東海道珍道中
●17 東海道珍道中
救護班を呼び、負傷した兵たちの治療にあたらせたおれは、一睡もせずに各所への報告と指示を行った。残念ながら階段番の兵士は助からず、涙とともに荼毘に伏したが、見張りの兵は助かった。
日本の真珠湾とも名高いトラック島への敵の潜入と、マッカーサーの奪還作戦を許したという海軍基地はじまっていらいの失策は、海軍上層部に大きな衝撃を与えることになった。すぐ各基地警備網の見直しと夜間照明塔の設置、周囲のソナー哨戒を徹底するよう指示をする。
おれはただちに本国への報告を求められ、そのため停泊中の巡洋艦鳥海と艦隊を率いてウェークを経由、そこで先発の空母翔鶴とも合流し、本土防衛に目を配りながら、一路日本へと向かう。
呉に到着したのは三月の末だった。新聞ではすでにマッカーサーの拿捕と、その奪還が伝えられていた。そこからおれたち参謀は、山陽本線から東海道線に乗り継ぎ、横須賀までの列車に乗った。
「それにしても、能天気なもんだな」
列車に揺られながら、山口多聞がつぶやく。
「大本営も南雲長官とわれわれがどれだけ苦労して太平洋とオーストラリア、そしてインド洋をやってきたのか、わかっとらんのだ」
「そうですよ」
草鹿も弁当を広げながら、
「だってそうでしょ。マッカーサーを捕まえたのも長官の手柄だし、アメリカとの講和に向けての話し合いだって、長官が先を考えてやったこと。そりゃあ、逃げられたのはちょっと失敗だったけど……」
そう文句を言い、芋の煮転がしを器用に箸につまんだ。
「いいんだよ」
おれは右肩をさすりながら、連中を慰める。
ようやく、肩の負傷も癒えつつあり、なんとかギブスも外れていた。
「わかってくれるのはありがたいけど、まあ失敗は失敗だ。それにマッカーサーはどこかで本国に返そうと思ってたんだ。どうせそれには反対されるだろ?」
「それはそうでしょうな」
がたんごとん、とこの時代の汽車はよく揺れる。
この汽車は、海軍が御用達になってて、ほぼ全車両に赤城や翔鶴の兵士たちがたくさん乗車していた。
もっとも、この車両には一定の階級以上の兵士だけが乗車しているため、それなりのしつらえにはなっている。
「その反対をどうやって押し切ろうかと悩んでたからな。まあいってみれば、手間が省けたのさ。もともとマッカーサーを捕まえてくれたのは、多聞ちゃんだしね」
「それだって、長官がやつの逃亡日や航路を予言してくれたからです。私だけじゃとてもとても」
「でもね長官、新聞はどうなんですか」
「どうって?」
おれは草鹿を見る。座席は四人掛けになっているが、こちら側にはおれだけで、対面に山口と草鹿がすわっていた。
「だって、こんなに早くマッカーサーの脱出を報道しますか? なんか、ちょっと嫌だなあ」
「たしかに今回早かったらしいな」
呉の軍港に着き、街に出たら、もう新聞の記事になっていて、おれたちはちょっと驚いた。戦果が早く流されるのは当然としても、失敗はこんなに早く報道されるなんて、ちょっとこの時代のマスコミを見直したぐらいだ。
「これは知り合いの海軍省の人間に聞いた話なんですけどね」
「?」
草鹿がちょっと声のトーンを落とす。
うるさい車内だから、そんな心配もいらないと思うけど、あまり他の人間に聞かれたくない話なんだろう。
「なんだ?」
「なんか、政府の中に、長官を悪く言う人間がいるらしいんですよ。それでそいつが新聞屋に漏らしたんじゃないかって」
「ほう……」
おれはちょっと興味を覚えた。
政府なんてものが、おれに敵対するなんて夢にも思わなかった……。南雲ッちも偉くなったもんだ。
「誰が悪く言ってるの?」
草鹿はちょっと言おうか言うまいか、口をもぐもぐさせながら考えている。
「草鹿さん、あんたも煮え切らないな。南雲長官の味方なんでしょう?」
「あったりまえですよ!」
ちょっと憤慨して口をとがらせる。
「自分は昔も今も、ずっと南雲長官の味方です!」
「じゃあ、言いなさいよ」
笑う山口に、草鹿があきらめたように溜息をついた。
「仕方ないなあ。海軍省の奴には絶対他言無用だと言われてんですけどね」
顔を寄せる。
「あのですね……吉田って人らしいんですよ」
「吉田?」
「ええ、吉田茂」
「よしだしげるう?」
思わず大きな声になる。
「あれ。長官知ってるんですか?」
知ってるもなにも、吉田茂といえば、敗戦した世界線で、終戦後の日本の首相じゃないか!
今はなにやってたっけ……たしかイギリス大使?それともそれを退いて近衛文麿らと終戦を画策してたっけ?
どっちにしても、おれの敵じゃないはずなんだけどなあ。
「それと、陸軍の阿南」
「お?」
阿南惟幾さんと来たか。
これまた、歴史上の人物ですなあ。
おれは嬉しくなってきた。
おれが太平洋やインド洋で戦っている間に、なんとなくおれには政敵っぽい、いわばアンチが生まれ、そして歴史上の人物たちも、このおれに興味を示してきたというわけだ。
だとしたら、そういう連中とも、会ってみたい気がするよな。
「ふーん、おれも有名になったもんだ」
「いやいやいや、長官はたぶん海軍で一番の有名人ですよ」
「そんなもんかね」
もちろん有名になんて別になっても嬉しくない。もともと、おれは南雲ッちに転生した霧島健人だし、その知識で今までなんとか戦ってきたけど、おれの中じゃ南雲ッちは最初から立派な海軍中将だ。
「ところで南雲長官」
山口が口を開いた。
ちょうど、汽車が途中の駅に停車したようだ。
「あ、自分なにか買ってきますが、お二人は?」
「いいよ。さっき食べたからな」
じゃ、と草鹿が急いで下車する。
「なんだい多聞ちゃん」
「インド洋連合艦隊の件はどうなったんです? まさか今度の失策でおあずけですかな」
「それなんだけどさ」
おれは頭を掻いた。
「なんとか断れないかな。なんなら、あんたやってくれよ」
「ご、ご冗談を!」
山口が驚いて腰を浮かしそうになる。
「私は海軍兵学校の四十期ですぞ? あなたは三十六期でしょう。山本さんは三十二期、それに南雲長官はこのところの功績抜群だからこそ、推挙されたんだ」
「まあ三日後のアレしだいなんだけどね」
「いや、もうそれじゃ決まったも同然ですよ」
「だから、困ってるんだ。おれはインド洋には行けない。太平洋でやることができたんだ」
「そうは言っても、インド洋にもイギリスがいます!」
「お待たせしました!」
草鹿がもどってきた。
「なんの話ですか?」
「また南雲長官が出世をゴネてるんだよ」
山口が苦笑いで言う。
「ああ、インド洋連合艦隊司令長官の件ですか」
「イヤなんだよおれは」
しかめっつらで、窓の外を見る。
汽車は一度大きく揺れ、それから徐々に走りだす。
先頭の機関車の方で蒸気が吹き上がった。
「まさか忠一っつあん、大命をおことわりするなど、考えてはおられないでしょうな!」
山口が真剣な表情で言う。彼が下の名前で呼んでくれるのは、たいていおれをけん制するときにきまってる。
「ビキニ環礁に行かないとダメなんだ。インド洋にしばりつけられるわけには、いかないんだよ……」
おれはなんと、三日後の御前会議に、出席を求められていたのだ。
「まずはいつまで日本にいられるか、だな。横須賀で電波兵器の進み具合を見たいし、理研で原爆の開発会議と、それから富嶽のジェットエンジンも……」
やることは、いっぱいあった。
「まいったなあ……」




