噂の真相
●18 噂の真相
どうも、おかしい……。
おれは、海軍横須賀工廠、官庁舎の広い階段をのぼりながら、首をかしげていた。
今日ここへ来たのは、御前会議の準備として、嶋田海軍大臣、永野総長、そして山本五十六長官らとの打ち合わせがあったからだ。なのになぜか、嶋田、永野の両氏は急な用が入ったと受付が告げ、山本氏だけが会うという。
おまけに、庁舎で出会う人間という人間が、どこか余所余所しいのだ。去年、ここに戦艦比叡で入港したときには、みんなが大勢で出迎えてくれたし、庁舎内では知り合いが通るたびに、親しげに声をかけてきたというのに、今回は全員がガン無視じゃないか。なんだこりゃ?
とにかく庁舎の一角にある連合艦隊司令長官特務室に向かう。
部屋の外には誰もおらず、おれはノックをした。
「誰か」
部屋の中から山本長官の声がする。
「南雲です」
「おお、入ってくれ」
おそるおそる扉を開けて、顔をのぞかせる。
若い副官が立ちあがり、一礼して出迎えてくれる。
部屋の右奥、執務机には山本氏が座っている。
書類に目を通しているのか、おれの方は見ていない。
おれは咳払いを一つして、中に入った。
「長官、ただいま戻りました」
「お、南雲くん、まあすわってくれ」
「あ、ども」
こうしていると、山本さんも軍人というより、すっかり管理職だよな……。
「嶋田大臣と永野総長はおられないんですね」
なんとなく、揶揄するっぽく言ってしまう。
「いやあ、あの人たちも忙しいんでな」
ようやく顔をあげ、おれを見る。目が笑ってない。
ふふん、そう来ますか……。
この時代の人間はどうか知らないが、おれは遠慮も忖度もしない現代っ子だ。多少の目上には動じないし、理不尽な扱いには反発しか感じない。へんなプライドもないから、人間関係はさっさと解決したくなる。
単刀直入に聞くことにした。
「ちょうかん、コレってどーゆーことすか?」
「……ん、なにがだ」
「なにがだ、じゃないでしょう。なんだかずいぶんな対応じゃないですか。これが日本から何万キロも離れて闘って帰ってきた人間への仕打ちですか」
「ちょっと、なにを言ってるのかわからんが……」
さすがはここまで上り詰めた人間だね。顔色一つ変えず、すっとぼけている。
真相を明かしてくれる気はなさそうだ。これ以上追及しても、敵意を抱かせるだけかもな。
おれはやり方を変える。
「じゃ、おれの勘違いですかね。今の話は忘れてください」
「あ、ああ」
「で、ですね……」
おれは笑顔になる。たぶん、目は笑ってないだろう。
「こんどの御前会議ですけど……」
「うん、そのことだ」
ほっとしたように身をのりだす。
「たかが中将の私を出席させる理由はなんですかね? どう考えてもおかしいでしょう」
「それは……聖旨だそうだ」
「せいし?」
南雲ッちの記憶がよみがえる。
聖旨ってのは陛下のお考えのこと……。
つまり、お上がそれを希望した……って意味か?
「そりゃ……大変ですね」
「そうなんだよ」
「それで、なんのご用でしょう?」
「さあ、それはわからんが、君にご興味があるってことだろう。顔を見ておきたいんじゃないか?」
「この顔を、ですか?」
ぬっと突き出して指を差す。
「はは……」
お?
なんとなく、山本氏が気を許してきた気がするな。
もう一押ししておくか?
「あ、そういえば進のお見合いの労をお取りいただいたそうで、ありがとうございました。これで息子もようやく身を固めることが出来そうです」
「おー!」
ぱっと顔を明るくする。
「聞いてくれたか!もとは九州、豊後の大名家、佐伯男爵のお孫さんでな。家柄は申しぶんない。見た目もいいし、性格もよさそうだ。りきさんにはオレから手紙を添えた」
「はい、手紙で知りました。これで山本長官には一生頭が上がりません。仲人はぜひお願いしますよ」
「いやいや、オレなんかでいいのかな? ははは」
まんざらでもなさそう。だいぶほぐれてきた感じがする。
そろそろ、いいかな?
「となれば、長官はもはやおれの親戚のようなものですね。……そこで、ねえオジキ」
「な、なんだい」
「御前会議で、おれってこんな風になんでもくっちゃべって、いいんですかね? なんせ、ここんとこのおれって、増長して命令はないがしろにするし、大本営の作戦には口を出すし、おまけにマッカーサーは逃がすし、貴方がたの言う武人にあるまじきふるまいだらけ……でしょ?」
離れた机に座る副官が、びっくりしておれを見る。
「だけど、言っておきますがおれは今も武人ですよ。この戦争を戦い、連合国に勝つために生まれ、ここにいる。どうやってそれをやるか、それをずーっと考えて生きているし、それ以外には興味がない。家族も巻き込んでこの戦争のためにすべてを捧げている。口数は多いけど、それはおしゃべりも武器の一つだと思ってるからです」
「う、うん、まあ」
「オジキをサムライとしてもういちど聞きますよ。お答えによっては、おれはすぐにでも退官します。帝国の未来に未練はあるけど、みなさんとの信頼関係が保てなければもはやこれまで。余生はインドにでも渡って民族解放軍の首領にでもなりますよ。だから教えてください」
おれは山本氏の目を見つめて言う。
「この冷たい空気は、どうしてですか」
「……うーん」
うーん、じゃねえよ。
現代人のおれには、耐え忍ぶ、なんて概念はないぞ。
気に入らなかったら、さくっと辞めてやる。
「いかに!」
ふう、と山本氏が息を吐く。
「君は帝国軍人……だな?」
「は?」
なに言ってんの、この人?
気がつくと、こっちを見ていた副官の若者と目が合う。びくっとして、あわてて机に視線を戻した。
「仕方ない。では話すよ」
「お願いします」
「君に対してのやっかみは、軍内でも前々からあった。それはオレも知っていたし、オレだって君のわがままになにかを感じないでもなかったが、それこそ武人らしからぬ感情だから、それは捨て置くつもりでいた。だが、そうは言ってられない噂が出回りはじめたんだ」
「噂……どんな?」
「君が米英に通じているんじゃないかって、噂だ」
「はあ?」
どゆこと?
おれが連合国のスパイだってのか?
「誰が言ってるんですか?」
「オレが聞いているのは、首相の側近連中がそう噂してるらしいってところまでだ」
「首相って……え~と、東条英機?」
「の、側近」
またまた歴史上の人物だ。
だけど、今回は喜んでばかりもいられない。その人物の周辺からよからぬ噂が出るってことは、ある意味おれの身に危険がせまっていることを意味する。
「君は例のアメリカ人捕虜の通訳を、セイロン沖で解放したらしいね?」
「はあ……まあ故あって、ですけど」
「それに、以前から君はアメリカ人の捕虜を特別に丁重に扱え、とうるさく言っていたそうだな。陸軍にもそれは伝わっている」
あ、オーストラリアの戦いで、陸軍の144歩兵連隊約五千人をニューブリテン島に送ったときか。え~と……。
「楠瀬正雄大佐でしたか、たしかに言いましたよ」
「あれは実直な男で、それを忠実に守ったそうだ。しかし陸軍の中に違和感を唱える人間もいる」
「まあ、いるでしょうね」
「ミッドウェーでも、ウェークでもそうだった。そもそも、真珠湾攻撃からこっち、モールスによる敵への通告っても、おかしな話だ」
「あんた、けっこう喜んでたじゃん」
「ん、まあ、そうだが……」
山本五十六はちょっとバツの悪そうな顔をする。
「そこへきて、今回はマッカーサーという大物中の大物を逃がしてしまった。それも追撃を禁止したそうじゃないか? いくらなんでも……」
「はいはい、わかりましたよ」
おれは両手の掌を向ける。
だいたいの事情は分かった、あまりにもおれの言動がアメリカに配慮したものなので、アメリカの利益のために動いてるんじゃないかと、首相の側近が騒いでいるんだろう。
そして、そのことを知った連中が、おれとの距離を取り始めているのだ。
まあ、どうせ火のないところに煙は立たず、とか言ってるんじゃないか?
「わかったか?」
「ええ、わかりましたとも。おれのスパイ容疑も、その出所が東条さんてこともね。あとひとつだけ」
「う、うん?」
「吉田茂と阿南惟幾さんてのは?」
「あ、ああ、その話も聞いてる。二人はもとから反三国同盟で英米通だから、君が目障りらしい。米英と講和するなら、自分らが専門だ、みたいな……」
「うわーめんどくせー、くだらねー」
本音だった。
やっぱり、おれは戦ってるほうがいいや。
国内で敵ばかりなのはやっかいだが、かといって、いちいち誤解を解いて回る気にもならない。
「ふう。じゃ、あとは御前会議ですね。そっちはなにを準備しとけばいいんですか?」
「なにもない」
「なにも……?」
「要するに、そんなこんなで、今上陛下が君に興味を示されたから仕方なく呼んだだけで、首相や他のえらいさんは、君になにひとつ発言させるつもりはないってことだ。特に今の君にはね」
「ほーん」
……なるほどね。
なにひとつ発言がないなら、そりゃ、なにも準備する必要はないよね。
「わかりましたオジキ」
「そのオジキってのはやめてくれ! 君とは三つしか違わないんだぞ」
山本氏が苦笑いしている。
「じゃアニキでもいいですよ。どっちにしろ、おれはやっぱり現場があってます。インド洋はきっぱりお断りしますから、古賀さんか井上さんに頼んでください。おれは太平洋であと半年、暴れまわってやります」
「半年……?」
「アメリカとはこれからが本番ですから。そのことは会議がおわったら話しますよ。それより……」
「……?」
まずは御前会議だな。
ようし、思いきって、やってやるぞ……。




