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吝嗇のバナリテ  作者: 民間人。
石ころと泡の価値
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天啓4

「ジョアンナ様、観光をして帰りませんか?」


 商館の食堂で、黒パンを水でふやかしていると、ギヨームが思いついたようにふと問いかけてきた。


「えぇ?いいわよ、こんな狭い所……」


 確かに観光と言うものは金になるが、現状ナルボヌで参考に出来そうなものはない。そもそも実利のある物以外で買い取れるような金もないので、無駄な浪費を割けてさっさと帰りたい気持ちが強かった。


 商館の朝はどたばたと騒々しく、その中でも食堂は特に騒々しい。行商人が朝起き、井戸水で顔を漱ぎ、両名よりも少しだけ豪華な食事をとりながら、チラチラと私を観察する。貴人である私への商売文句などを考えているのだとすれば大層面白いが、彼らは結局何も言わずに部屋へと戻ってしまう。食事を噛みしめたり楽しむ余裕もないらしい。そう言う私も随分と食事のスピードが速くなったのだが。


「ジョアンナ様、たまには息抜きをなさって下さい。ここのところ、お金の事しか頭にないのでしょう?そう言った事を忘れる時間も必要です、ね?」


「あ、ちょっと……。この格好で行くのは流石に良くないと思うのだけど!?」


 ギヨームは半ば強引に私の手を引く。貴族らしい服装など持ってきていないので、普段通りに過ごすのも難しい。ギヨームはそれでも「いいから、いいから」と強引に手を引き、その力に観念して重い足を引き摺るように歩きだした。


 傍から見たら、何か悪さをした小僧が貴族の男に捕まって自警団に引き渡されに行くように見えた事だろう。人々の視線を大いに受けながら、渋々彼に連行されていく。

 朝食を終えた市民達が楊枝を噛みながら作業をする中で、一際賑わいを見せているのは行商人を受け入れる宿屋である。野宿を避けるためだけの簡素な共同部屋の中で、彼らは敷き詰められるように雑魚寝をし、目を覚ますと同時に忙しく旅立ちの準備を始める。商会所属の行商は、都市ではしばしば商館の宿舎に泊まるが、そうでない場合にはこうして雑魚寝式の窮屈な宿で同志たちと一夜を共にするのだという。宿の前で仲睦まじげに旅立つ者の背中を送る男達も、多くは初対面であった事だろう。宿の裏にある車庫から、馬車が旅立つころには、彼らは立派な商人の顔をしていた。


 思えば、朝の都市を出歩く事は少なかったように思う。宴会や舞踏会、社交会は昼夜に行われる事が多く、朝は祈りの日と朝食の儀式で多忙な事も多い。日が昇る前に起床していた父もまた、鷹狩に赴くのは良く晴れた昼下がりで、都心の朝に出歩くという経験は殆ど記憶に残っていない。

 靄のかかった白い朝日に目を細める。そんな機会に出くわすとはとても思っていなかったので、市場開場の鐘が鳴り響くまで大通りをぼんやりと眺める‐実に、贅沢な時間!‐を堪能するのも悪くない。


「アビス大聖堂は朝日が城壁から昇る瞬間に、鐘がその光を反射するように設計されているのですよ」


 ギヨームは雑踏に身を縮ませながら、やや早口で解説をした。久しく見る事の無かった朝靄の中に鐘楼の長い影が伸びる。天を支える大聖堂の、鐘楼を見せるアーチの中で、小さな赤い太陽が燃える。その背後から徐々に空が光を帯び始め、夜の青、日を区切る赤が曖昧な空色に変わり始める。


「……光が」


 私は思わず目を細めた。人間を人間たらしめる原初の火、その油を天へと注ぐ標のすぐ真後ろから、白い光が乱反射する。やがて空の色が一面爽やかな空色に変わると、光を都市に分け与える鐘楼がぐぉん、ぐぉん、と音を奏で始めた。


 カペル王国の主宰神、花の女神カペラを讃える讃美歌だ。とりわけ旧い時代の賛美歌を奏でながら、陽光を都市に遍く行き渡らせるアビス大聖堂の鐘楼は、宛ら神の分身、或いは神の言葉を伝える者のように、永遠の空の光を映していた。


「宗教観光と言えば聖地巡礼の旅を企画したウネッザですが、カペル王国は単一でその追体験を出来る。罪の許しを請うにも、永遠の幸福を願うにも、このたった一つの鐘の音だけで十分だと、そう思えはしませんか?」


 ギヨームは慈しみながら天を仰ぐ。恵まれない人々が大聖堂に向けて歩き出す。商店の扉が次々に開かれる。アビスは神の光と同時に、その営みを再開させ始めた。

 宗教的感動が日常化する人々の姿に若干の嫉妬を抱く。それと同時に、溌溂とした知性の光が、神の恵みのように脳内に染み渡った。


「ウネッザとアビスを繋ぐことが出来れば……それよ!」


 旅立つ先は常に明るく照らされるべきだ。このアビス大聖堂の炎のように。


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