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吝嗇のバナリテ  作者: 民間人。
宵と明けの顔
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影の采配2

 わが領主の醜態を横目に見つつ、私は一目散に腕を組む目つきの悪い男の下に赴き、跪いて手を差し出した。


「私と一緒に踊りませんか?」


 仏頂面で、鼻の下を伸ばしている者達を嘲うその表情が初めて崩れる。その男は、足を組みなおして、呆れたように鼻を鳴らした。


「男と踊れって言うのかい?冗談を言うな」


「おや、残念。その後、弟君とは仲よくなさっておられるのですか?」


 私はさっさと姿勢を戻し、彼と同じように壁にもたれ掛かった。

 ちょうど陰になった壁際には絹やシャンデリアの光がややくすんで見える。私は指先で火を灯し、男の口元に近づけた。

 男は侍従の尻を足で蹴り上げる。侍従は即座にパイプの準備を始めた。


「シーグルスは信用がならんな。あいつは涼しい顔をして、足に泥を付けて帰ってくる。靴に石を詰めて帰ってくるエルドの方はまぁ、窮屈なんだろうな。あれは単純に権力に興味がないんだろう」


 私はパイプの先に火を灯す。刻み煙草は静かに燃え始め、細心の娯楽に特有の苦いにおいを放ち始めた。


「ヤーコプ殿下と致しましては、その泥は貴方の顔につけるためのものだと、そう思われるわけですね?」


「いや、足元で十分だと思っている節さえある。泥を払うとな、市長が投げられるというのが、あれの戦略なんだろうよ。全く、俺に言葉遣いを選ばせるというのは、腹立たしいったらない」


 パイプの先を齧るように吸いながら、ヤーコプは煙を深く吸い込む。眉間にしわを寄せた、猜疑心に塗れた男だが、この男ほど味方につけて役に立つ男もいない。何せ、次期皇帝、エストーラの第一皇子なのだから。


「そんな事より。おい、(あね)さんがそっちの事を嗅ぎまわっているそうじゃないか?何か我が国に都合の悪い予兆じゃあないのか?俺にも、一つ助言頂こうか?」


 姉さんとは、勿論フアナの事である。勿論、姉弟と言うわけではない。むしろ、血統としては、彼女は現皇帝の姪に当たるので、やや遠いとさえいえる。

 彼とフアナは外交を重視するという点で似通ったところがあり、フアナは張り巡らせた糸のような情報網で、ヤーコプは特権を利用して彼方此方に「目」となる贈り物を送り、監視魔術を敷く事で、情報を得ている。より顕著に異なる点は、フアナがより実際の情報を用いて多少危険な諜報活動をするのに対して、彼はあくまで「目」を通して得られる断片情報から仮説推論を立て、行動をする点にある。それだけに、フアナの方が仕草や自身の動向を隠蔽する事に長けているが、ヤーコプは情報を繋ぎ合わせてより現実に近い仮説を立てる能力にたけていると言える。この辺りは、実際に統治する領土の規模も影響しているのであろう。


「……ご安心ください。情報が一切ございませんので」


 ヤーコプは険しい表情で私を睨む。パイプから立ち上る煙が、外界の賑わいを霞ませる。目を細めた彼は短くリズミカルに煙を吐き出した。


「嘘じゃあないようだな」


「目が泳いでいないから、ですか?」


「いや、お前の場合は目より、鼻だ。鼻が分かりやすいね」


 私が鼻を触ると、ヤーコプは厭味ったらしく口角を持ち上げた。


「まぁ、俺としては、首尾よく今の地位を維持できればいい。カペルとも仲良くするに越したことは無いからな」


 彼は血統からいっても、拡大よりも保守の立場に立っている。それゆえ、貴族からの評判は悪いが、君主からの評判はすこぶるいい。その証拠に、彼の手元にはフアナやフィリップの連名で出された招待状がある。


「しかし、フアナ様としては、どうにもこちらに肩入れしたい理由があるようですが……」


 ヤーコプは苦虫を噛み潰したような表情で頷く。そのままやや前のめりになった彼は、静かに下唇を噛み、一服をして精神を整える。私は一頻りの動作を黙って見つめた。痛そうに尻を摩る侍従は、パイプの煙を気にして見上げている。


「痛い所を付いてくるな、お前は。俺も不審に思っているのはそこなんだよ。こっちの事情を明言することは出来ないが、お前の推測通りだと思う。それだけに、こっちも気が気ではない」


「左様でございますか。しかし、こんな辺境の貴族を招くとなると……余程彼女も情報に飢えているご様子ではありませんか?」


 私はつい、指を回しながらヤーコプを見上げる。見下げる彼は口角を持ち上げながら、侍従の尻を蹴る。侍従が慌てて灰皿を差し出すと、薄くなった煙の筋を揉み消すように回しながら、灰皿に煙草を捨てた。私が指を出そうとすると、彼はそれを止める。私は、なされるままに指先を定位置に置いた。


「カペルには間違いなく秘匿された情報がある。姉さんからの情報は必ず俺の所に戻ってくる。どうだ?ここは手を組んでみるというのは……?」


「悪くないお誘いです。ジョアンナ様にはお伝えしておきましょう」


 私はすっかり心を奪われた様子の主人を白い目で見つめた。ヤーコプはくつくつと笑い、パイプを侍従に放り投げた。


 パイプは首尾よく灰皿の上に乗る。からり、と音を立てると同時に、ヤーコプは姿勢を直した。


「一枚かませるといい。君にもいい恩寵(ギフト)がある事だろう」


 そう言って、彼は会場を後にした。耐え難い苦いにおいのために、舞踏会場は灰色の靄がかかってみえる。私は夢うつつの狭間を彷徨う、主人のもとへと近づく。


 もしも仮にこの世に主がおわしますならば、私を見てこう仰せられるに違いない。「ピンク色に灰色を混ぜるとは、何たる狼藉であろうか?」と。


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