ガリ版尋問記
●20 ガリ版尋問記
御前会議が終わり、東一の間を出たところで、東条首相に胸倉をつかまれた。
「誰も知らない話を陛下にするやつがあるか!」
帰ろうとしていた面々が、その場で凍りつく。
なにすんだこのハゲ!
といいたいところだが、なにかが邪魔して冷静になる。
嶋田海軍大臣や、永野総長も悪いのはさすがにおれだから、安易にはかばうこともできず、ただ困った顔をしている。
東条の後ろには鈴木貞一もいて、眼鏡の下で口をへの字に曲げておれを睨んでいた。
「こりゃどうも。ご迷惑をおかけしちゃって」
おれはへらっと笑う。
危うい海の上での戦争を経験していると、こうして陸にいるだけでそれがいかに安心と自信を生むかがよくわかる。ここにいるのは別に敵じゃない。たとえそれが政敵だとしても……。
それに詰めよられても、別にびびらないのは、やはり南雲ッちの胆力か?
だが、それがまた陸軍総裁には気に入らなかったようだ。
「キサマ、悪びれもせず笑いおって、それでも軍人か?」
そう言われてもね……。
「もちろん軍人ですよ……アメリカの空母全部とイギリス艦隊のほとんどを壊滅させただけの、ね」
「お、思い上がるな!」
ちょっと鼻白んで手を離す。おれの功績を思いだしたのだろう。
「いや、思い上がってはいないですよ。こうして海軍が相手の手足をもげるのも、陸軍さんが命がけで南方の資源をおさえてくれているおかげ。帝国は陸海両軍が協力しているからこその快進撃ですから」
「言われんでもわかっておる!」
「そういえば首相、最近おれがアメリカと通じているなどという噂があるそうですが……」
その場のみんながさっと蒼ざめる。
「南雲くん、その話は……」
永野総長が割って入ろうとするのを、おれは抑えた。
「せっかくお引きとめいただいたので、ついでに言わせていただきます。おれは利用できるものならなんでも利用するんです。敵の人間でも民衆でもね。アメリカは民主主義国家なので、政治家はみんな選挙でえらばれる。だから民衆の力はあなどれない。おれがやろうとしていることは、敵国の中に日本の味方をつくることで、けしておれ自身が、アメリカの手先なんかじゃない」
「なら、なぜマッカーサーを逃がした!」
鈴木貞一が叫ぶ。
この時代の軍人って、どうして、いちいち叫ばないと喋れないんだろう。
「あのねえ鈴木さん、彼らは建物から五十メートルもない浜辺にモーターボートを係留して数百メートルの近海に潜水艦を待機させていたんですぜ。すぐに追っ手をかけたとしても、とても追いつけない。それに、マッカーサーにはある呪いをかけてあるんですよ。それがいまごろ、じわじわ効いているはず」
「な、なにをわからんことを言ってる!」
つかまれて皺になった制服をなおし、おれはにっこりと笑った。
「閣下、おれはドイツ式の陸主・海従でもいいし、イギリス式の海主・陸従でも、どちらでもいい。どうか連携して仲良くやってほしい。おれは現場の人間で出世にも興味がないし、命令されればいつだって全力を尽くします。しかし陸海が足を引っぱる構図だけはいかんと思うのですよ」
「陸軍がいつ海軍の足を引っぱったというのだ。聞き捨てならん!」
「南雲くん、もうそのへんで」
「閣下、またぜひご教導ください」
ちょこっと頭をさげておく。
「とにかくおれのマッカーサー報告書をお読みくださいな。それでアメリカのマンハッタン計画と、原子爆弾に関する重大な知見が、ご理解いただけると思いますよ」
黒塗りのでかい車がガタゴト道をすごいスピードで走る。
宮中から海軍省に移動するその車中、おれは嶋田、永野の両氏にも、さんざん怒られていた。
とくに、永野海軍軍令部総長はかんかんだ。
「まったく君という男は、陸主・海従を認めるようなことを言いおって、あれでもう一生出世はなくなったぞ!」
「だから、そんなものに興味はないんですって。それに、おれはもう中将ですよ。この先いくつ出世したって、しれてます」
「ばかもん!いずれはわたしのあとをだな……」
「おれは現場が好きなんです。それにまだ戦争は終わっちゃいません。……まあ、空母を失ったアメリカが、生産力を全開にしてくるには、あと少しかかりますが……」
「たしかに、君のおかげで海に戦場はなくなった」
しばらく黙って話を聞いていた嶋田大臣――嶋はんが口を開いた。
「しかし、だからこそ、連合艦隊司令長官や、軍令部への道も模索すべきとは思わんかね?」
「だめですよ大臣、まだ安心はできないんです」
「それは、原子爆弾とやらかね?」
「そうです」
「それはいったい、どんなものなのだ?」
よし、食いついた。
おれは二人にゆっくりと話す。
「いいですか。太陽が燃えている原理を原子核反応といいます。その原理を応用した核反応兵器の総称が核兵器で、原子爆弾もそのひとつです。で、核兵器をいつ誰が先んじて開発するかで、世界がかわってしまうんです」
永野総長がなにかを思案しているようすだ。もともと頭のいい人だから、想像力も豊かなんだろう。嶋はんも腕組みをして車のシートにもたれる。おれたちは四人用の対面シートに座っていて、もちろん一番格上の嶋はんが一人の側だった。
「その、核兵器とやらは、君ほどの軍人をして、御前会議での常識を奪うほどに、強力な武器なのかね?」
永野さんてば、器用に皮肉言いますね。まさか京都人ですか?
「まさに強烈無比な兵器ですよ。一発の1トン爆弾で、通常爆弾一万五千発ぶんの威力、四千度の高熱、半径七キロに被害が及び、その後何年も放射能毒性が残留する、といえばわかりますか?」
どう言えば軍人がびびるか、もうマッカーサーですっかり学習しているおれは、すらすらと数字を並び立てる。
「……」
「……」
「おれはマッカーサーから、この爆弾をすでにアメリカが開発していて、日本の戦闘機が到達できない高高度長距離爆撃機B29に搭載して日本の各都市を爆撃するつもりだと聞いたんですよ」
もちろん、嘘だ。
だけど、あのウェーク島で出会ったカニンガム中佐の報告書が、日本の電波兵器の開発を一気に進めたように、マッカーサーを利用することで、おれは原爆の開発を強力に押しすすめるつもりでいた。
「南雲くんの噂はいつも聞いていたわけだが……いやはや。とにかく、一刻もはやく、そのマッカーサー報告書とやらを出したまえ」
嶋はんは、それだけを言うのがせいいっぱいだった……。
「「「
軍令部総長永野修身殿
第一航空艦隊司令長官 南雲忠一
米国ダグラスマッカーサー司令官ヘノ尋問報告書
明ラカトナリシ、米国計画中ノ原子爆弾ナル新兵器ノ詳細ニツイテノ
一、原子爆弾ノ原理
二、原子爆弾ノ威力
三、マンハッタン計画
四、大日本帝国ニ於ケル第一人者ト、アルベキ組織図
五、原材料ウラニウムノ産地ト開発計画
」」」
(うわーいっぱい書かないといかんなあ)
項目を書いただけで、もううんざりする。
なんども言うようだが、この時代にはパソコンもキーボードもコピーもない。
手書きで書いたものを和文タイプか毛筆清書して写真に撮影して引き延ばすのがせいぜいで、実に実にめんどくさい。青写真といって、真っ青の紙に白い文字や線が浮かぶ複写の方法もあるが、それだってめっちゃ時間がかかるし、読みづらい。なんか、いい方法はないものか。
「ガリ版はどうです?」
事務方に相談したら、そう提案された。
柳瀬という背の高い事務員だ。
「なにそれ」
「片側にパラフィンを塗った紙をがりがり鉄筆で削って書くんです。で、黒いインクを上からローラーで塗ると、下に印刷できますよ」
なるほど、シルクスクリーンみたいなもんか……。
「それいいな。いくらでも複製できる」
「でも、いいんですか? 極秘書類をそんなに大量につくっちゃって……」
いくらなんでも、そんな小学校の答案用紙みたいなこと、と事務員が躊躇するのを、無理やり用意させる。
とはいえ、今回はおれの得意な口述筆記をするわけにはいかなさそうだ。たくさんの事務員を使って情報が洩れ、無用の混乱がおこっても困る。まあ、おれひとりでも、一晩もあれば、十枚ぐらいの報告書は書けるだろう。
職員はみんながいたって協力的だった。
「長官、私も実は誤解しておりました」
「ん?」
パラフィン紙と鉄筆をそろえ、執筆の用意をしながら柳瀬が頭を掻き掻き、つぶやく。
「いえ、さっきのお話です」
「ああ、あれか」
おれは海軍省に帰ってすぐ、職員を集めてもらい、話をした。例のおれがアメリカに通じているという誤解を解くためだ。
といっても、別にむずかしい説明をしたわけではなく、おれの人間に対する考え方を話しただけだ。米英も同じ人間だし、日本には世界に誇れるいいところがたくさんある。西欧諸国にも、日本が好きな人間もいて、戦争を終結するためには、国民感情を抜きには出来ないから、むしろ親近感をもってもらうほうがいいことなど。
そうやっておれがアメリカ人を特別待遇しているのじゃなく、国際条約を順守し、戦争を早期に終結しようと努力していることがわかると、みんなはすっかり安心したようで、笑顔になってくれたものだ。
「こっちはこれでいいとして、横須賀工廠がなあ」
「大丈夫ですよ。今日長官が御前会議に出席されたこと、東条首相に怖気もせずタンカを切ったこと、そして今日のお話、みんなあっと言う間に伝わりますよ」
「そんなもんかね」
鉄筆の先を指でついて見る。
「痛っ」
かなり、とんがってる。
「あ、それ気をつけてくださいよ。そこの砥石で先を常にとがらせながら、原稿を切ってください」
「へーそうするのか」
「長官」
「ん、なに?」
「大丈夫ですよ。長官のお人柄はよくわかりました。こういう方だからこそ、あれだけの成果を上げられるんだな、と思います」
「いや、まあ、それほどでも」
「横浜工廠にもすぐ伝わりますよ。なにより、自分が広めます。横須賀には友人がいるんですよ」
「あはは……それは助かる」
たしかに、軍内には敵より味方が多いほうがいいもんね。




