淑女フアナは月にも微笑む9
伯爵邸に入るや否や、大量の特別遊撃隊に囲まれる。町娘として見た女性達が、侍女や、高級娼婦の服装をして、玄関口を包囲するように佇んでいる。その視線に思わずたじろぐ私の背中を、リオネルが静かに叩いた。反動で背筋が伸びると、そこからは腰を曲げずに立つことが出来た。
煌びやかな高級娼婦が背後の人物に道を譲ると、海が割られたかのように女たちが道を譲る。背後からは、悠然と一人控えるフアナがいた。
彼女は既に貴族の装いに身を包み、逆光を利用して憮然とした表情に威圧感を添えている。一歩一歩を踏みしめるようにしながらにじり寄る。彼女が前を通ると、彼女の軍隊は示し合わせたように、同時に跪く。
ハイヒールの靴音だけが響く中で、二人の女貴族が向かい合う。ヒールの鳴る音が止むと同時に、三名を残して全員が跪いた。
数秒の静寂後、フアナが口角を持ち上げる。
「態々丸腰でいらしたのですね、舐められたものです」
私は恭しく頭を下げる。持ち上げたドレスの裾から、時代遅れのヒールが覗いた。
「お褒めに与り光栄に存じます。随分と臆病な伯爵夫人」
彼女は目を弧にして微笑む。月光のような深い瞳が輝く。潤んだ微かな輝きに、猟奇的な悍ましさが映る。
彼女は私の発言を鼻で嗤うと、静かに背中を見せる。微動だにしない特別遊撃隊に向けられた、大胆に背中の露出したドレスが揺れた。
「丸腰では背中を追う事もままならぬようで……?」
私が一歩を踏み出すと、リオネルがそれに付き従おうとする。それと同時に、特別遊撃隊達が、リオネルを囲い込んだ。
「ごめんなさいね……。私は貴方とではなく、ジョアンナ様と話したいの」
一瞬の静寂。彼女が単独で私と対話するという事は、明らかな危険性を伴っている。服の裾を持ち上げたままで跪く無数のオブジェクト越しに、ポケットの中に手が入れられた。
「……このまま殺したりはしませんか?」
リオネルは露骨に不信感をむき出しにして尋ねる。露出した肩が震え、弧にした目が振り向いた。
「私は自分の宮殿では居心地よく過ごしたいですもの。私自身が武器を持ち込むなど論外ですわ。お分かりになって?」
弧を描いた目の中で、月のクレーターの如く、瞳孔が潤んでいる。広大な絵画の中に放り込まれたような、怪しい輝きが屋敷中に溢れている。ポケットの中に入れられたリオネルの手が、ゆっくりと持ち上げられた。
「……何だね、これでは私が臆病者みたいではないか……」
リオネルが小声で呟く。私は思わず吹き出しそうになるのを堪えた。
「今更そんな事を気にする必要はないわ。貴方は初めから臆病者よ」
外務担当者はそうでなければ務まらない、私はそう思う。
勿論、彼には無防備の背中が語る余裕に気圧されてでも、道化を演じられる胆力もある事を知っている。
リオネルは静かに微笑み、ポケットから取り出した何かを、私に放り投げる。美しい放物線を描いて光を反射するそれが、フアナの頭上を通り過ぎて、私の胸元に至る。それを何とかキャッチすると、瓶詰の堕胎薬が少量詰められていた。
リオネルが一歩後ずさりすると、特別遊撃隊もすぐに道を開いた。規則正しく布の擦れる音が響く。直ぐに姿勢を正して跪く特別遊撃隊のすぐ後ろ、扉の前では、ポケットの中に手を入れるリオネルの姿があった。
「まさしく軍隊、恐ろしいわ」
特別遊撃隊を一瞥する。フアナはくつくつと笑い、一つ丁寧な礼をすると、扇を開いて口元を隠す。扇越しに頬が持ち上がるのがすぐに分かった。
「貴方はこちらのフィールドにいらしたのだから、もっと警戒した方がよろしくてよ」
ここで動じれば負けだろう。私は堂々とした佇まいで、堕胎薬を胸に仕舞う。
「まさか。刺繍の愉しみを共有する仲ではありませんか」
翡翠の耳飾りが揺れる。弧の形をした目が四つ、各々向かい合っている。会心の切り返しと思われた言葉も、彼女は軽くあしらうように微笑む。
「そうね、同じ穴の貉、と言ったところかしら?」
「貴女ほどではありませんよ」
「ふふっ、まぁまぁ、恐ろしい人だこと」
言い切って、フアナは視線を前方に戻す。特別遊撃隊が一斉に立ち上がった。
そこに他人行儀な言葉はなかった。双方が、整然とした態度で、言葉の刃を研ぎ澄ます。全てが皮肉に溢れた言葉であり、互いの鎬を削り合う。
彼女が歩き始めると、私はそれに続く。背後には、人の気配は感じなかった。




