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吝嗇のバナリテ  作者: 民間人。
ゆりかごを覗く時の顔は
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金のにおい1

 数字の羅列とは価値の定量化である。数字は間違いなく記載されてこそ意味を持ち、記帳漏れのある数字とはこれ即ち無価値である。あらゆる計算がフーケの脳裏を通り抜ける時、そこには常に齟齬のないデータが存在していた。

 曖昧な区分を許さない債務台帳にはそれぞれ、利率と期限の書かれたメモが挟まれている。書蝋板と算盤と天秤とが場所を圧迫するフーケの作業机には、山積みの債務と雀の涙ほどの収益報告書が残されている。

 フーケにとって、ギヨームの意見は全くナンセンスなものであった。不要なものは不要と削ぎ落としてしまえばいいし、ナルボヌの使用人にはそれに耐えうるだけの能力があることを知っている。忠義や責務と言った曖昧なものによって、天秤が僅かでも傾くのであれば、その方法を教えてもらいたいものだ。


 彼は気を取り直して麦の入った麻袋を巨大な天秤にかけさせては記帳する。傾いた分を補う分銅は日に日に容量を増し、膨らむ麻袋を在庫として書き込むと、なるほどナルボヌと言う土地はそれほど悪くない領土であったように思われた。


「フーケ様、それで、今のままで借金を完済するにはどれくらいかかるのですか?」


「ジョアンナ様が御存命のうちに0になればいい方だろう」


 フーケは背もたれにもたれ掛かる。109億ペアリス・リーブルと言う途方もない借金は、そもそも収入が増えたところで取り返せるものでもない。彼は天井に計算機でもあるように目をくりくりと回し、何度も瞬きをした。明滅する景色に痛めた目を下ろすと、彼は自分のこめかみを思いきり押す。作業机の上にある小さな天秤の右隣りから徐に眼鏡を持ち上げると、それをかけて眼前の天秤を見た。


 相変わらず硬貨と呼べるものが殆どない。夢か幻か、借金で受け取った硬貨は僅かにも残っていない。


「次に高利貸が来た時は、「小麦粉で払う」と言っておいてくれ」


 従者は視線を逸らして承諾した。小麦の麻袋を大切に持ち上げ、手押し車に乗せると、手押し車は短い悲鳴を上げ、そして、フーケの執務室から出て行った。


「手で押せるようでは駄目だ……」


 フーケは独り言ちる。寂し気な天秤を指で押し込み、無理やり地面に押さえつけるが、彼が手を離すとすぐに反発をする。その往復が、フーケの心を益々沈ませた。


「フーケ、フーケはいるかしら?」


 彼の主人の声が乱暴に響き渡る。フーケは帳簿類を急いでしまい、重い腰を上げた。


「ジョアンナ様、如何なさいました?」


「調べて欲しい事があるの!」


 ジョアンナの声は弾んでいた。或いは怒りを抑えるために声が裏返ったのかもしれなかった。


「どのような事でしょうか?」


「使用人に出産した子がいたでしょう?その子がどれくらい前に休んだのかどうか」


(はて……?)


 フーケは首を傾げた。確かにそんな使用人がいたような気もしないではないが、それはジュスタンの管轄ではないだろうか?自分に聞く理由が見えてこない。彼は先程まで回転していた頭が急にブレーキを掛けられたように止まり、些細な苛立ちを覚えた。


「えぇっと、ジョアンナ様。使用人の個人情報についてはジュスタン様の方が詳しいのではないかと」


 そう言って断りを入れると、彼は椅子を引き記帳作業に戻ろうとした。インクの匂いを大きく吸い込むと、紅茶を啜った際のような鮮明な思考が戻ってくる。

 向き合っていた天秤から一枚ずつ硬貨を取り上げ、別種の硬貨を纏めた袋を天秤に乗せ直すと、急に静かになった廊下から、再び平たい使用人用の革靴が地面を蹴る音が近づいてくる。フーケはうんざりして低い声で応じた。


「ジョアンナ様。話し相手が欲しいのならば他の方をお呼びしますから……」


「フーケ、試したいことがあるの。母乳の出る使用人を搔き集めて頂戴。暇をしている人、全部よ!」


 ここで初めて、フーケはジョアンナが何かしら思いついたことを理解した。そして、彼は即座に一つの仮説に行きつくと、首を掻き、重い腰を持ち上げた。


「ガルシア卿の他、数名に声掛けをしてみましょうか」


「助かるわ!後は人の選別だけど、自信がないならばジュスタンに任せた方がいいかしら?」


「えぇ、それは。私などは、使用人の顔と名前も一致しませんので」


 フーケは次第にこの領主がビジネスの領域に関心を持ち始めている事を理解して安堵するとともに、自分の仕事が著しく増加する事を懸念していた。そうなると、そのうち珠算や記帳が出来る奴隷を買わなければならないと感じ、彼は周辺地域の修道院などを列挙した。


 金になるビジネスかどうかを彼女と検討する機会も作らなければならないと、フーケは記帳の手を速めた。少ない硬貨の価値を把握する事よりも、間近の厄介な問題の方に思考のリソースを奪われる事に、少なからぬ苛立ちを覚えながらも。


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