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吝嗇のバナリテ  作者: 民間人。
石ころと泡の価値
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勝負5

「私吐きそうなのだけれど……」


「申し訳ございません……」


 汗だくの大男が、使用人服の女に頭を下げる構図など見せたら、町の人々は彼の住む家に石を投げ込むに違いない。様々な笑い声が響く食堂で、粗末なオニオンスープに固いパンを浸した男女二人組が項垂れていた。


 慌てて入場したは良いものの、大声で「売り」と手を挙げるタイミングはおろか、市場の中に入り込む余地すらなかった。

 店内には余裕に満ちた談笑が満ちている。安価な狼の皮の上着から、高価な彩色のタイツ姿まで様々な男達が、水を片手に冗談を言い合っている。奇妙な遍歴職人の話や、下品な大道芸人の話、近所の娘が嫁に行った話など、仕事の話をする者よりも個人的な楽しみを話し合う人の方が多い。それが却って、私を苦しめた。


 打ちひしがれる私に対して、ギヨームは視線をあちこちに向けながら、町の景観を観察しているらしかった。アビスの景観はそれほど美しいわけではなく、どちらかと言えば繁華街の楽しさに近い物がある。彼も時折この町に訪れるだろうが、その時には中々ゆっくり見物できないのかもしれない。特に、市場に立って金を数える男の様子や、家畜を追い出そうと鞭を地面にたたきつける魚屋の様子、色鮮やかな懐かしい食卓を思い出させる八百屋の陳列棚などは、気を引くなとは言えないだろう。


 店内に葡萄酒の樽が数本送り込まれる。つい先程まで苦楽を共にした友人は、黙って調理場前のカウンターに置かれ、暫くするとすぐにその栓が抜かれてしまった。あの鮮血が流れ切るころまでに、私はアビスの市場に対応しきる事が出来るだろうか?些か不安が込み上げてくる。


 ギヨームは景観を眺めながら、突然小さく口を開けた。不審に思い顔を持ち上げると、既に市場の開始に向けて動き出した人々が、織物組合の会館前に集まっている。色鮮やかな単色や、煌びやかな絹のきらめきが、丁寧に並べられ始めていた。


「ジョアンナ様。どうやら市場の彼らは、前に小僧を行かせて、売りや買い、の声と同時に走らせているようです」


「……そう。身軽なのに任せて判断は自分が行うというわけね。巧いわ」


 とはいえ、私は特別身軽ではないし、ギヨームは体格が大きくてその様子ではあまりに目立つ。このごった返しの市場で、果たして私達が取るべき戦略とは何なのだろうか。


「ジョアンナ様。後ろで金額を見て、彼らの主人のように売却の判断をしてはいただけませんか?」


「え、貴方が行くって事……?」


 皿を片付ける音がちらほらと聞こえ始める。私は慌ててスープを飲み干し、パンを懐に仕舞った。

 ギヨームは重そうな腹を撫でながら、何故か上目遣いに私を見る。


「市場の事はフーケ様から話を伺っているジョアンナ様の方がよく知っているところでしょうし、周りが身軽な小僧なら、『私の肉体が確実に活きる』のではないかと」


「あっ……」


 ギヨームは法務官だが、父と共に肉体を鍛え続けた軍人でもある。小僧に体力がないと言えば嘘になるが、その程度の力を抑えられない程衰えてもいない。そもそも、小僧を走らせる意義は、多くの見知らぬ人々が利用する市場で先んじて売り抜けをするための、いわば地元の商人達の「知恵」であり、実際には、彼らは自分で向かって行っても良いのだろう。そうすると、一枚の証券を売り抜けるための知恵としては、相手よりも先に売り抜けをするための戦車を使うという方法もあっていいだろう。


「しかし。そうすると責任重大ね……。今度は胃が痛くなってきたのだけど」


 圧倒された身だけに、である。オニオンスープや瘴気が当たったわけでもあるまい。


「主君の声を聞き分けられない程、私の耳は衰えておりません。ジョアンナ様には優れた部下達がいる事を、お忘れ無きように」


 彼はそう言うと、オニオンスープを飲み下し、パンを一口で頬張って見せた。彼はむせそうになるのを我慢して、微笑に変えて見せる。


 元よりこれを決めたのは私である。腹を括って、覚悟を決めなければならないだろう。


「行きましょう。直ぐに走れるように準備しないと」


「はい!」


 私が立ちあがると、それに倣ってギヨームが付き従う。腹がつっかえて一瞬机が音を鳴らしたが、それは周囲の注目を集めるほどの大事ではなかった。店主が近づいてくる。私は懐から財布を取り出し、一切の過不足ない金額を取り出した。

 店主に対価を投げる。二人分の金額を受けて、威勢のいい感謝の言葉を受けた。

 食堂の賑わいは勝ち誇った声ばかりではない。道行く雑踏も余裕に満ちてはいない。そう気づいて初めて、私の足は、この町には、ナルボヌの泥濘ほど足元を掬われるものが無いことを知ったのだった。


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