舞踏会
夜の宴は舞踏会場でのパーティである。赤帽子の男、羽根つき帽の吟遊詩人、それを引き連れた各国の貴族達。私より格式の低い貴族は居らず、当然その会場も桁違いの大空間である。東の貴族は狩りの話を楽しみ、中央の貴族は並んだ食事を机においては、また一つと肉片を積み上げる。西の貴族はお高くとまって、鼻を高くしてワインを嗜んでいる。連中の服は金襴やアーミンで、カーラーのある特注品で、高級品とはいえ貧相に思われる私は自分の服を少し見てから壁にもたれ掛かった。
魔術師四人が部屋の四隅で演出に精を出している。浮かぶシャンデリアに炎を灯し、シャンデリアの鎖を中心に、天井に波紋のような光の効果を与える。リオネルはそれを見上げながら、ぶつぶつと訳の分からない検討をしている。曰く、視野に影響を与えるように光の屈折を歪める魔法とか、火の灯し方から燐を何処かに仕込んで摩擦を用いているなど。燐が何かも知らないような人間の隣で呟くのだから、不気味以外の何物でもない。
各国の名だたる面々が顔を見せていたが、そこにエストーラの皇帝の姿はない。代わりに、第一皇子のヤーコプ・フォン・エストーラが、私と同じように壁際で周囲を警戒するように見回している。彼の隣には扉があり、そこから使用人たちが現れて料理を運んでいた。
私は目が合った人物に対して丁寧に挨拶を返したが、彼らはそれに会釈で応じるのみであった。政治的な影響力を考えれば、そんなものであろう。
そして、私は正面を見る。テーブルの周りに群がる数人の頭が八つほどみられるその奥に、主役を待つ舞台があった。
「本日は、お集まりいただき、誠にありがとうございます。大変長らくお待たせいたしました、主催者よりご挨拶が御座います。中央ステージにご注目下さい」
手に料理を持っているものは、それを一旦机に置き、代わりにその手でコップを手にする。所々にオレンジジュースやぶどうジュースを持つ人もいた。私も、グラスを手に持ち、舞台中央に注目する。
カペル風の軽快な音楽と共に、舞台上に伯爵夫妻が登壇する万雷の拍手と共に、柔和な笑みで手を振るフアナ。そして、少々緊張した面持ちで、フアナと手を組むフィリップ伯爵が舞台袖から現れる。誰もがちょうど二人が舞台の中心に立つと、ファンファーレも最高潮に達する。それと同時に拍手は勢いを増し、そして八拍ほど後にその音は収まっていった。
一瞬の静寂の後、主催者であるフィリップ伯爵が咳払いをする。
「本日は御多忙の中、お集まりいただきありがとうございます。私の友人や……妻の友人がこうして我がブリュージュへと赴き、我々の育んできた文化に浸り、えぇっと、その高揚を見るに当たりまして……主催者冥利に尽きると言うもので御座います。えぇ、長々と堅苦しい挨拶をしてもですね、お時間も勿体ないと言うものでして……。早速、舞踏会を開催したいと思います。では、皆様、どうぞ心行くまでお楽しみください」
フィリップは一語一語を慎重に選びながら、ゆっくりとした口調で伝えた。彼の言葉が途切れると同時に、再び場違いなほど壮大なファンファーレが流され、そして、間髪入れずに第一曲目が始まった。各々が一斉に目を付けた人物に手を差し出し、手頃なステップを踏み始める。一曲目は単調な演奏で、導入としては十分に準備の必要がないものである。
煌めくシャンデリアの明かり、シルクの滑らかな衣擦れの音、引き締まった筋肉を露出させた男性貴族のタイツ、爪先まで輝く色鮮やかなドレス……会場のそれぞれが動き始める。それと同時に、リオネルが私から離れていった。
客人達の貼り付けたような笑み、睫毛の長い女性をエスコートする……髭の濃い大男。観覧だけを楽しむ彼らの忠臣達が距離を取って話し合っている。
華やぎの中で改めて見渡すと、そこが単なる楽しみの場でない事を思い知らされた。途端に視界の輝かしいものが鈍い金色に空目し始める。単調で爽快な音楽の狭間に、彼らは優雅に語り合う。お互いの距離を確かめ合うように。
「貴方、が、ジョアンナ様、ですね?いかがですか、一曲」
突然、やや吃音気味の男に話しかけられる。振り返ると、思わず言葉を失う程の「場違いに」容姿端麗な男が、私に手を伸ばしていた。
眉目秀麗なカペル風の美男子と、例外はいるが、顎が突き出るエストーラの貴族達、とても美形と呼べない筋骨隆々の中年、髭が麗しい南方交易都市のトーガの男、皺を幾層にも重ねた老獪な家臣たち、その中で、その手は明らかに抜きんでた「美しさ」であった。
ブリュージュ伯爵フィリップ「美伯」、白い素肌と女性のような線の細い指、ルビーの如く深く、赤い唇、柔らかい頬は少し紅潮し、常にやや照れているように錯覚する。淡いセピア色の瞳は少し潤んでおり、やや垂れ気味の眉に、控えめなダークブラウンの前髪が掛っている。女性的な流線形の体型ではあるが、筋肉の筋は男性的であり、錯誤を起こしそうな、奇妙な感覚さえ覚える。
私は舞台の上に視線を送る。控えめな笑みの背後には、侍女と語り合うフアナがいる。フアナは最高級のカペル産ワインを控えめに胸元で持ちながら、横目で私にウィンクをした。
ぞわり、総毛立つのを感じる。それでも、その手を取らないのは、この「美しく細長い指」を取る誘惑には勝らなかった。
「そう、う、嬉しいな……」
フィリップの控えめな笑みに思わず胸が高鳴る。恐ろしいほどの緊張感、心臓の鼓動が速くなるほどの、「美男子」。私はその手の控えめな温度を感じながら、余りにも細やかな心遣いで私のステップに合わせる男に釘付けになった。
「妻が、お世話になっております。ご多忙の中、態々、ご足労いただきまして」
「いえ……そんな。私こそ、素敵な祭典にお招きいただき、望外の幸福でございます」
赤いルビーが形を変える、セピア色が憂いを帯びたまま伏せられる。圧倒的な美貌に言葉を失う。次の楽曲が始まっても、その手を強く握り返してしまう。限りない独占欲が湧き上がる。一瞬だけ目を見開いたフィリップは、直ぐに私のその手を握り返した。
「妻が見ている……。お手柔らかに」
「あ、え、申し訳ございません」
手を放そうとすると、力強い手で強く握り返す。心臓が止まるほどの興奮に、再び言葉を失った。
そして、困ったような微笑。情けなさそうなその垂れ眉や吃音が、愛おしく思われた。
「ジョアンナ様は、ナルボヌでは、どの様に過ごして、おられるので、ですか?」
「……領民とおしゃべりしたり、最近は多忙で、何か事業を始めてみたり、バナリテを再開したり……」
「バナリテを?お父様は中止しておられた、と、聞いています。ご立派に統治をしておられるの、ですね。」
「家臣たちに手伝って頂きながら。本当に素晴らしい家臣たちです」
「家臣……。乳母の出張サービスを始められた、と風の噂でお聞きいたしました。もしやフーケ君の事では、ありませんか?」
「フーケ……!えぇ、彼にはとても迷惑をかけていて、とても、良い家臣なのですが、少々冷淡なところもあって……」
私は次の会話を求めるように饒舌になる。思考に靄が掛ったように、淡い言葉だけが放たれる。的を得ない会話を、フィリップが少しずつ、控えめに修正する。彼は会話を途中で止めない。最後まで、しっかりと聞いたうえで、常に私を優しくエスコートする。足がほつれかけると、そっと歩幅を合わせて踊りを再開してくれる。
音楽の途切れる瞬間に、私のうなじを持ち上げるように、耳飾りを触る。年甲斐もなく、瞳孔が揺れ動く。
「妻の、贈り物ですね……。売らないでいて下さったのですね」
「……ありがとう」
彼は耳元で囁く。それと同時に、恋心のような浮足立った音楽が終わる。フィリップはそっとその手を放し、彼の妻の下へと戻っていく。私は放心状態で手を振る。それは、淡い夢のような時間だった。




