天啓5
ダンドロ商会開店と同時に、私はジョルジュの名前を叫びながら入店した。扉を蹴破りそうな程の勢いに、開店準備を終えた職員たちがびくりと肩を震わせる。まして、ずんずんと歩み寄るのが使用人服姿の小僧なのだから、彼らの警戒心は一層高まった事だろう。
焦って取り押さえるギヨームの鬼気迫る表情もまた、彼らに危機感を抱かせるのに十分だったはずだ。静謐な美術館に響く怒号は、職員全員の表情をこわばらせ、呼び出されたジョルジュも困惑気味に職員に手を引かれて登場したのだった。
「えぇっと、ジョアンナ様。何かご用件でも?」
「えぇ、ご用件よ!貴方に大金を支払わせるためのね!」
ジョルジュは一瞬顔を引き攣らせて笑ったが、私の悪い笑みに何かを察し、周囲の様子を伺いながら私に耳打ちした。
「ここでは都合が悪いでしょう。ささ、中へ中へ……」
ジョルジュの案内に従い、支店長室に招かれた私は、肌触りの良い革のソファに座る事を勧められた。
ジョルジュの執務室は私の自室ほどではないが広々として快適であり、壁には「監視する絵画」の視線が投影されている。その為なのか、壁は外壁をそのまま内装に移したかのような綺麗なピンク色で、男性の執務室としてはやや異質なように思われた。
土地の狭いウネッザの中庭を真似したものなのか、四隅には鉢入りの観葉植物が伸び、少々殺風景な室内に程よい彩を添えてくれる。ジョルジュは付き添いの職員に対して普段より半音低い声で「ジョアンナ様の口座記録と、後はお水を」と早口に伝える。職員は急ぎ退室し、彼の背中を見送ったジョルジュは、小さく溜息を吐いて革製のソファに腰を下ろした。
「ジョアンナ様、流石に困りますよ……。昨日から行内もピリピリしているので……」
「昨日?何かあったの?」
素朴な質問に対し、ジョルジュは目を見開いて固まる。暫くして、笑顔を取り戻して首を振った。
「あぁ、いいえ。大したトラブルではありませんよ」
「そう、トラブルだったのね、大変ね……。私も気を付けるわ、ごめんなさい」
今回の一件をトラブルとして片付けられてはたまらない。私は深く頭を下げた。ジョルジュは今度は意外そうに目を見開いて、やはり大仰に首を振って見せた。
「いえ、きっと良いお話なのでしょう?それで、ご用件は……?」
彼が要件を窺うと同時に、扉がノックされる。先程の職員が私の口座記録を持って来たらしい。ジョルジュはやはり一段低い声で、「入れ」と指示を出す。素早く入室した職員は、手元の分厚い取引記録をジョルジュの前に置き、踵を返して飲み物を取りに戻った。
遠ざかる足音を残して、暫く沈黙する。頃合いを見計らって、口を開く。
「この前に、城でした川の工事の件、覚えているでしょう?」
「運河を開通させるものですね?それが何か?」
「この交易路の開発権を、私から買い取る気はない?」
「はぁ……」
ジョルジュは呆れたように声を漏らした。彼は心底軽蔑した様子で手元を弄り、口座の残高を確認した。
「ジョアンナ様の現在の負債……7億2801万1732ペアリス・リーブルですか?支払い期限の分を払い終えたとはいえ、安易な債務相殺は出来かねます」
「そう、勿体ないわね。いい提案をしに来たのだけど……」
「話は聞きましょうか。まさか交易路となって副収入が一気に増える、などと言う事は仰いませんよね?」
明らかに先程とは態度が異なる。意図的に威圧的になるように、低く腰掛けなおして、視線を観葉植物の方に向けている。ギヨームが腹を摩っているが、これも普段見せる困惑ではなく、怒りを抑えるための仕草だと思われる。
ここで感情的になれば、全てが台無しになる。私は、直感的にそう確信した。指を組みなおし、顎を引き、上目遣いにジョルジュの顎のあたりを見る。
「聖地巡礼ツアーよ」
「聖地巡礼ですか?ですが、ナルボヌには……」
「ナルボヌには無くても、ウネッザとアビスにはあるでしょう?そのままウネッザの聖地巡礼の旅へと向ければ、これは大きな利益をもたらすはずよ。でも、それにはあなたの力が必要不可欠。金だけじゃないわ、コネもね」
ジョルジュは身を起こし、顎を摩り始める。
この交渉で最も根本的な問いに対して、私が提示する回答が彼を納得させ得るかどうか、これがこの交渉の決め手となるだろう。フーケには申し訳ないが、再び激務に身を投じてもらう必要がある。しかも、それは下準備無しのぶっつけ本番である。
しかし、稼げる。間違いなく。
「ジョアンナ様。質問をしても?」
「勿論」
きた。背筋に汗が流れる。秋の冷えた空気に全身が総毛立った。
「ジョアンナ様のご提案自体は確かに理解できます。しかし、既存の行路を使うのとどの様に違うのでしょうか?私はそれを聞きたい」
「まず、既存のルートでは、アビスから山脈を避け、ネロウ、プロッヴ、マールシャーを通り、海路でジロード、キッヘ島を経由して、ウネッザへ至るという道程になるわね。そうすると、アビスから四都市を経由する旅程では、かなり高くつく。しかも、その旅行には計画から下準備まで、一切を自分で行わなければならない。まさに人生を賭けた一大旅行ね。私が目指すのは、アビス、ナルボヌ、ウネッザと、川で一気にウネッザへ向かう旅程よ。その分回れる大都市は少ないけれど、出費は安くなる。ナルボヌの徴税なんて、旅をしたいと願う人からすれば、大した金額にならないもの。カペルの聖遺物を巡り、さらにウネッザから信仰の中心地へと向かう旅……考えるだけで魂が救われるとは思わない?この企画を運営する権限は貴方に譲ってもいいわ。だって、税収を増やす事が私の目的だもの。悪くないでしょう?この道を通る人が増えれば、交易路として使うのも悪くないでしょうし、川を開通させるのも決して長い距離じゃあないでしょう?」
ジョルジュは顎を引き、眉を顰めながら深く思案する。水が運ばれた時にも我に帰れない程、「迷っている」様子だ。
ここで畳みかけないで、商談が成立するだろうか?
「分かるわ、金を出し渋っているのでしょう。でも、私は既に利益を得始めている。貴方の考えるような危険な踏み倒しなどしないわ。私の主要な収入は小麦だから、毎年ある程度利益を約束できるし」
もしかしたら、フアナとの間で思わぬ利益を得られるかもしれない。流石にそこまでは話すわけにはいかないが。
彼は暫く唸っていたが、終に意を決したらしい。煩悶する頭を持ち上げ、私をしっかりと睨みつけて来た。
「ならば、もう一つ、権限を加えてよろしいでしょうか?」
「ものによるけれど」
「ウネッザ・アビス間の、ダンドロ商会の関係者に対する税制を優遇していただけませんか?無料とは言えません、それではジョアンナ様が損してしまう」
「行商人にまで行き渡らせるわけにはいかないけれど、要人の出張なんかについては約束するわ。一割の通行税を無償にすれば、いいかしら?」
「では、その条件で、後日、私から『いくら出せるのかについて』、フーケ様宛にご返答いたします。少しお時間を頂ければ幸いです」
「勿論……。有難う」
私は潮時と感じて頭を下げた。顔を上げ直すと、そのすぐ目の前にジョルジュの大きな手が差し出されている。思わず彼の方を向くと、口角を持ち上げた顔がゆっくりと頷いた。
私はその手を握り返す。聖職者からは「悪魔の手」、貴族からは「下賤な守銭奴の手」と言われる高利貸の手は、しかし、「商人の私」にとっては暖かい「救いの手」に思われた。




