吝嗇のバナリテ13
荘厳な新嘗祭の後にある開放感のある謝肉祭は、領民と貴族が喜びを分かち合う事の出来る貴重な時間でもある。酒のうまみは万国共通であるし、濃い味付けの食事は今となっては領主にとっても垂涎の逸品である。神に捧げた燔祭を囲み、木板と丸太を釘で繋げただけの簡素な机の上に、人々へ振る舞われる馳走が並んでいる。
「ジョアンナ様ぁよう食べるねぇ!」
「ん!?……ぅふぅごふご、ふご!」
普段の禁欲のタガが外れると、途端に眼前の料理が宝石よりも貴重なものに思えてくる。彼らよりも大きな咀嚼音で言葉をかき消した私に向けて、民衆達の嘲笑、他愛ない愛情表現が向けられる。
搾取を公言した人間に対して、これ程気を許す民衆がほかにいるだろうか?政治とは人気投票と言うが、これも全て父の代での積み重ねの成果かもしれない。
「金持ちだってお高くとまってる連中と比べちゃあ駄目だろうが、ジョアンナ様はこう……鼠みてぇだな」
膨らんだ頬袋から料理を一気に口の中に流し込み、水を飲む。領民たちの作った乱暴な料理が次々と並べられ、薄味の肉や野菜は直ぐに酒と共に流し込まれていく。
「私だってね、これでも社交界では人気者だったのよ。今は飢えてるだけで」
「今じゃあ使用人服で畑耕してんだから、見る影もねぇや」
「あぁそうだ、水車小屋なんだがね。あれ、麦が目減りしてるように見えるんだが、粉挽が霞めとってないか調べてくれよ、領主様」
手製の歪なカップを片手に、顔を赤くした領民が肩に手を回してくる。女房に叩かれても酒臭い息をこちらに流しながら、紅潮した頬を持ち上げる。
「都合がいいわね、全く。まぁ、グスタヴォはいけ好かない奴よ。調べてみるけど、こっちには金が来ているわ」
「まーた、金ですかい。困った領主様だ」
遠い席から野次が聞こえた。私は口周りを拭い、口を澄んだ水で濯いだ。手拭いには、確かに幼少期を思わせる肉汁の跡が点々と付いていた。
「文句はダンドロ商会に言って頂戴。利子だけで収入が飛ぶから」
「ジョアンナ様、思ったようにはいっていないようですよ」
「ゲェッ!フーケ!」
振り返ると、今週の収支報告書を携えたフーケが、ゆっくりと丘を下って来ていた。馬車は城へ向かっているので、今まさにグスタヴォから報告を受けたのであろう。
「フーケ、どういう事かしら。利用者数と実績との間に乖離はないと言っていたわ」
「それ以前の問題です、これは」
フーケは報告書を私に見せる。細分化した数字の羅列からは、特別な数値の違和感は感じなかった。
「丁度一世帯分の差です。つまり、まだ石臼を持っている世帯がいるようですね」
「……でも、違反をしているわけではないから、私達には裁けないわ」
「そうですね」
フーケは領民達に視線を送る。謝肉祭の賑わいが嘘のように静まり返り、ひそひそと耳打ちをする声があちこちから聞こえ始めた。
ご馳走に手を付ける手は一旦止まり、再開した騒めきから憤りや擁護の声が聞こえ始める。人狼を探すように慎重に議論が進められ、怒りの代わりに彼らが求めたものは、手元の自由ではなく、領民としての一体感であったようだ。
薄い木板に肘をついた屈強な男の一人が、低い姿勢で私を睨み付ける。私はすまし顔のまま、彼らの結論を待った。
「……ジョアンナ様よ、俺達は法律の事は良く分からんが、村の一体感ってぇのは大事だと思うんだ。ここにいる人間全員が収穫のために汗水流している。だから、石臼を全員に配るかしてくれねぇと、どうにも疑心暗鬼になりそうだ。足並みを揃えて努力する俺達の事、あんたも見てるだろう?」
「……石臼が欲しいなら買えばいいのよ。売ってないなら、諦めなさい」
フーケは静かに手を後ろに回す。護衛の兵士達が私の隣に付き、長槍が地面を擦る音が響く。
男を見下ろす。男は深い彫をより深く刻み、私を睨み付ける。
「……そもそも。水車小屋が栄えている事は私にとってメリットでしかないわ。平等にする方法もないではないけど、それは禁制権を発動する事に他ならない」
「日常的に麦を挽くときは、その家に押しかけてもいいんだな?」
明白な脅迫である。守衛が「不敬である!」と怒鳴り、矛先を男に向ける。私は槍を掴み、押し戻した。
「それは貴方達の自由よ。そうする時には、石臼の持ち主と合意が必要だけれど」
男は大きな舌打ちを打ち、木板を手のひらで叩くと、背後にいる男達を首で使い立ち上がった。男の一人が椅子に腰かけなおし、咳払いをする。
「つまりですね、ジョアンナ様は石臼を持つことを禁止してはいないけれど、石臼を買えない状況は矛盾しないとお考えなのですね?それでは道理が通らないと、私は、そう考えるのですがね?」
よく見れば、席に着いた男は文字の読める男である。公示人要らずのこの男は、中肉中背で声も大きくはないが、先程の男よりもうまく抑揚をつけて理性に働きかけるように話してくる。
「矛盾はしないわ。売るか売らないかは商人の自由だもの」
勿論、「売れない」事を前提にした議論である。向かい合う男は苦笑いしながら顎を引いた
「自由ですか。この領地に私達を縛り上げて、自由ですか」
「そんなに嫌なら出て行っても良くてよ?恐らくカペルで一番奔放なこの領地から」
領民は顔を見合わせる。彼らは外の世界を殆ど知らないので、ナルボヌがどの程度恵まれているかも知らない。逆に言えば、彼らにはナルボヌの優位性を測る手段が無いのである。
「いいじゃない。お零れに与れば。粉挽への不満はある程度解消されるんでしょう?それを否定する気はないわ」
私が料理を口に運ぼうと手を伸ばすと、男はすかさずその手を掴んだ。槍が動くのを視線で諫め、私はその目のままで男を見る。
「話をうやむやにすることだけうまくなっただなんて、先代が泣きますよ、お嬢様」
「じゃあどうしたいの?私の出来る事で協力するわ」
領民は顔を見合わせる。各々が怪訝そうに眉をひそめ、そして、意を決したように頷いた。
「では、石臼を全員にとは言いません。日常の利用に必要な数だけ発注していただきたい」
「……利用料は取っていいの?取れないなら置かないけど」
「水車小屋より安くつくんですか?」
「そうでしょうね。人件費が浮くもの。でも、さっきの主張だと、手っ取り早く禁制権を敷いた方がいいと思うのだけど」
「一体感」という主張に最も合った政策は、間違いなく石臼自体を没収する事である。この事実は変えられない。彼らは利権のために駄々をこねる子供ではない。何故なら、最早契約を交わした仲だからである。
「貴方達の気持ちは分からなくはないけれど、私は契約には忠実よ。市場も作るし、道も作るし、この土地を繁栄させる。腰を痛めた老人には最低限の労働で済むように配慮するわ。でも、税金はそのために必要でしょう?」
彼らは黙った。権利に胡坐をかく人々ではない。彼らは父を信用してこの土地で生きてきたのだから。
だからこそ、同じ土俵で戦わなければならない。アンフェアな知識の上で、フェアな議論を進めなければならない。
「……禁制権を容認する。その代わりに、石臼を回収してくれ」
「今この場で石臼を利用しているものが名乗り出れば、対価を支払って回収するわ」
その時に恐れながら手を挙げたのは、私と共に料理を作っていた女性だった。
周囲の刺すような視線に怯えながら、彼女は及び腰でこちらに近づいてくる。思わず動揺した私は、フーケに金を渡すように指示をした。
「まさか、貴方だったとは。でも、ルールはルールだから。罰則を科さない代わりに、乳母に選ばれた時はしっかり働いて頂戴」
「……はい。皆様も、申し訳……ございませんでした」
「調和を乱すようなことはされるな。もうそれで終わりにしよう」
私は、冷めた料理に手を付ける。静けさの中でよく響くように、だらしなく咀嚼音を出した。
中天の白は傾き、立ち昇る雲の流れる様に従って、時間の経過が空を赤く染めようとする。
そこに悪人は居らず、ただ、邪悪なのは理性であった。




