え去り、あどけない笑顔の元に無邪気で朗らかな空気がまとい始めた。
「おば様、お待たせしました」
幾分高揚した顔付きで席に着いた少女は、あらためて遅れた事を詫びながらも、初めて入った喫茶店に興味津々なのか、キョロキョロと視線を遊ばせている。
「姫ちゃん、おば様と呼ぶなって、あれ程言ったのに」
周囲の客に自分が「おば様」と認知されてしまったその女性は、綺麗に整った眉を吊り上げて猛抗議。だが、このガキぶん殴ってやろうかと言う直情的な怒りには支配されておらず、この少女との分かり合った関係の上での抗議である事から、二人は身内のような密接な関係であるのが伺えた。
「夏織さん、ごめんなさい。ついつい……」
「ただでさえ姪っ子の著しい成長に対して、自分の歳を自覚しやすくなって来てるんだから、もう呼んじゃダメよ」
身体の見事なラインがくっきりと際立つビジネススーツを着たその女性は、姫ちゃんと呼んだその姪っ子を諌めながらも、メニューを差し出しつつ好きなものを注文しろと促す。
メニューを受け取った「姫ちゃん」は、目をキラキラと輝かせながらページをめくり、喫茶店デビューの記念日に何を頼むか真剣に悩み始める。
「無難なところでパフェにすれば? 」
「しかしですね、このクリームソーダなるものが気になって……」
いらっしゃいませと、ちょうど水の入ったグラスを差し出した店員の美央に向かい、ブレンドコーヒーのおかわりとクリームソーダを頼んだ「夏織さん」は、ポーチから細身のタバコを取り出して火を付ける。
そしておば様がヘビースモーカーだと幼い頃より知っていた「姫ちゃん」は、嫌な顔一つせず学生鞄を開けて大きめの茶封筒を取り出し、開封もせずにそのまま夏織に差し出した。
「ありがとう姫ちゃん」
「お父さんが言ってましたよ、お札ぐらい自分で取りに来いって」
「やあよ! だって神社に行く度にあのバカ兄貴が働け働けって説教するんだもん。働いてるっちゅうねん」
「え〜、でもそれ、お父さんは夏織さんの事心配してるんじゃないんですか? 」
「それはそうだろうけど、【読み屋】が軌道に乗ってるから、心配事なんて無いのに」
「でもでも、中身は見てないけど、そのお札からは強烈な命令を感じますよ? 危険な祓い事してるんじゃないんですか? 」
「……勘の良い子供は嫌いよ。ふふっ大丈夫、最後の仕上げに取っておく保険みたいなものだから」
準備が整ったのか、二人が挟むテーブルにはおかわりのブレンドコーヒーとクリームソーダが置かれる。
生まれて初めてクリームソーダを口にした姫ちゃんは、頬っぺたを真っ赤に紅潮させながらその魅惑の味に身体をよじらせて幸福の悶絶を始める。
そして一方の夏織は初めての経験にとろけそうな姫ちゃんを見ながら、クリームソーダも知らないとか、、、あのバカ兄貴はどんな教育してんだよと苦々しい表情を浮かべていた。
ーーこの二人、冷静に分類するとあくまでも普通の叔母と姪っ子なのだが、先の会話からも察するに普通の世界にはいない人物たちである。
叔母の名は「都住夏織」29歳
首都圏に拠点を置くフリーランスの「読み屋」である。読み屋とは言葉の通り読めないものを読み解く者の事を表し、残留思念や故人の遺品から当時の状況をイメージ復元させる力を持っている。
戸隠流修験道と密教を祖とした「都住家」の読み解く血を色濃く残す者であり、その能力にビジネスチャンスを見出し、古来から神社を護っていた都住家から飛び出してしまったのが都住夏織なのである。
今は懸賞金のついた指名手配犯の行方を読み解いて生計を得ていた。
そしてもう一方の少女の名は「都住姫子」16歳
古来より長野市・善光寺平の鬼門を護る刈田神社を護る都住家の当代長女である。
都住夏織の兄であり、刈田神社の神主である都住英心の娘であり、不確定要素が過分に含まれてはいるのだが、都住家始まって以来の力持つ者として、巫女としての将来を期待された少女である。
父である英心から厳しい教育を受けて来た理由もあるが、十六歳にもなってクリームソーダの味すら知らない今どき「鈍臭い」女の子なのだが、持って産まれたポワンとした穏やかな雰囲気で、剣呑な空気や悪意を全て打ち消して来た性質も備えていた。
クリームソーダに浮かんだアイスを平らげ、エメラルドグリーンに輝くジュースを飲み干し、まだ足りないなら好きなものをどんどん選びなさいと促された姫子は、有頂天になってメニューをしきりに行ったり来たりとさせているちょうどその時、話は変わるけどと夏織が真剣な眼差しを姫子に向ける。
本来ならばあのバカ兄貴に直接言うべきなんだろうけど、実家の敷居をまたぐ気が全くしないから、姫ちゃん代表して聞いてくれる? と、夏織は真面目な話を切り出した。ーーもちろん、姫子のためにチョコレートパフェを注文した後にだ。
「姫ちゃん、大勧進の宗雲さんにさっき会って来たんだけど、都住家にはまだ話してないって言うから私が姫ちゃんに話すんだけど……」
何か上手い事宗雲さんに使われちゃったかなと、小さな声で自問自答しつつも、姫子に向かって宗雲の話を切り出した。
……桐子が見つかったって……
たった一言
夏織のこのたった一言で姫子はピタリと硬直し、あっという間に穏やかだった表情が蒼ざめる。
それだけ姫子や都住家にとっては恐怖の象徴のような言葉なのだろう、姫子は完全に怖気付いてしまい、涙目になりながらスプーンを置いた。
叔母としての本来の立場なら、大好きな姪っ子が目の前で怯えているならば元気付けるのが筋道なのであろうが、言わなければならない事、伝えなければならない事は、しっかりと託さなければならない。
心を鬼にした夏織は、二本目のタバコに火をつけて再び語り出した。
ーー都住が所有する文献では、室町時代を最後に姿を消していた禁断の呪物。使い手の能力によって左右はするが、国家転覆・幕府転覆にまで使用された事のある桐子が、つい最近長野で発見された後に、木下宗雲の手によって浄化された。
宗雲が確認したところ、桐子の質は感応した者に自死を促す無差別大量殺人の類。作成された時期は昭和初期の戦前ではあるが、宗雲が今まで見聞きして来た桐子の中では「九字の印」を切りながら組まれた今まで見た事も聞いた事も無い全くの異質なタイプ。
つまりは、出所も起源も目的もはっきりしない不気味な桐子が突如発見されたんだ。その意味は姫ちゃんも分かるはずよーー
「夏織さん……私怖い」
祖父も、曽祖父も、その前の代もその前の前の代も……歴代の都住が受け継ぎながら後の子孫に遺して来たのはあくまでも警鐘。桐子を見付けたら手遅れになる前に処分せよと言う教えのみ。実際に桐子を処分したり、桐子を作った外法の者と対峙した事などまるで無いのである。
ーーそんな恐怖の夢物語が、よりによって何で自分の代に現実として立ち塞がるのかーー
立ち向かう自身が無いのか、震える姫子は今にも泣き出しそう
だが、目に入れても痛くないほどに、この姪っ子が可愛くて可愛くてしょうがない夏織は、無思慮の恐怖は捨て去れとばかりに、二つの情報を提示した。
一つはもちろん、先程も述べたように「桐子は浄化・処分された」と言う意味の念押し。恐ろしい桐子であっても無限に恐ろしい訳ではなく、人の手で処分出来るのだ、立ち向かう事が出来るのだと姫子の恐怖を和らげたのだ。
そして二つ目の情報。むしろこちらの情報の方が姫子の勇気を奮い立たせるに適した情報とも言えるのだが、それは姫子に強烈な驚きを持って向かい入れられた。ーーすなわち、桐子の存在に気付き、桐子を発見して木下宗雲に浄化を依頼したのは、その道の者では無く単なる探偵業者であったのだと。
「凄い、凄いですねその人! どこの探偵さんなんですか? 」
「それが宗雲さん……全然教えてくれないのよねえ」
雲行きが変わり、光の一筋が見えたのか姫子はその「探偵さん」の素性に興味津々。
霊能力も修行の経験も無い単なる一般人が考察だけで桐子に対抗出来るとはと、夏織もまだ見ぬ探偵に想いの翼を広げるのにはまんざらでも無い様子。
ーーカランコロンと……ドアベルを鳴らして入店して来た垢抜けない男性がその人物であるとは、ゆめゆめ気付けない二人であった。




