両巨頭が手を組んだ!
●21 両巨頭が手を組んだ!
おれの生前の世界線のこと――。
パラオのペリリュー島には、鎮魂の碑文がこう刻まれている。
「「「
諸国から訪れる旅人たちよ、
この島を守るために
日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、
そして玉砕したかを伝えられよ
」」」
これを贈ったのは、チェスター・ニミッツ。
アメリカ太平洋艦隊司令長官、兼太平洋戦域最高司令官の、ニミッツ提督、その人である。
若い時から海軍ひとすじ、兵学校を出て、さまざまな軍用船勤務のあと、艦長、潜水戦隊司令、真珠湾の潜水艦基地建設主任などを歴任し、合衆国艦隊先任参謀などを経て、開戦後、海軍長官フランク・ノックスからの要請で、キンメルの後釜として太平洋艦隊司令長官に就任した。
来日経験もあり、大日本帝国の東郷平八郎に心酔、その弟子を自称して憚らないほどの、日本海軍びいきだったのは、有名な話だ……。
真珠湾基地にある太平洋艦隊司令室で、ニミッツは暗号解読班のエドウィン・レイトン中佐から、日本の暗号について、報告を受けていた。
1885年生まれの彼は、この二月に五十七歳になったばかり。若いころは、妻のキャサリンがひとめぼれしたというほど、知的で端正な顔立ちで、スタイルもよかったが、年を経てからは、皺が深くなり、軍人としての苦労を物語るようになってきた。
「すると、日本の暗号形式は以前のままだというのかい?」
目の前のレイトンは、およそ軍人らしくない、数学の先生のような黒ぶち眼鏡を指先で押しあげる。白いワイシャツを腕まくりした姿で、その太った体躯を、ソファーに窮屈そうに埋めていた。
「そ、そうなんです!」
レイトンはなんどもうなずく。言葉をつっかえつっかえ話す癖が、彼にはあった。
「たしかに真珠湾攻撃の前後で、日本の暗号は二回変更されました。一度はアタックの直前、それからその一か月後、で、で、でもこの文章の解析グラフを見てください、実はそれほど変わってない気が、す、するんです」
「それで、解読はできそうなのか」
「ま、まだ、わ、わかりませんが……」
「それじゃ困るよレイトン君」
ニミッツは人懐こい笑顔になった。
「マスコミがうるさくてね。私は仲間うちへのジョークは得意でも、彼らの対応は苦手だ。早くまっとうな戦果をあげたくてたまらん」
「わ、わかって、おります」
おいおい、そう簡単にしょげるんじゃないよ……。
ニミッツは心の中で苦笑する。
どうも、この男は気が弱い。気分が乗ってるときは、すごくいい仕事をするんだが……。
「それにしても、情報参謀ってのは、たいしたもんだな」
ペーパーを見ながら、ニミッツはソファーの背もたれに寄りかかった。
「こんなのでそれがわかるとはね。私はドイツ系移民の子で、先祖は貴族だったらしいが、放蕩の祖先がいて一文無しになった。祖父がやり手でフレデリックスバーグで宿屋を開業したものの、オヤジが早く他界してね」
「……は、はあ」
「家業を継ぐためもあって、母が再婚したもんだから、私は独立するしかなかった。それが海軍兵学校だったんだ。おかげで、勉強するヒマがなく、数学なんていまだに三角関数もわからない」
「ご、ご、ご冗談を。わ、私も兵学校出ですよ。ただ、いい部下がいるだけで……」
「冗談じゃないさ。海軍の学校じゃ、こんなこと誰も教えてくれなかったよ」
「か、海軍大学校では講演までされて、お、お、おられます」
「ああそうだった」
ニミッツは快活そうに膝を叩いた。
「テーマはたしか……潜水艦の攻撃作戦とその防御、だったかな? それでも三角関数はよくわからん」
あっはっは、と笑うと、レイトンも少しつられて笑った。
「さ、レイトン教授、よろしくたのむよ」
「わ、わかりました!」
レイトンは教授と呼ばれてすっかり気分を良くしたらしい。
巨体を浮かせて帰っていった。
「長官」
「なんだい?」
副官のアーサー・ラマー大尉を振りかえる。
「……お越しになりました」
「ん、わかった」
お互い、誰かは言わなくともわかっている。
さて、次はやっかいだぞ……。
「では、二階の作戦会議室にお通しを」
「かしこまりました」
ラマーが接遇のために去っていく。
まさか、五歳も年上の、ダグラス・マッカーサーを、この雑然として職員も大勢いる、艦隊司令室で出迎えるわけにもゆくまい。
ニミッツは鏡を見て、制服のボタンをかける。
スタンドプレイが好きなマッカーサーを、ニミッツは好きではなかった。マッカーサーもまた、フランクで冗談好きな自分が嫌いだろう、とニミッツは思っていた。
司令室を出て、ひとつ下の階の作戦会議室に向かう。
扉の前では、すでに副官のラマー大尉が待っていた。
「マッカーサー長官はとなりの部屋でお待ちです。どうぞ中に」
いぶかりながら、ラマーに開けてもらったドアをくぐる。
「後から来られるそうで……」
うっすらとラマーが口をゆがめる。その仕草で、どちらが先に入って相手を待つべきか、というプライドの問題だと知った。実にくだらないが、いかにもマッカーサーらしい。
「では、先にお待ちするよ」
「すぐにお連れします」
ラマーが出ていき、二分もしないうちにノックの音がした。
ニミッツは立ち上がり、副官が開けた扉を、マッカーサーがいつもの難しい顔で入ってくるのを迎える。
「ようこそ閣下、お待ちしていました」
「うむ、君とはワシントン以来だな」
握手を交わす。二人は白いクロスがかけられているテーブルをはさんで坐った。
ラマーとマッカーサーの副官ジョン・D・マクルリーも、それぞれの側にやや控えて着席する。ニミッツは仏頂面の先輩に、飲み物をお持ちするようにと言い、彼が秘書室への電話に立つのを見て、ようやく口を開いた。
「大変な目にあわれましたね」
マッカーサーは肩をすくめる。
「不覚にも虜囚となったが、君のところの海兵隊員に助けられたよ。あれは鍛え抜かれたいい兵士だ」
「キング合衆国艦隊司令長官から連絡があり驚きました。作戦の立案も私が行いました」
「助かった。礼を言う。それにしても、よく私の居場所がわかったものだ」
「トラック泊地はかならず彼らが通る場所ですから、見当するのは簡単でしたよ。あとは現地人諜報員と、現場での彼らの働きです」
「いや、君のおかげだよ。あの二人にもシルバースターを推薦しておいた。彼らには十分その価値がある」
「ありがとうございます」
おや、とニミッツは思った。
たしかに尊大さは以前のままだが、このマッカーサーにはどこか達観したような柔和さがある。捕虜の経験が、彼を変えたのだろうか?
「今日はその件で?」
「いや、そうではない。実は大統領からフィリピン、オーストラリアなどの、南西太平洋地域を任すと言われた。今後は君とも連携せねばならんから、ワシントンに行く前に、一度会っておきたかったのだ」
「閣下の御就任は聞いています。……ですが、ワシントンにはなぜ行かれるのですか?まさか就任式をするとでも?」
「こういう非常時だから就任式は遠慮しておく。だが、どうしてもワシントンに確かめねばならんことができたのだ。実は、トラック島にナグモがやってきた」
「ナグモとお会いになったのですか?!」
思わず声が大きくなる。
「うむ、不思議な男だった。君は来日の際に会った東郷平八郎を尊敬し、師とも仰いでいるそうだが、たしかに日本人は時に怪物を輩出するようだ」
「それほど、ですか」
「たとえるなら、まるでこの世の人間ではないような、実に変わった男だった。で、そのナグモから、日本が原子爆弾を開発しているという話を聞いたのだ」
「原子……爆弾?」
「君が知らないのも無理はない。私も知らなかった。とにかく理論物理学の原理を利用した特殊な爆弾で、一発で都市を破壊してしまうほどの恐ろしい威力なのだそうだ。知りたければアインシュタインに聞けと、ナグモに言われたよ」
「……」
「だから君にも言っておきたかったのだ。もしかすると、この戦争は時間を稼いではいられないかもしれない」
「それがアメリカに使われるからですか?」
「うむ、高高度爆撃機のフガクでな」
「とても信じられませんね」
ニミッツは肩をすくめる。
ちょうど、ノックの音がして、飲み物が運ばれてきた。
「ありがとうローラ」
ブロンドの秘書に軽く礼を言う。
ローラが出ていくと、ふたたびマッカーサーが口を開く。
「それから、今後のわが合衆国海軍の作戦についてだが、日本の弱点は通商破壊だ。なにがあっても、ウラニウムや鉄を日本に運ばせたくない。そのために今われわれが出来ることは、ひとつ」
マッカーサーが作戦のことを自分に相談するのは意外だ。
彼はすべてを自分が決め、誰かに意見を求めたりはしないタイプだというのに。
「……潜水艦ですか?」
「そうだ。空母や巡洋艦はナグモに沈められてしまった。むろん、あらゆる手段で新たな建造はハイピッチで進められてはいるが、今すぐというわけにはいかん。しかし潜水艦は数十艦以上が健在だ」
「おっしゃる通りです。私もそう考えていました」
フィリピンから台湾にかける空襲戦略がマッカーサーの一貫した主張だったはず。よくぞここまで信念を転換したものだ、と感心する。
「はからずも、われわれの意見は一致したようだニミッツ君、キミは潜水艦のスペシャリストで作戦、運用、メンテナンス全てに通じている。ついては、ぜひ艦隊編成をたのみたい。それをわれわれで機動運用し、あのナグモに一泡吹かせてやろうではないか」




