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吝嗇のバナリテ  作者: 民間人。
石ころと泡の価値
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この愛はただ家族のために3

 ぎぃ、と言う音とともに、安心感を覚えるふくよかな腹が顔を覗かせる。その肉の内側には屈強な筋肉もあろうが、彼の普段の柔和な様を見ると、そうした強い部分は霞んでしまう。仮にも少女時代には私を肩に軽々と持ち上げた事のある人物であるにも拘らず。


「ジョアンナ様、アーカテニアに関していえば、リオネルは勿論、私に相談いただいても構いませんよ」


 そう言いながら、ギヨームはいかにも重そうにのっそりと席に着く。ぎし、と椅子が悲鳴を上げた。


「……。これ、どう思う?」


 私は懐に仕舞い込んだ手紙を差し出した。ギヨームは実にあっさりとそれを受け取り、開いて、目を細めたり紙を近づけたり遠ざけたりしながら、見にくそうに字を追いかける。


「お断りのお手紙ですね……」


「えぇ……」


 改めて家臣にそう言われると、中々堪えるものがある。とはいえ、ギヨームは特別に深刻に捉える風でもなく、相変わらず手紙を思いきり近づけたり遠ざけたりして、程よい距離を測っているらしい。


「ですが、この文言から、ジョアンナ様へ対する不信感は見られませんね」


「そう……なのかしら?」


「私は若い頃から彼について色々と話を伺っておりますし、何度かお話もさせていただきましたが、本当に不愉快な事があると、彼は無言になったり、或いは委縮してどことなく女々しくなるところが御座いました。今回の手紙はかなり堂々と、断りを入れていますから、もしかしたら却って良い印象を持っておられるのではないかと思います。何より、乳母を追い返したりしていないのだから、その情報を彼は知らないのではないでしょうか?」


 ギヨームは読み直すのを諦めたのか、手紙を膝の上に下ろす。彼はそのまま、柔和な笑みを浮かべた。


「ジョアンナ様、私達で、ガルシア卿とそのご家族の暮らしが、劇的に改善する、そんなシナリオを考えてみましょう」


「嘘を吐くような事を……」


「ジョアンナ様。真の幸福とは果たして名誉の中にしかないのでしょうか?私は、それは違うと考えています。ジョアンナ様が渇望する金貨も、ガルシア卿が望む安息も、等しく尊ぶべき幸福ではありませんか?そしてその二つの幸福は、決して相反するものではなく、相互に影響しながら共存するものです。そしてそれらは、全く異なる『質』の幸福だ」


「分かっているわ。でも……」


 例えば、恵まれた暮らしの頃に戻れたら、と思う時がある。蛍を見た令嬢の宮殿での最後の夜や、狩りに連れられた夏の空を思い出した時がそれだ。同じくらいに、渇望するもの、つまり莫大な利益に垂涎する事もある。その二つの幸福の質は違うのだから、ここで私益の為に契約更改のメリットを示す事は、彼らの幸福のうちの全てを奪う事にはならない。家族の幸せを壊さなければいいのだから。

 しかし、本当にそんな事が出来るなら苦労はしない。結局、あの競売に関わった人の中で、一番幸福であってほしいのはガルシア卿だ。

 しかし、その土地柄、私は真っ先に彼らの幸福を踏み荒らさなければならない。

 乳母を受け入れ続けているのだから、ガルシア卿は今も私に「騙されている」のだろう。その上で、彼は何らかの事情を「疑っている」と言うのが合理的だろう。


「今更怖気づいても仕方ない事は分かっているの。もう私が、目の前の金貨に飛びついた後なのだもの」


 最近になって、浅はかな自分が芽生えている事も自覚し始め、それを正当化する論理をこねる事も出来るようになった。

 ギヨームは、静かに深い息を吐き、困ったような笑みを返した。


「……ジョアンナ様。今から私は、貴女を騙します。よく聞くように」


 ギヨームは突然改まると、咳払いをし、いつもの穏やかな表情をした。


「貴女の金貨を求める営みは、清浄な神の教えに反しない。何故なら、貴女は誠実に契約を守ろうと足掻いているのだから」


「一方で、貴女は今嘘を吐こうとしている。それは神の教えに反するが、それは契約を守る為の決意に他ならない。そして、約束を守る事は善行だ」


「神の教えは時に矛盾する。そこに正しさが有るのか、無いのか。それを判断するのは他ならぬ貴女自身だ」


 夏の照りつける太陽が、一番高い時に、彼の巨体は降り注ぐそれを遮り、私を守った。

 何が正しいか、或いは、何を自分の「善」とするか。奴隷を売り飛ばす手助けも善か、領民から税を徴収するのは善か。

 ギヨームは黙って手紙を差し出す。その笑みに偽りはないように思われた。

 汗まみれの顔は穏やかで、私の答えを待ち望んでいる。

 私は頷き、その手紙を受け取った。


 ギヨームは急ぎハンカチを取り出して微笑んだ。彼は他ならぬ、亡き父君の遺志を受け、私を守る騎士だった。


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