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吝嗇のバナリテ  作者: 民間人。
石臼は罪の味
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贅沢は味方

 花の香りの代わりに鉄の臭いが鼻を掠める。儀式用の剣や鎧の立つ食堂は、今は食卓を残してがらんどうだ。かつては父と母の笑い声に満ちていた食卓には、資料片手に手紙を書くフーケと、私、そして黙って背後に控えるジュスタンしかいない。鉄の臭いに耐えかねた私は、儀式用の剣と鎧を睨む。気が滅入る時の鉄の臭いほど、嫌らしいものはない。


「食事は切り詰められるだけ切り詰める。いい?」


「承知いたしました」


 ジュスタンは静かに佇んでいる。料理人への給金をまともに支払っていれば結局は出費は変わらない。私は眉をひそめたまま、貧乏ゆすりをして待つ。そうしていると空気の流れが遅くなったような気になる。

 狭い窓から吹き付ける風は令嬢の宮殿のそれよりも勢いを幾らか増しており、顔にへばりつく汗と共に背中に腹が纏わりつくのが益々不愉快だった。


 食事が遅い、お腹が減った。服がみすぼらしい。風が嫌らしく肌を撫で回すのが鬱陶しい。食事は出来る限り簡潔に済ますべきだ。まだ私には返さなければならない約束手形が残っている。

 自然と足を鳴らす音が速くなる。そのテンポに従って、風の速度が緩やかに鳴り、フーケの筆を走らせる音が遅くなった。


 暫くの沈黙。さらさらと筆を滑らせる音が反響する。日中の光だけが四角く、明るさを切り取って、それは酷く目に悪い。


「ジョアンナ様、恐れながら申し上げます」


 フーケが作業の手を止める。インクの付いた羽ペンの穂先を拭い、食卓に跡を付けないように慎重にペン立てへと運んだ。


「人間には、それぞれに我慢の限界と言うものが御座います。ジョアンナ様は、長らく……少々言い方が悪いかも知れませんが……その、そう、自由に、自由に生活してこられました。ですので、今はまだ忍耐が未熟なのではないかと、私は考えています。ですので、少しずつ食事や贅沢を減らしていかなくては、いつか悪い事が起きてしまいはしないでしょうか?私はジョアンナ様がよりよく、ナルボヌ家を支える事を望んでおります」


 フーケは歯切れ悪く続ける。口元で咀嚼するような微かな声に、私の怒りのボルテージが上がっていく。


「でも、切り詰めるところを切り詰めなくちゃ、ちっとも改善しないじゃない?どうやって金を返すのよ?」


「私は財務担当者です。だからこそ、敢えて生活を極端に変えないで借金を返す方法を考えられます。まずは、ジョアンナ様の心の安定を第一に考えて……」


 私は机を叩く。悲鳴を上げる間もなく、槌で叩いたような巨大な音が部屋中に響き渡る。


「いい加減にして頂戴。贅沢は敵、どんなにひもじくてもいいの。私のストレスの原因は深い財布の穴だけ」


 私は腕を組み、窓の向こうに目を細める。美しい景色の代わりに、辺鄙な田舎の農場が広がっている。


「しかし、ジョアンナ様。令嬢の宮殿を売ってから、ずっと表情が優れませんよ。ジョアンナ様の姿勢は大変ご立派ですが、ご無理をなされては我々も心配してしまうのです」


 フーケは少しだけ語気を強めた。優しさの滲み出た大人しめの声だ。私は静かに溜息を吐き、こめかみをつまむ。


「気持ちは嬉しいのだけど、結構よ。貴方に心配されなくても、私なりに覚悟を決めているつもり」


「そうですか……。分かりました」


 フーケは不服そうに短く返した。


「お待たせいたしました」


 給仕係達が食事を運ぶ。タラ(コッド)の煮込み料理と、白パン、アーカテニアのアスパラガス。香辛料たっぷりの豆スープに、高級料理がずらり。貴族の食卓だった。私は思わず言葉を失う。


 何、これ?私の言葉を聞いていなかった?あのジュスタンともあろう人が?それともこれでも食事を控えた結果?私は怒りを飲み込み、自然と低くなった声でフーケに訊ねる。


「……これ、いくらなの?」


 思わず手が震えた。これまでに味わったことのない、屈辱のような感情が襲い掛かる。風が止み、代わりに激しい視界の揺れが襲い掛かる。


「ジョアンナ様……」


「いくらなのか聞いてるの!こんな食事を続けていたら、いくら我慢したって赤字続きよ!」


「空腹に耐えて、不健康な食事をして、病に倒れたら元も子もありません。それに、食材はどれも以前に仕入れたもので……」


「もういいわ!この食事を貴方達に売って金にしてやる!」


 財政難なのに。どうしていう事を聞かない?やる事が沢山あるのに、何故凝った料理を出す?

 白身が美しいタラが、私の黒い感情を嘲う。アスパラガスは顔色が悪く、困惑したまま固まっている。

 前髪がぶるぶると震え、視界を大いに阻む。窓の向こうはもう見えない。佇む鎧は素知らぬふりだ。


「いう事を聞けないならやめて頂戴!女だからって馬鹿にしないで!」


 私は思いきり机をたたき、何度も地団太を踏んで怒りをまき散らす。そしてそのままの足で自室へと駆けこんだ。


「……我慢の限界が来ましたね」


 最後に、フーケが小さく呟いた。



 売却先を待つクローゼットは密やかに佇み、ベッドにしがみついて丸まった主人の背中を見つめている。震える背中からは、私の表情は見えないだろう。それでも黙って向けられる攻めるような視線に、冷たい石の床の感触が追い打ちをかける。


「やっちゃった……」


 全身に襲い掛かる倦怠感は、無力感から来るものなのか、それとも怒りから来る疲れなのか。今の私には、そう言った思考に時間を割く余裕はなかった。


 フーケや、ジュスタンは、間違いなく私を気遣ってくれていた。父がそうしてくれていたように、これまで実に我儘に生きられた私の事を気遣ったのだ。その良心をあろうことか叱責してしまった。自分が課した拘束の、幼稚な拘束の為に。


 濡れた布が気持ちが悪くなり、ふと顔を上げる。変わらない部屋がそこにはあった。

 しかし、確実に何かが変わっているような気がして、再び顔を伏せた。


 仄かに香っていた香水の香りも鳴りを潜め、苔生した石の臭いが鼻を掠める。令嬢の宮殿で売り払った煌びやかな衣装の代わりに、使用人用の動きやすい服を着た。

 今朝がた着ていたドレスは皺を伸ばしてかけられて、かつての栄華を主張するように派手な黄色をしている。花冠を戴くカペラが窓の向こうを物憂げな表情で見つめ、額縁の中に閉じ込められている。


 考えてみれば、当然の事だ。金を湯水のように使い、我慢とは無縁の生活を楽しむ事が出来た私が、禁欲の権化かのようにふるまう事が不可能なことなど。この城で一等広い部屋を独占し、町に繰り出して生地を買い付ける事を楽しめたのだ。その残り香は今となっては私を責め立てるのだけれど。


 小さなノックの音が響く。恐らくフーケだろう。私は鼻を啜らないように気を付けながら、顔を持ち上げて扉を見た。

 再度ノックの音がする。足が上がらず、空腹がぶり返してくる。


「ジョアンナ様。そのままでよろしいので、どうかお聞きください。私達は何も、ジョアンナ様の決意を台無しにしたいわけではないのです。ただ、お体に障っては大変だと、そう言いたいだけなのです。地に落ちた団栗など、農夫でも滅多に口にしません。萎びた野菜の煮つけなどでも良い、兎に角私達はジョアンナ様がご無理をなされないようにと気にかけたいのです。それが、私達の仕事なのです」


 私は答えない。クローゼットが答えを待っている。扉の向こう側から、再び私を呼ぶ声がした。


 その声が止んだところで、私はシーツを握りしめる。歯を食いしばり、思いきり皺をよせるように、濡れた布切れを手繰り寄せた。

 口元をシーツの一握で覆い隠したまま、消え入りそうな声が漏れる。


「……ねぇ。フーケは、こうする以外にどうやって借金を返そうというの?今の返済額では返済期間だって100年は下らないでしょう……?」


「確かに、ナルボヌ家の出費を徹底的に抑える事は絶対に必要です。どうやりくりしても、今のままでは赤字ですから。しかし、ジョアンナ様はもう一つ、金を増やすための努力を私達に任せていただきたいのです。令嬢の宮殿での駆け引きの際にあったような、大口の取引だけではありません。私のアプローチは、もっと地味な改革です。ジョアンナ様はより派手な駆け引きの為にその知恵を絞って頂きたい。ですので、やはり健康が第一なのです」


「より地味な改革……?」


「まずは、禁制権(バナリテ)の改革で御座います」


「バナリテ……?」


 瞳を見開く。どこからか、新しい風が吹き込んできだ。風の出所を探って窓の方を向く。窓から見下ろせる青々とした麦穂の群れが靡く。地平線の彼方まで広がる緑の波が、私の視界に広がっていく。


 青い波は月を跨ぎ、黄金色の麦穂に変わるだろう。その一粒一粒に、銅貨の価値が現れ、そして、銅貨が集まれば、やがて銀貨となり、金貨となる。麦は群れ成すコインだ。

 再び名前を呼ぶ声がして我に返る。私の部屋に新たに拭く風に、ドレスの裾がふわりと舞いがった。


 私は急ぎ扉を開く。すると、深刻な表情をしていたフーケが、驚いた表情で私を見つめた。


「ぜいたく品の処分は、一先ず今日中に済ませてしまいましょう。詳しい事は明日から教えて頂戴。私、何もわからないんだから」


 私はまるで吹っ切れたように作り笑いを見せる。フーケは安堵の表情を浮かべる。


「はい!」


 それと同時に、私の緊張も解けたのか、背中に張り付いた腹が鳴った。すると、先程の食事が無駄な出費になる事が、どうしても我慢ならなくなってきた。


「……最後の贅沢を楽しみましょうか」


 フーケは少し吹きだす。口元を抑え、短く「失礼」と言うと、自然と穏やかな表情を作った。


「はい、そうしましょう」


 青々とした麦穂の群れが私達に手を振る。居城に訪れる際には見せてくれなかった表情だ。そうであれば、濡れたシーツはいずれ乾くだろうか。


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