099 鼻血の代償
――気がつくとベッドに寝かされていた。
隣に目を向けると、サンドロが心配そうにこちらを見守っている。どうしてベッドにいるのか尋ねた。
「サンドロ、なぜ私はベッドで寝かされているのかにゃ。教えてほしいにゃ」
「まさか……覚えていないのですか? え、ええと……それは……」
サンドロは答えに詰まり、視線を宙にさまよわせる。
どうやら説明に困っている様子だったが、そこへちょうど扉を叩く音が響き、サンドロはこれ幸いとばかりに席を立ち、扉へ向かう。
「失礼しますが、どなた様でしょうか?」
「その声はサンドロ君だね。俺だよ、アークだ」
来客がアーたんだと分かった私は、すぐにサンドロに目配せを送る。サンドロはそれに応えて、扉を開き部屋へ招き入れた。
「さっきは大変だったね。迷惑をかけてすまなかった、サンドロ君。それで、ミリーは起きているかい?」
「迷惑なんてとんでもないです! 僕のことは大丈夫ですので、気にしないでください。それに、ちょうど先ほど、ミザリー様も目を覚まされました」
アーたんは部屋に入ると、まずサンドロと軽く挨拶を交わし、私の様子を尋ねた。
サンドロから、ちょうど目を覚ましたばかりだと聞き、ホッとしたように微笑む。
そして、ベッドにいる私に向き直ると、朝の組手で調子に乗ってしまったことを頭を下げて謝った。
「ミリー、さっきは力加減を間違えてしまった。本当に申し訳なかった」
「……別に気にしなくていいにゃ。それに、力加減を間違えたってことは、アーたんも追い詰められて余裕がなかったってことにゃ。むしろ、そこまで追い詰められたって分かって、嬉しいにゃ」
私がそれほど傷ついていないと知って、アーたんは安堵したように表情を緩める。
――その顔を見ながら、ふと、組手を終えた後に一度意識を取り戻したような気がする。そのことが気になり、アーたんに聞いてみる。
「そういえば、アーたんと組手した後、私は一回、目を覚まさなかったかにゃ?」
「……そうか、覚えてないんだね。確かに、あれだけ思いっきり地面に背中から落ちたら、記憶くらい飛ぶかもしれない。……うん、大丈夫だよ、ミリー。組手が終わって部屋に運ばれるまで、一度も目を覚まさなかったよ」
その問いかけに、アーたんは一人で納得したように呟くと、ちらりとサンドロに視線を送り、二人でそっと頷き合う。
そして、「何もなかったから安心して」と告げ、話題を変えようとする。
……けれど、どうしても違和感が拭えなかった私は、さらに踏み込んで問いかけた。
「アーたん、本当に、私はずっと寝てたのかにゃ? 本当は目覚めて……何かあったんじゃないかにゃ?」
私は不安を押し切るようにベッドから身を起こし、アーたんに詰め寄ろうとした。
だがそのとき、自分の服にべっとりと血が付いていることに気づき、思わず動きが止まる。
――まさか、私は大怪我を負って、一時的に記憶が飛んでしまったのでは……。
そんな考えが脳裏をよぎり、アーたんとサンドロが真実を隠して、気を遣っているのだと、推測してしまう。
「アーたん、私はベストレア獣王国の王家の人間であり、国を代表する戦士にゃ。たとえどんな大怪我でも、それがトラウマになるようなものであっても、私はきっと乗り越えてみせるにゃ。だから、どうか本当のことを教えてほしいにゃ!」
私がアーたんに詰め寄り、本当のことを教えてほしいと懇願すると、アーたんはサンドロに少しだけ部屋を外してほしいと告げる。
そして、二人きりになると、アーたんは真剣な表情になり、私が顔を拭いてもらった際に大量の鼻血を吹き出したのだと教えてくれた――。
◆
「今度はあそこに行ってみるにゃ♪」
俺は元気に町を歩くミリーを見ながら、何とか機嫌が直ったことに安堵する。
……朝の鍛錬でミリーに怪我をさせてしまった俺は、お詫びにと顔を拭った際、逆に大量の鼻血を吹き出させてしまった。
ミリーに女性として耐え難い辱めを受けたと責められた――なぜ?
そして、泣き出したミリーを宥めるために、今日だけ何でも付き合うと申し出た。
「本当にゃ? なら、一緒にムスニアを観光するにゃ♪」
ミリーは笑顔を浮かべ、町を一緒に見てまわるなら許すと答えた。
だが、さすがにいつガロン陛下から呼び出しがあるか分からず、長時間、屋敷を離れるのはまずいと思い、屋敷の中で何かしようと提案した。
だが、サンドロ君がそっと前に出ると、静かに口を開いた。
「アイン様に確認しましたが、ガロン陛下は別件で忙しいため、しばらくお声はかからないとのことです」
そう告げられた俺は、何も言い返せなくなった。
それならと、気持ちを切り替えた俺は、こんなに長くムスニアに滞在することは滅多にないと思い直し、ミリーのお願いを素直に受け入れることにした。
――――――――――――
久しぶりにムスニアの町を観光するミリーは、あちこちの店をまわり、気に入った物を見つけては次々と購入していく。
さすがベストレア獣王国の王女であり、S級冒険者でもあるだけあって、懐にもかなり余裕があるようだ。凄まじい量の品物を買い込んでいた。
しかも、それらすべてを大使館へ届けるように手配しているため、手元には一切荷物が残らず、どれほど買ったのかすら見当がつかない。
俺はかなりのハイペースで品物を買い続けるミリーに、その理由を尋ねる。すると、彼女はベストレア獣王国にいる家族たちへの贈り物だと答えた。
――シュバルツ帝国では魔族討伐で忙しく、そんな余裕はなかった。その分を今、まとめて買っているらしい。
たしかに、ミリーたちが帝都ヴァイウスを訪れたころは、街中に魔族が溢れかえり、観光どころではなかった。
――そもそも、それが目的ではないはずだが。
そして、魔族を討伐した後も、多くの建物が倒壊し、お土産を探すような雰囲気ではなかったことを思い出す。
……あの時、俺とフォルテを助けるために、ミリーたちがわざわざ帝都まで駆けつけてくれたのだ。
その恩を思い出した俺は、ガリュウ殿下をはじめ、ミリーの兄弟たちにも、何か贈り物をしたいと思い、ミリーに相談してみる。
「そういえばガリュウ殿下も帝都まで来てくれたよね? あのときはちゃんとお礼も言えなかったから、何か贈りたいんだけど……何がいいかな?」
俺の言葉に、ミリーは少し考える素振りを見せた後、首を振って微笑んだ。
「……気にしなくていいにゃ。ガリュウ兄上が帝都に来たのは、修行の一環でもあったからにゃ。むしろ、魔族と戦う機会を与えてくれて感謝してるにゃ」
それでも、ガリュウ殿下が不在の間、ベストレア獣王国ではリリノイア殿下やサリアナが内政や外交を代わりに担っていたと聞いている。
彼女らの負担を思えば、何かしら礼を尽くしたいと思うのは当然だった。
「アーたんは本当に義理堅いにゃ。……なら、一緒にベストレア獣王国に来て、兄弟たちと戦ってほしいにゃ。実戦こそ、最大の修行になるにゃ。きっとみんな、品物を贈られるより、アーたんと拳を交える方が何倍も嬉しいにゃ」
ミリーはそんな風に言い、俺が何も返せないのを見て、小さく笑う。
俺は次の春休みにスカイたちとレーヨンで冒険者活動をする予定だったことを思い出し、そのついでに立ち寄るなら問題ないと伝えた。
すると、ミリーは目を輝かせながら口を開いた。
「なら手紙を出しておくから、絶対に春休みになったら一緒に行くにゃ!」
そう念を押してきた彼女を見て、大事になりそうな気がして、背中に冷たい汗が伝うのを感じた。
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あと、「呪術と魔法は脳筋に ~魔族から人間に戻りたいのに、なかなか戻れません~」という作品も投稿していますので、読んで頂けたら、なお嬉しいです。<(_ _)>




