奉公人
「仕える」と言う幸福についていくら熱烈に語っても、世間は格別にそれをもてはやしたりはしない。熱射に当てられて思考が遮られる様な間にも、何気なく気遣いを入れるような主君に奉公するというのは、金銭で買うにはあまりにも虚しい献身であると言えよう。
私がそうした雰囲気を彼女達、つまりは特別遊撃隊の方々から感じ取ったのは、彼女達の素っ気なさと、仕事に対する熱意との奇妙なギャップの為であった。
例えば、私であれば、そよぐ風が心地よく、汗の臭いが衣服に纏わりつくこの陽気な季節の、長い日に温められた空気は、蒸し風呂に入った時のように鬱陶しくもあり、洗濯の喜びをより一層深めてくれるという側面もある。手もみをする際の頭頂の熱さはいただけないが、水流の中に手を晒す心地よさを損なうものでもない。
彼女達もこの遠征を、そのような幸福感の中で勝ち取ったように感じたのである。
夜半の特別遊撃隊が如何なる動きを見せるのか、警戒をしない領主などいないが、ナルボヌ家は特別な防備を備えてはいない。かつては睨みを聞かせていた鎧も無く、使用人らが警戒しながら彼女達の部屋の前を通り過ぎるたびに、覗き穴を見るだけである。勿論、彼らにそうするように言ったのは私であり、そうした指示がジョアンナ様の意図に反する事も把握していた。
深淵の中にカンテラを揺らしながら、苔生した階段に革靴の音を鳴らしながら進む。螺旋階段に吸い込まれるように、仄かな灯りを頼りに次の廊下を探す。老体が疲労を示し始める頃、急角度の階段の壁際に現れた出口‐丁度そこには三段分ほどの階段と同じだけの広さのある踊り場がある‐から、直ぐの所にある扉にノックする。
現在ではその部屋は誰も利用していないが、先代の治世では宿直室として、直ぐ奥にある従者の寝室を観察するために利用していた。現在利用されていないのは、単純に私がその隣の空き部屋を活用しているからであって、特別な意図はない。とはいえ、ここ数か月は掃除しかしてこなかった物置同然の狭い部屋で客人をもてなし、しかもまるで蜜を与えるかの如く警戒心の弱い我々侍従達の往来を監視できるような場所に彼女達を泊まらせたのは、一体ジョアンナ様のどのような意図が働いているのであろうか。
私は襟を整え、拳を作って扉をノックする。開け放たれた扉からは妖艶なデンファレの香りがむわりとした蒸気と共に鼻を通り抜けた。
気の抜けた姿の二人の女性は、自分達の立ち位置をよく理解して、そのあられもない姿を晒している。それは、男の弱点を知り尽くした彼女達の、「戦い方」の一つであった。
「この香りはデンドロビウム・ファレノシプスですか。異国の情緒を感じるのにはちょうど良い香りです。どこで?」
「ブリュージュには色々と集まるのですよ、賢明なお方?」
シェリーは無防備な太腿を見せびらかすように、しかしごく自然にベッドの上に持ち上げた。そのまま首を傾げて短くまとまった金の髪を垂らす。何者かを誘うのに十分な、恍惚感を抱かせる甘い香りと、やや視界を遮るような十分なる湿気が部屋中に満たされる。私は静かに後ろ手で扉を閉ざし、両の手を後ろに組んで目を細めた。
「見事なるはその慧眼、また周到なる手際の良さ。魔術士と見紛う見事な調合で御座います」
私は白い手袋を解き、ベッドの縁に放り投げる。訝し気なミシェルは机に両肘をつき獲物と思しき者を冷めた瞳で見つめる。
シェリーは足を組み替え、ベッドに腰かける私に手袋を返した。
私は手袋を持つ手を押し戻し、彼女達に視線を向けずに花瓶立てを見つめる。どこから寄越したのか、見覚えのないこの花瓶立ての上では、彼女らの焚く「魅惑的な」香が煙を立てている。むせ返るような強烈な匂いは猛烈なトランスを導く。私は暫くそれを見つめて、顔を覗き込む麗しい女に向けて言った。
「貴方達と私は似ているようだ。貴方達は望んで夫人の掌に口づけをしたのでしょう」
「えぇ、勿論。でも今は……」
彼女は身を寄せ、私の頬に向けて手を伸ばした。私はその手を丁寧に払う。
「結構」
意外そうに目を見開いた彼女であったが、しかし、直ぐに平静を取り戻した。目を細め、穏やかな微笑でベッドに両手をつくと、ゆっくりと私の方にその身を寄せる。私は姿勢を変えずに少し身をずらす。持ち寄ったらしい、ほのかにピンク色をしたシーツは、彼女の重みでやや乱れている、
「フアナ夫人はお元気ですか。私は顔も知らぬ御仁の事は分りかねますが、貴女方を見ていれば、そのお方が威厳のある御仁であることは良く推察できます」
「いけずな人……。あーあぁ、参りました」
シェリーはそう言うと、手近にあった上着を着なおし、露わになった太腿もそれで隠した。
「フアナ様は、表では実にたおやかな方、だけど誰かに傅くような女性ではない。だからこそ、凛とした美しさがある」
「強かな女性だとは伺っております。ですが、私はそれ以上を知りません。何せ、この場所からあまり出ないものでして」
私は両手を膝の上に置き、燃える香の仄かな火を見つめた。暖色の炎がゆらりと揺らぐたびに、部屋中の影があちこちに揺蕩う。
「ジョアンナ様は?私達は甘やかされた姫君だったと聞いていたけれど?」
シェリーは興味深げに私の顔を覗き込んだ。少しずれた上衣が肩を覗かせる。私は思わず失笑を零してしまった。
「そう、ですね。あのお方は随分と甘やかされて育ちました。恐らく私達がいなければ生きられぬでしょう。しかし、彼女は私達に仕える理由を与えて下さる」
「それは、何?」
「この城とこの領民を守るという意思、でしょうか?」
「搾取する対象を守るとは、お笑いね」
机に向くミシェルは淡々と言う。抑揚のない言葉は酷く場違いな冷たさを伴っていた。
「搾取する対象だから、守るのでは?」
私は目を細めて反論する。ミシェルは初めて私の方を向き、微笑で迎え撃った。
「まぁ、そうなの。私達と貴方は違う人種だと思うわ」
闇が覆いかぶさる沈黙の狭間で、視線を絡ませる。交わった視線が細められ、闇の向こうで口角が持ち上がると、私は静かに立ち上がった。シェリーは白の手袋を礼儀も気にせずに放り投げる。私はそれを受け止めると、少しばかり大仰な手つきで身に着けた。
良い話が出来たかどうか。それは、良き人と語らうかで決まるわけではない。互いの心持ちを、その忠義によって鎬を削る言葉を交わす事で以て、初めて成される。もし仮に、この甘い香りが恍惚した唇に埋もれたとしたら、それは良い話とはならなかっただろう。私はドアノブを捻る。
「そうだ、シェリー様。確かに、その唇は、カペラの花冠を揺さぶる事でしょう」
意外そうに口を開けて呆けた彼女だったが、静かに鼻を鳴らして微笑む。
「お上手で」
私は静かにドアを開く。扉の向こうには、肥料のにおいと眩い星光とが広がっていた。




