侍従会議5
今朝は霧が濃く、窓の先もほんの手前の突き出した屋根より先には、白い世界ばかりが広がっていた。
こんな日には皿には無花果、片手で紅茶を持ち、読書をするのも悪くないが、生憎優雅な時間を過ごすには、仕事が膨大になりすぎていた。
「これで準備完了……と」
令嬢の宮殿を売却してから膨大となった記録を束ね、持ち上げる。普段目にかかる事の少ない会計書類の写し全てを糸で一纏めに綴じただけの簡素な書籍は私の手作りで、少し構えば解けてしまうかもしれない。
しかしそれ程膨大な取引がこのナルボヌで執り行われたという事実は、私にとってはこの上ない幸福の様に思われた。
私はこの資料を会議室に置き、既にフーケの持ち寄った取引台帳と貸借対照表、そしてリオネルやギヨームが持ち込んだ手紙すべてに目を通す。ジュスタンが全員の傍らに水を置き、最後にタンクレードがナルボヌ内での諸々の問題について纏めた意見書類を持ち込んで、やっと準備が完了した。
秋も深まるこの頃、肌寒さも増し、使用人服の上に外套を羽織り、髪を纏め上げた。衣服と同じように折り重なる紙の群れを全て目を通すと、確かにリオネルの言う通り私はナルボヌの動きについて完全に把握していなかったようだ、と納得させられた。
全員の着座を確認し、「それじゃあ、始めましょう」と一声かける。
一同が一斉に記録を開く。普段通りの口調で、会議の進行を行った。
「……では、現状の宗教活動について報告はあるか?」
司祭が立ち上がる。特別な不満もなさそうな膨らんだ腹がたぷり、と鳴った。
「皆一様に幸福に祈りを捧げております。新教庁への送金も滞りなく。また、葡萄酒の発酵も順調に進んでおります。近いうちにジョアンナ様へも納品出来るかと」
「よろしい。葡萄酒については私にではなく、年の暮れにある祝祭の為にとどめておきなさい。いいわね?」
「ご厚意感謝いたします」
司祭はやや不服そうに頭を下げた。私から祝祭の寄付金とは別に支援金を出す事はこれ以上ない、という意思表示を汲み取ったらしい。彼は毎年の飲み比べを楽しみにしていたのであろうが、今回ばかりは規模が縮小しそうである。
「では、次に、法務について、何かあるか?」
ギヨームが立ち上がる。腹を摩るのをやめ、手元にある今年のアンリ王への手紙を纏めた紙を持ち上げた。
「ジョアンナ様にご確認いただいたとおり、ナルボヌの動向に関して、アンリ王から特別にご指摘を頂いては居りません。此度のウネッザとの運河に関する問い合わせも、『好きにしろ』とだけ返答されております」
「意外ですね……。もっと神経質になっているかと思いました」
フーケが独り言のように呟く。ギヨームは腹を摩り、神妙な面持ちで頷いた。
「確かに、ウネッザとの取引が行われることによって何らかの危険を感じ取る可能性はあると思っておりました。未だ予断を許さない状況と言う事でしょうか」
「もしかしたら、我々の手紙を読んでいただいていないのかもしれませんよ?」
リオネルはいつもの手遊びをしつつ、首を傾げて言う。愉快そうに口角を持ち上げながら、私の後ろに控えるジュスタンに視線を送っているらしい。
「それはそれで好都合よ。どんどん進めてしまいましょう。」
ギヨームが大きな音を立てて席に着く。依然は多少の嘲笑が起こったが、今回は笑い声の代わりに、話したくて仕方が無いという様子のリオネルが口の中をマッサージするくちゅくちゅという音を響かせた。
マッサージの音が途切れるまでの沈黙。彼が口元を動かすのをやめたのを見計らって、私は議事を進めた。
「宜しい。では、次、外務について、何か報告はあるか?」
「今回は実に面白いご報告です。先の運河開通の件で、プロアニアの切削事業者がナルボヌを訪れるという事です。ダンドロ銀行及び在ウネッザ総督よりのご報告です。また、ドージェであらせられるダンドロ商会会長ヴィタール・ダンドロもナルボヌへの来訪をご希望との事です」
リオネルは早口に報告し、最後に手元の資料を確認して満足げに頷いた。
「願っても無いチャンスね。リオネル、訪問日が決まり次第、ジュスタンと私に連絡して頂戴」
「畏まりました」
リオネルはそのままギヨームに視線を送る。訝し気に眉を顰めるギヨームが、ゆっくりと、リオネルに顔を向けた。
「リオネル、何かあるなら言いなさい。情報は共有しなくては」
会議室に沈黙が流れる。暫く睨み合い、リオネルの手遊びが再開すると、ギヨームはあからさまに顔を歪めた。
「いえ、此度の集団旅行の件、必ず内地貴族との交渉が必要不可欠なのでして、ギヨーム様にもお声がけ頂きたく存じまして」
リオネルは少し慌ててフォローを入れたようだ。普段よりは余裕のない物言いに、ギヨームの表情も自然と穏やかなものになる。
「それについては私からもお願いいたします、ギヨーム様。私どもではどうにも信用に欠けるところが御座いますので」
フーケが手を挙げて言う。ギヨームはやや戸惑いがちに私の方を見た。
「お願い、この中では間違いなく、貴方が適任なの」
ギヨームはフーケ、リオネルに視線を送り、最後に満足げな溜息を吐いた。
「畏まりました。万事全力を尽くしましょう」
議場の緊張感が解け、少し雑談の声が響いた。黙ってそれらを静観し、蝋燭が一ミリ分液体に変わるほどの間を置いて、会議を進める。
「有難う。……では、次、各地区長よりの報告はあるか」
これまで沈黙を続けてきたタンクレードが立ち上がる。短くまとめた、最も読みやすい資料を私に寄越した彼は、その資料の原本を手に、暫く周囲に視線を送って回った。
「では、ご報告いたします。冬の時期に備えて、家畜の為に団栗狩りを解禁いたしました。種蒔きもすっかり終え、以前の会議で報告いたしました獣害についても大方片付きましたので、現在は取り立てて問題などは御座いません。バナリテの方も万事順調でして、各地区長も特別な不満を述べる事はありませんでした」
「バナリテが浸透してきたのかしら。獣害についての処理は、有難う。特に問題が無ければ、他に要望等の報告をして貰えるかしら?」
「そうですね。第三地区より、備蓄に関する不安の報告が御座います。共有地の森から遠く、家畜が団栗を食べるには少々不利だとの事です」
「そう。なら暇している兵士で第三地区分の団栗を集めさせましょう。それなら彼らが奥地に向かわなくても済むし、安全でしょう?」
「では、そのように指示しておきます」
「宜しく。では、次、農務官。我が領土に何か問題はないか?」
「特別に御座いません。何事も万事順調、肥料不足の報告も御座いません」
「有難う。引き続き、監督をお願いするわ」
農務担当者が席に着くと、同時に議場の雰囲気が張り詰めたものに代わる。私自身も、秋風の物悲しさよりも深まる降雪への思いに、心臓の鼓動が速まるのを感じる。一同が背筋を伸ばし、フーケが資料を開いて深呼吸をする。ひゅう、と再度風が吹き抜けると、留まっていた嫌な沈黙が和らいだが、益々の緊張感がのしかかってきた。
「では、最後に。わが領土の経済状況について、財務官、報告しなさい」
収穫の時期も終わり、水車小屋も凍傷に喘ぐ季節がやってくる。ナルボヌ家の運命を決める決算記録を、一同が固唾を飲んで見守っていた。




