桜花に思うこと
●22 桜花に思うこと
「やりましょう」
ニミッツは快諾した。ここまで誠実に自我を抑えて協力をたのまれては断る理由がない。断るなら、それはもはやアメリカ軍人ではない。
「それは助かる。いいか、目的はただひとつ、日本の通商破壊だ」
「わかりました。一泡どころか、うんと暴れまわってやりますよ。日本の航路を推定して無制限潜水艦隊を編成します。南西アジアの資源を日本には運ばせない。一部は太平洋にも回して散発的に攻撃をしては潜って逃げるを繰り返す。それだけで彼らは右往左往するはず……」
「ふむ」
「遠路の運用は連携で資材を積み換えてやり、一部を停泊地に戻せばいい。日本の艦隊には注意が必要ですが、通商破壊が目的なら戦わなければいい。いや、三次元航行して中深度雷撃する技術がわれわれにはありますから、作戦しだいで水上艦にも成果をあげるでしょう」
「それはいい。パナマではやつらの潜水艦隊に煮え湯を飲まされたそうだが、今度はこっちの番、というわけだ」
マッカーサーは満足そうにうなずいた。
「パナマと言えば……」
ニミッツは言いよどむ。
すでに三か月前から、軍の上層部にも言わず、ハルゼーに準備させている作戦があるのだが、今のマッカーサーになら相談してみる価値はあるかもしれない……。
「これはまだ極秘なのですが……」
「なんだね」
「日本を空襲する計画が進行中でしてね」
「!」
「今はまだ訓練中ですが、聞いてもらえますか閣下?」
「ぜひ、伺おうじゃないか」
ニミッツは副官に目をやる。
「すまんが君たちは席を外してくれないか」
マッカーサーも自分の副官に目で合図する。
副官二人は、うなずいて部屋を出て行った。
「ノーフォークにいま、空母レンジャーが停泊しています」
「ほう。南大西洋で哨戒任務に就いていると思っていたが……」
ノーフォークはアメリカ合衆国バージニア州南東部に位置する都市だ。つまり、大西洋側の軍港である。
「その空母レンジャ―にB25を積み込んだあと、パナマ運河から太平洋に移し、サンフランシスコを経由して日本の本土を空襲させる計画があるんです。ただし戻ってくるには燃料がたらないから、飛行機はそのまま中国大陸に抜け、中国の基地に着陸させます。レンジャーはそのまま、真珠湾に帰る」
「面白いではないか。この真珠湾の敵がうてる」
「同意いただけるなら、そろそろ上層部を説得せねばなりません。キング長官は私がなんとかします。閣下はワシントンをお願いできますか」
「なるほど。B25なら陸軍とワシントンの協力が必須というわけか。つまり、私は頭の固い連中を説得すればいいんだな?しかし、現場は誰が指揮を?」
マッカーサーはマドロスパイプに火をつけた。ニミッツはにやりと笑った。
「B25の部隊は陸軍ですから、指揮官はあのドーリットルです」
「ほう、あの飛行機の天才か」
ジミー・ドーリットルは文武両道、航空技術にもすぐれ数々の新記録を保持、同時にカリフォルニア・バークレー校を卒業し、さらにマサチューセッツ工科大学で博士号を持つという、ある意味天才的な飛行機乗りだった。
「まだ、艦隊のほうの指揮官は考えてませんがね。順当ならハルゼーでしょう」
「私がやってもいい」
「ご、ご冗談を」
「私も海は知らないが、陸軍よりはましだろう」
「そ、それは閣下に協力してもらえるなら、百人力ですが」
「ま、ワシントンしだいだがね」
「そうですね……」
ニミッツは、もう頭の中で作戦を練りはじめていた……。
横須賀海軍工廠にもどったおれは、すぐに平塚の技術研究所をたずねた。そこでは電波兵器の開発と、山側の丘を切り拓いて新たな電波兵器の工場が何棟も建てられ、急ピッチで製造がおこなわれている。
宮城や海軍省でこれだけ暴れると、おれもいつ出動を命じられるかわからない。大急ぎでやるだけのことをする必要があった。
伊藤大佐に連絡すると、ぜひ新しい工場のようすを見てほしいと言う。待ち合わせのために、陽のあたる中庭を指定した。
薄い緋色の花をつけた、古桜の木陰でベンチにすわって、おれは連中を待っていた。中庭の中央には円形の花壇があり、その傍らには石碑がある。この地は室町時代、関東公方の祈願所になっていたらしい。
花びらが少し風に舞っている。
そういや、桜花っていう特攻機があったっけ。あれは誰が設計したんだったかな。
ネットがあればすぐ調べられるのに……。
いろんな疑問がスマホ一個ですぐに解決した現代がなつかしくなる。
「お父さん!」
進の声がして、ふりむくとおそろいの作業着を着た、伊藤技術大佐、本田社長ら三人がいた。
「よう」
進はこの数か月で少し精悍な感じになったかな。
「昨日は大変だったようですねえ」
半笑いで、進が生意気にも話しかけてくるのも、頼もしい。
「びびったよ。いろんな意味で……お前のお見合いはどうなったんだ?」
「それどころじゃありませんよ」
進は照れくさそうに頭を掻く。
「生きてるうちに、やることやっておくといいよ。おれもこの前はさすがに命を覚悟した」
「まま、武勇伝はゆっくりお聞かせください。まいりましょう」
伊藤大佐がうながしてくれるまま、歩き出す。
「あれから、本田社長や進君がすごく頑張ってくれまして……」
「い、いや、ぼくは」
慌てて本田社長が手を振っている。
「進から聞いてますよ。すごく頑張ってくれたんですって?」
「そんな……でも、電波兵器用の真空管は、もう量産体制に入っていますよ。既存の弾頭を使うのに、少し苦労しましたが、試験強化による歩留まりの改善以降は、うんとよくなりました……」
真空管と近接信管の工場は、中庭から十分ほども歩いた先の、新らしい敷地内にあった。
蛍光灯が整備され、工場内は極めて明るくなっていた。埃を嫌ってか、近代的な制服に身を包んだ大勢の女性たちが、作業机を前に並んで働いている。中には鉢巻きをしているおばさんもいたりして、なかなか勇ましい。真空管の製造から、信管の完成までをこの工場では受けもっているらしかった。
「弾の完成は別の場所ですか?」
「ええ、火薬を扱うのは危険なので」
「なるほど」
「どうです。検査の機械がたくさんありますでしょう?」
見れば、オシロスコープのような機械があちこちで稼働している。それを使うのも女性のようだ。
「こういう検査機も自前ですし、もっと言えば真空管も作っています。一部には半導体も試験的に使用していますよ」
「え、半導体ってできたの?」
「はい。とはいえ、まだなんとか動いているだけです。わずかな電流を制御してリレーの代わりになるんですが、長持ちして振動にも強いし、小型化も期待できますので、もっと研究が進めば実際の兵器に使えるでしょう」
「やるねえ……」
おれが去年あたえたヒントをもとに、もう実用に近いものを作り出しているとは恐れ入った。日本の技術って、やっぱ小さいものを作る手先の器用さや、寝食忘れて没頭する集中力に支えられてるんだな。
「こういう作業だけど……」
一部を分業して完成させていく工程を指さす。
「ほら、ここで小さな金具を嵌めて、次の工程じゃまたそれをハンダでとめてるでしょう?」
「ええ、お父さんができるだけ分業するようにと……」
「うん、そうなんだけどね。一度部品を箱に収めると手間もかかるし劣化も招くから、もしかすると、遅いベルトコンベアを動かして、その上を部品が動いていく方式にすればもっといいかもしんない。そうすれば速度も作業も固定されるよね」
「……ほう」
本田社長が身をのりだした。
「ベルトコンベア……いや、まずは丈夫で薄いゴムが作れるか、調べてみます!」
「うん、よろしくね」
ひととおり視察を終えて、おれたちは応接室で休息をとることにした。応接といっても、黒板や大きな木のテーブルがあったり、辞書や専門書の書棚が置いてあったりして、まるで大学の研究室のようだ。
「レーダーやレーダー直接制御装置のほうはどうですか?」
出してもらった桜茶を飲みながら、雑談に花を咲かせる。
「順調です。駆逐艦にはすでに配備し始めています」
「いいね。陸軍にも技術供与してね」
この時代の陸海の仲の悪さは百害あって一利なし、だ。きちんとした交流ができなければ、進歩はのぞめない。
「はい、年末にやった全国の科学技術者糾合政策で、志願者は満杯ですし、彼らが陸海に分かれて配備されたあとも、相互の技術交流は毎週行っています。なにもかも、南雲さんのおかげです」
伊藤大佐にしみじみと言われて、照れくさくなった。おれは単に歴史知識にもとづいてアメリカのやり方を模倣しただけで、なにかを成し遂げたわけじゃない。
「ところで……今日は二つほど重要なお話があるんですが、いいですか?」
みんなの目がぎらりと光った。
「は、なんなりと……」
「伊藤大佐、原子爆弾を半年以内に完成させてくれますか」
「原子爆弾をやりますか!」
「ウランは用意します。進!」
「はい」
「お前が朝鮮の平山に行って採掘してくれ。ウラニウム鉱からウラン235を分離するまで現地でやるんだ。やり方は単に砕いて振動させ、重さで見分けるだけだが、ウランの中に235は0.72%しか含まれないから大量に採掘する必要があるぞ。四か月で三百トンを掘らないといけない計算だ」
「……わかりました」
「それと、伊藤大佐、海軍の航空機開発の責任者って、どこにいけば会えますかね?」
「航空機は設計要件を決め、民間の協力で設計図と試作機を作ります。完成したらそれをまた民間が製造することになります」
「海軍の設計担当はどこが?」
「そこですよ」
伊藤大佐が窓の外を指さした。
「え?」
「海軍航空技術廠、すぐ隣の建物です」
窓を覗くと、道をはさんだ木々のむこうに、古びた灰色の巨大な建物が、いくつも並んでいた。




