084 堕天使
新年度になったらもっと忙しくなった……
「ルキフェル、起きろ。お前が愛する人間たちに危機が迫っているぞ」
フォルテの代わりに召喚魔法の媒介になり、意識を失った俺に誰かが声をかけて起こそうとする。
フォルテの声だが、どこか雰囲気が違う。しかし、昔から知っているそんな懐かしい声で目を覚ます。
まだ意識が朦朧とするが、急いで起き上がりフォルテの無事を確認しようとする。
だが、彼女の姿が見えず、焦りながら周囲を見渡す。
すると、視界の端に、漆黒のドレスをまとった冷たい印象の美女が立っていた。彼女はまっすぐこちらを見ていた。
一瞬、背中に生えた十枚の翼が目に映り、ミゲイルたちと同じ天使かと思った。
しかし、その翼は黒く染まり、魔族だと察する。俺はショートソードを構えて、漆黒のドレスに身を包んだ美女を見据える。
……どこかフォルテの面影がある美女。絹のように艶やかな黒髪を腰まで下ろし、神秘的な白銀の瞳は冷たく光る。
そして、真っ直ぐ伸びた鼻梁に真っ赤でしなやかな唇。すべての部位が異常なまでに整っており、ミゲイルやケビエルと同じ人外の美しさを放つ。
その美しさに目を奪われて言葉を失い呆然としている俺に、漆黒のドレスを着た美女が声をかけた。
「やはり、まだ記憶が戻っておらず、人格も統合されていないようだな……。時間はないが仕方ない、我の記憶を受け取れ」
その美女はすっと近づき、抵抗する間もなく体を寄せた。
そして、真っ白な手を伸ばし、俺の額に触れる。その瞬間、大量の記憶が頭の中に流れ込んできた。
◆
「ルキフェル、本当に魔界に堕ちるつもりか……」
我は深淵文殿から出てきたルキフェルの顔を見た瞬間、魔族たちに寄り添う道を選んだことを悟る。
長い年月補佐してきた我には、魔族すべてが『我が主に仇なす敵』だとは思えないと――ルキフェルは相談していた。
「サタナルか……、やっぱり君には隠せないな。ああ、私は魔界に行き魔族たちの心に寄り添い、不遜かも知れないが救ってやりたいと思う」
「やはり、そうか。お前ならそうするかも知れないと薄々は気づいていたが……。それで妹のミゲイルはどうするつもりだ、何も言わず天界を去るのか?」
ルキフェルは妹の名を出すと悲しげな顔をする。そして、何も言わず別れるつもりだと言って、できれば自分の代わりに支えてほしいと頭を下げる。
「お前の頼みだが、それは難しいかもな。なぜか、アイツは我のことを嫌っているようだ。いつもお前と一緒にいるのが気に食わないらしい」
いくらルキフェルの頼みでも、ミゲイルが望んでいないことを引き受けるのは無理だと肩を竦めて首を横に振る。
すると、ルキフェルはようやく笑顔を見せてくれた。
「そうか、ミゲイルがすまない。どうも妹は、君のことを勘違いしているようだ。私から魔界に向かう前に誤解を解くように話してみよう」
「それは止めておいた方がいいぞ、ルキフェル。多分だが、余計に話がこじれるだけだ……」
ルキフェルには悪いが、ミゲイルが向ける愛情は兄妹の枠を超えているように思う。
私たち天使に親兄妹といえど障害はなく、すべてを平等に愛する権利を持っている。
しかし、ルキフェルの愛は、あくまで『妹』としてのものだが、ミゲイルの方は些か違うようだ……。
ミゲイルも熾天使としての実力は十分。我が主からも高く評価されている。
ルキフェルと比肩するほどの実力を持つ我が、いつも傍にいて補佐しているのが悔しいようだ。
それに天使たちがルキフェルを明けの明星と褒め称えるように、隣に並ぶ我を宵の明星といって憧れるのも、ミゲイルにとってはあまり面白くないらしい。
過剰な愛情を示すミゲイルが、ルキフェルが魔界に堕ちたと知ったときにどのような行動にでるのか心配になる……。
「どうした、サタナル? 何か考えごとをしていたみたいだが、何か悩みでもあるのか?」
思考の海を彷徨っていると、ルキフェルが星空のように輝く瞳で我の顔を覗き込んできた。
「あまり顔を近づけないでくれないか、ルキフェル。一応、我も女なのだがな。周りの天使がよからぬ噂を立てるかもしれんぞ……」
あまり感情を表に出さない我が頬を染めて俯く姿にルキフェルは目を見開く。だが、すぐに苦笑いを浮かべ頬を掻き、頭を下げる。
「君の想い人に申し訳ないことをしたな」
……やはり、ルキフェルには我の想いは伝わっていないと分かり、少し寂しい気持ちになる。
しかし、ルキフェルは天使長だ。今まで我が主――神だけを愛し、そのすべてを捧げてきたのだ。
ほかの誰かを想う余裕などなかったことは、誰よりも近くにいて、支えてきた我が一番分かっている。
この想いに気づかないのも仕方ないことだと受け入れる。
「……君も何か悩んでいるのか? そんな悲しい顔をしないで欲しい。親友である君の心が少しでも癒され安らかになればよいが……」
ルキフェルが静かに近づき抱き寄せて、ぴたりと額同士を当てる。
鼻先が微かに触れ合い、鼓動が速くなっていく。そんな中、ルキフェルが慈しみの気持ちを込めて、神気をゆっくりと流し込んできた。
しばらく抱き合ったまま、ルキフェルは神気を送り続けるとそっと離れる。
「サタナル、魔界に堕ちても、私はきっと君のことを忘れない。迷惑かもしれないが、ずっと掛け替えのない大事な親友だと思っている。だから、もし本当に困ったことがあれば頼ってほしい。微力だが魔界にいても全力で助けに行く」
肩に優しく手を置くと、ルキフェルはまっすぐ見つめて真剣な顔になり、今までずっと支えてくれたことを感謝して、その場を後にした。
――その数日後、ルキフェルが魔界に堕ちた報せを受けた。
今度こそ、この想いを届けるために、我はルキフェルを追いかけ魔界に堕ちた。
◆
瞼を開けると目の前に懐かしい親友の顔があった。
彼女は夜に浮かぶ幻想的な月を思わせる白金色の瞳で心配そうに見ている。
その眼差しはミゲイルに討たれた――あのときのことを思い出させた。
「久しぶりだね、サタナル。君も転生したのかい?」
「いいや、我はこの娘の想いに応え、魔界から召喚されただけだ。お前のように天使に討たれ復活した訳ではない」
「……そうか、君は私の想いを継いで、あの暗く冷たい世界で魔族たちに寄り添い続けてくれていたのだな。本当にすまなかった、すぐに駆けつけなくて」
ミゲイルに討たれ魔界からいなくなった私の代わりに、ずっとあの悲しい世界で魔族たちを導いていたことが胸を苦しめる。深く突き刺さる深い罪悪感――。
思わず顔を歪める私に、サタナルがそっと頬に手を当てて微笑む。
「気にするな、お前と一緒に魔界に堕ちたときから覚悟はできていた。それに私こそミゲイルとの戦いを止められなくてすまなかった。あのとき、我を庇わなければお前が討たれることはなかったはずだ」
私は頬に添えられた手に、自らの手を重ねる。笑顔を消して私以上に悲しみに満ちた表情を浮かべる彼女に優しく語りかける。
「君を失うくらいなら、自らの命を捧げたほうがいい……」
その言葉に彼女はさらに悲しみを深め、小さく横に首を振る。私は彼女の手を握り締めると、頬から伝わる神気を受け入れた。
次の瞬間、背中に漆黒の翼が現れる。
「……やはり、堕天使としての力も失っていなかったようだな、ルキフェル。その冷たくも美しい闇夜を思わせる翼がなによりの証拠だ」
再び笑顔を取り戻したサタナルは、六枚の純白の翼に漆黒の翼を併せ持つ私を見て、大きく頷いた。
そして、意識を失い倒れこむと、私の胸に顔を埋めて「後は任せた」と呟いた。
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あと、「呪術と魔法は脳筋に ~魔族から人間に戻りたいのに、なかなか戻れません~」という作品も投稿していますので、読んで頂けたら、なお嬉しいです。<(_ _)>




