吝嗇のバナリテ7
行商人の取引は大いにうまくいったようである。やはり領主からの「買占め」と契約としての「買占め」では、信用度が違うのかもしれない。実際に手元に金が舞い込んでくるのは、どちらも同じだと思うのだが、彼らは上からの締め付けを嫌う。民衆と言うものは本当に良く分からない。
穏やかな昼下がりの食堂には、久しぶりに蝋燭が灯された。昼でも薄暗い部屋の掃除を行うためで、雲の巣が張った室内の黴臭さを拭う雑巾もまた、黒ずんで黴臭い。私は使用人たちにその仕事を任せながら、久々の読書に興じていた。
読書と言っても、「物語」ではない。教養を得るための聖典の精読である。フーケからの徹底した忠告である、「舐められてはいけない」を実際に補填する目的があったが、読んでみれば中々興味深い。帳簿と睨みあう時とは違った緊張感があるのが、神話の面白さなのだろう。
箒の音や、塵取りが擦れる音、濡れた台拭きで煌めく机、仄暗い石の壁の中にある暖かな陽射し。後はバナリテを実際に法制化する方向で調整をするだけだが、この一週間で、既に少なからぬ影響が出ているようだ。
粉挽きが実際に動き出す秋から冬にかけての収穫期に先だって、農民たちが水車小屋をしきりに訪れるようになっている。また、保管されていた麦の脱穀の依頼もちらほらと現れ始め、それに伴ってフーケの手元には多くはないが水車小屋からの小麦粉の収入が届き始めている。これで水車小屋の利便性に味を占めてもらえれば最高の結果と言えるのだが、実情はそれほど単純なものでもなかった。多くの粉挽き差別の原因である「粉の目減り」問題が生じているためだ。農民たちからすれば、ただでさえ「減る」小麦が輪をかけて減っている(ように見える)のだから、その不満はこれまで自分で粉を挽いてきた時とは比較にならない。
(視察にでも行ってみようかしら)
私は聖典を閉じる。十分に英気は養った。
私がのそのそと動き出すと、使用人たちが道を開ける。最早私が自分達と同じ服を常用している事に何らの疑いも抱いていない。
無遠慮にゴミを集める中腰の使用人の腰をポンと叩き、「少し農場の視察に行ってくるわ」と伝える。彼女は床に集められた埃や藁のくずなどが集まった様に視線を残したまま、「いってらっしゃいませ」と短く答える。
領民たちが私の手伝い(殆ど簡単な食事の準備であるが)を時折経験するようになると、彼らは私の使用人服姿になんの疑問も抱かなくなった。私自身も、ドレスよりも動きやすい七分丈のパンツに、ヒールのない代わりに分厚く丈夫な靴、体に密着した白のレギンスと言うシンプルで男性的な服装は大変動きやすい。お洒落をしたくないか、と言えば嘘になるが、自分の土地でくらい気の抜けた服装でいればいいと思う。その分、外へ用事となれば存分にめかしこむ事に決めた。それは礼儀であって、浪費ではないのだ。
私が城を抜ける事に違和感を抱かない敬虔な警備兵達は、門を開き、その度に二人ずつの兵士が私の後に付いてくる。そうして最低限の護衛を従えた私は、馴れた足取りで耕地へと向かう。領民たちの挨拶には手を挙げて応じ、鼻を掠める泥土の臭いも気に留めずに、颯爽と道を進む。始めに切り株を中心にした集会場を簡単に視察して回り、続けていつものように農夫の家の手伝いを行う。下働きにも慣れてきた貴族と言うものは、何故か好かれるものらしい。
むわりとした特有の湿気に顔を顰めつつ、まず私は城から拝借した箒でゴミを屋敷の外に出す。偶々目が合った農夫は、立派な鍬を抱えて他人の家を無遠慮に覗き込む。
「ジョアンナ様よ、今日は掃除かい?」
「城の大掃除だからね。私も掃除」
箒で彼の方へ向けてゴミを掃くと、彼は一歩後ずさりして黄色い歯を見せて笑った。
「一緒に運も掃き出したりすんなよ?」
「これだけ汚れてると運の踏み込む余地もないわね」
ニヒルに微笑み返すと、相手は実に豪快に笑う。彼は空いた手を挙げて私に別れを告げると、そのまま通り過ぎて行った。地面に鼻をつける犬がその後ろを追いかける。切り取られた緑園が残った後に、小さな足跡がしっかりと付いていたので、何となく箒で均しておいた。
腰が痛くなり始める十分ほどの掃除を終え、別の家を転々としていると、買い取られた石臼の跡だけがくっきりと残った家が見つかる。私に挨拶をするために網籠を作る手を止めた夫人は、私が釘付けになっている方を向き、そして少々自慢げに言った。
「あぁ。バナリテが発動されるって言って、臼を没収される前に売っちまえってね、夫が」
「あら、そうなの。高く買い取ったのに。勿体ない」
私は何食わぬ顔で言った。けろりと嘘を吐けるというのはこの上ない武器だと思う。
夫人は臼のあった場所へ近づくと、狭い竈の上まで両手を広げ、これもまた自慢げに笑った。
「どう?広くなったでしょう?」
「少しは快適に過ごせたかしら?」
私は口角を持ち上げる。箒を持ち、兵士達に塵取りを押し付ける。床も貼っていない家では外界と屋内の境界が曖昧だ。土まみれの箒で小石と一緒に藁の屑を払う。黴の臭いと共に、地面にいたらしい蟻の群れが箒を避けるように雑草の間をぐるぐると彷徨い始めた。
「まぁ、暮らしは余りかわらないね。私達は貴族様と違って粉が減る事の方が嫌なのね」
「ふっ……」
私はつい吹き出す。寧ろこちらの方が粉の目減りに一喜一憂しているのだから、これ以上の皮肉はないように思われる。
「まぁ、でも、ねぇ。水車小屋ってそう言うものだから。ここが特別に搾取してるわけでもないのだし?」
「他の領地はもっと苛烈なの?信じられない!今でも死にそうなのに!」
「ほんと、今でも死にそうなのにね」
私の回答に満足げに笑った夫人は、そのまま籠網の作業に戻る。自分の道具は自分で何とかする、と言う点では、彼らの暮らしには見習うべきところがあるのかもしれない。
土ぼこりを上げる箒が、ゴミを外へと吐き出す。代り映えしない外装にほとんど成果らしいものは感じられず、もやもやとした気持ちのまま家を出る。
「あぁ、ジョアンナ様、貴族様はいらないだろうけど。これ、よかったらどうぞ」
彼女はそう言って、私に小さな袋を差し出した。職人のなす袋ではなく、自家製の年季が掛った袋である。私は恐る恐る中身を確認する。
団栗だった。
「ジョアンナ様が団栗を食べたって話を聞いてね。よっぽどお金がないんでしょう?それ、袋も持って行っていいから、せめて死なないようにしてね」
「……あ、ありがとう。頂いていくわ」
貴族にとって、施しを受ける事は屈辱この上ない事だ。しかも、それが、豚の肥料にされる天然の団栗ともなれば、いよいよもって自分の失墜が始まるのだと、そう覚悟するのが当然だろう。
しかし、不思議な事に、不快感や恐怖心は無かった。私はそれを袋ごと胸ポケットにしまう。団栗の先端がちくちくと胸にあたった。
「ありがとう。お互い、金がないなりに頑張りましょう。それじゃあ、また手伝いに来るわね」
「……えぇ。また」
彼女はそう言って、手元の作業に集中する。胸元の団栗がからりと音を立て、胸の上をチクチクとくすぐった。
私は踵を返す。一区画分だけゴミを吐き出した家々は、夕刻の空に燃えるように赤色に染められていく。酷く暑い赤い光の中に包まれた中に、家畜の鳴き声が響き渡った。
そう言えば、団栗の調理法を、ジュスタンが開拓したんだった。




