淑女フアナは月にも微笑む6
文化先進都市、ブリュージュ。その来歴を語る時、最も重要な地位を占めるのは商人である。
彼らはエストーラのノースタット、プロアニアのゲンテンブルク、カペル王国のペアリスと言う三大首都を繋ぐ商業路を開拓し、活発な商業活動を行ってきた。彼らは陸路を通して異国の衣料品、嗜好品を売買する事によって莫大な財を成し、豊かな土壌での食料生産と併せて、ブリュージュを一流の大都市として発展させた。
海上交易都市国家ウネッザに次いで様々な商業技術を発明させたブリュージュは、陸続きの国家同士の商業活動に関わる事によって、一つの宗教観の中にある雑多な文化を収集する事に成功した。そして、異文化交流と共に財を成したブリュージュは、その潤沢な資産を文化振興に充てる事が出来た。その結果、ブリュージュは文化先進国としての地位を確固たるものとしたのである。
そして、この都市の文化は一つの宗教世界を集約する事によって発展したため、文化の融合の過程で統一した世界観を形成し、これを昇華させるという「純粋な」文化・芸術を持つに至った。これは、異教徒との関わりを持つ必要から、宗教から一定程度距離を置く事によって学問と芸術、商業を発展させたウネッザにはない特色である。
そのため、伯爵邸に至るまでに見て来た建築物には、統一感のあるテーマを持つ彫刻や外壁によって彩られている。道行く人々のファッションも、様々なようで流行によって大きく左右され、統一されており、音楽のテーマも教会音楽の流れを正統に継承している。
エストーラ領となった後に、エストーラの首都ノースタットにおいて厳格な宗教音楽、ノースタット・バロックが誕生したのも、ブリュージュの影響は大きいのかもしれない。
そんなブリュージュにおいて、エストーラ大公の影響力は大きい。ブリュージュはカペル王国ともエストーラとも歴史的・文化的な繋がりを持つが、中でも、姻戚関係によってエストーラ大公と結ばれた後には、ブリュージュ商人はエストーラの軍事力を後ろ盾にして商業活動に専念する事が出来るようになった。その結果、現皇帝の従妹に当たるフアナ伯爵夫人を、彼らは「我らの姫君」と呼び慕うのである。
その我らの姫君は、今カペル王国辺境の領主に非常に丁寧に挨拶をしている。私は格上の彼女に跪き、ドレスの裾を持ち上げてへりくだった挨拶を返したのだが、彼女は私の手を引き、楽しそうに笑って見せた。
「そんな挨拶は良いのよ、ジョアンナ様。翡翠の耳飾り、とっても似合ってるじゃない。お召し物も素敵よ。ご一緒に宝飾品を見て回りましょう?きっと、お気に召すお土産がありましてよ?」
「フアナ様、フアナ様。ブリュージュの一級品など、私にはとても勿体ないです。それよりも、ほら……!造幣所に興味があります!」
フアナは心底落胆した様子で私の手を下ろし、「そうですか、それじゃあ、早速造幣所をご案内いたしますわ」と言って、侍女に馬車の手配を指示した。
雑踏の注目がフアナに集まり、市民たちが「姫君!我らが姫君」と声をかける。フアナは優雅に手を振って答え、時折市民に声をかけて他愛ない話をして見せる。他愛ない話と言っても、ナルボヌの領民とかわす下世話な冗談のようなものではなく、流行や、美食や、芸術家や作家の新作といった、時流に合わせた高尚な会話である。その時点で過去を懐かしむ私の心がずきりと痛むのだが、彼女によって手配された馬車がまた、古傷を抉るような痛みを与えた。
それは二頭立ての馬車であり、銀細工で作った額縁の中に絵画を飾る、見事な馬車である。そもそも馬が煌びやかな「お召し物」を着ているのであるから、その財産の豊かさをまざまざと見せつけられる。これでブリュージュは黒字なのだから、気が遠くなりそうだ。
私の様子を気にかけたフアナは、手元を抑えて首をかしげる。ゆっくりと、姫君らしく優雅に近づいてくると、私の手を優しく握った。
「ジョアンナ様、表情が優れませんわ。やはり一度お休みになって、それから造幣所に参りませんか……?」
私は首を振り、微笑み返す。足を止めた雑踏達の中から、奇妙な期待を寄せる一団が耳打ちをしていた。表情豊かな野次馬は、半ば興奮気味に「百合の花のごと……カペルとエストーラの百合の花だ……」と呟いていた。
「お気遣い感謝いたします。ですが、結構です。私は貴女のお誘いをとても喜んでおります。私にも、その輝くコインの工程を見せて下さい」
私は彼女の手を上から握り返す。野次馬の一部が興奮気味に声を上げた。彼らの真理は不明だが、一瞬だけ冷めた表情を見せたフアナが、鼻を鳴らして微笑む。そして、私の手を引き、駆け出した。
「さぁ、『私達二人で』馬車に乗りましょう!お話を窺えるのを楽しみにしています!」
馬車の扉がひとりでに開く、侍女二名が門の前で頭を下げた。私はリオネルを一瞥して判断を仰ぐが、彼は既に別の人物……女を侍らせた枢機卿と会話を弾ませていた。リオネルは私を一瞥し、目を細めて微笑む。一体何事かと判断に戸惑っている間に、フアナは私を馬車の中に押し込んでしまった。




