老兵は去るのみ
●16 老兵は去るのみ
貴賓室はすぐにわかった。
重厚な見開きの扉。その両側に気をつけのまま立つ二人の日本兵。それぞれの手には歩兵銃がある。間違いない。あそこがマッカーサー司令官の監禁されている部屋だ。
ビフはにこやかに笑いながら、襟首をつかんだキノとともに近づいた。あわてず、ゆっくりと。
(そう、俺の顔は東洋人だから、たちまち攻撃はない。ただし、ここに詰める兵はみんな顔見知りだろうから、当然、知らない俺には警戒する。さあ、どう出る?)
見張り員たちは、ただ顔をひきつらせて銃を構えた。
やはり、こういうときに、すぐ攻撃することはできないものなのだ。
「とまれ!なにものだ!」
威嚇射撃を行うには、時間がなさすぎた。
キノの腰を持ち、鍛え抜かれた膂力で投げつける。
二人の当番兵は、面食らって一瞬反応が遅れる。
廊下の反対側から、ジョンが姿勢を低くして、猛ダッシュしてくるのが見える。
そのまま向こう側の兵士に、フットボール式のタックルをして倒し、ナイフを深々と突き立てた。
「ぐおおっ!」
ジョンが日本兵の歩兵銃を取りあげ、その銃把をふりあげたとき、もうひとりの兵士は、ビフに首すじを両手で抱えられ、顔面にひざ蹴りを何発もくらっているところだった。
「ぐうっ」
どすん、どすん、と鈍い音が廊下に響く。
……カチャ。
両開きの扉が薄く開けられ、中から誰かが目だけでようすをうかがった。
ジョンはすぐさま、その薄く開いた扉の隙間に指をつっこんだ。
いいぞ。チャンスだ。一気に勝負をつけられる!
「うわっ!」
通訳が思い切り扉を押しもどした。
差しこまれた指が挟まれ、扉の向こうで声のない悲鳴があがる。
「どうした?」
「わかりません!誰かが襲ってきてます!」
必死に体重をあずけながら、通訳が叫んだ。
「長官、隠れてください!」
だがその時間もなく……。
バン!
扉が外からタックルされ、通訳がごろごろと転がった。
おれは本能的に助けようと近寄る。
そこへ知らない男が二人、襲いかかってくる。
うちの一人――顔のしらない日本兵が、おれの左肩を掴み引きおこそうとする。
一瞬味方か、と思ったが、血相を変えている。
とっさに突き放そうとするが、なんと言っても、おれは右肩を吊っている。左手だけではどうにもならない。なんとか脚を払って倒そうとするが、相手の右手にナイフが握られているのを見て、あわてて飛びのいた。
「こら、待て待て待て」
待つはずもなく、東洋系の男にナイフを突き立てられそうになる。とっさに相手の両肩を掴み、巴投げに投げ飛ばした。
「ぜあああ!!!!」
右肩が痛いが気にしてられない。
技の終わりは相手を掴んだまま馬乗りになるのが普通だが、相手がナイフだから接近戦は危険だ。
ぱっと手を離し、そのまま相手が離れるに任せた。
敵は猫のようにさっと反転して、立ち上がってくる。一連の揉みあいで、敵の全身に筋肉の厚みを感じて、闘志がくじけそうになる。態勢の立て直しも、投げたこちらがむしろ遅い。
「長官っ!」
通訳がおれをかばって飛びかかってくるが、歩兵銃を持ったもうひとりのアフリカ系に一瞬で蹴倒された。
(つ、つよっ!)
ナイフを構えた男が、まだ寝ているおれに飛びかかってくる。
間一髪横転してかわす。
こりゃダメだ。
こいつらとんでもなく強いぞ。
きっと特殊な訓練を受けていて、格闘には絶対の自信があるんだ。長びけば負けてしまう。
いちかばちか、その歩兵銃を……。
「スターップ!」
おれが片膝をつき、死を覚悟して飛びかかろうとした刹那、マッカーサーが大声をあげた。
男たちの動きがぴたっと止まる。
一瞬チャンスかと思ったが、ナイフの男は、おれに目をしっかり向けていた。
「ぎぶぎぶ!」
おれは吊ってない片手をあげる。
床に転がった通訳はうめきながらよろよろと立ち上がり、おれは肩の痛みに耐えつつゆっくり身体をおこす。マッカーサーは腰に手をやって、男たちを見ている。
「サンキュー、エブリワン! グッジョブ! イズザミッション、レスキューミー?」
「イエッサー」
二人の男は一人がアフリカ系、もう一人がアジア系だ。当然アメリカ人だろうが、潜入のためにうまく人種を選んだのかもしれない。いまごろようやく銃を抜いて構えたのは、できるかぎり、隠密にことを運ぶためか。
マッカーサーが早口で男たちと会話している。
「おい通訳君、ケガはないか? ……なんと言ってる?」
おれは小声で通訳につぶやく。
「海岸にモータボート、1キロ先に潜水艦……」
小声で通訳が答える。
「表の兵士は?」
廊下でうめき声がきこえる。
おれは男の腰に手榴弾があるのを見た。
男はこたえた。
「シンジャ、イナイ」
アジア系の男が銃を手に油断なく目をくばり、その間にもアフリカ系の男が表の三人を部屋の中に引きずってきた。
一人は現地のホテルマンで、頭から血を流してグッタリしている。あとの二人は見張り員だ。一人は気絶しているだけだが、もうひとりは胸を刺されたのか大量に出血している。たしかに死んではいないが、早く処置をしないと危ないのは一目瞭然だ。
東洋系の男がさりげなく腰の手榴弾に手をやっている。
こいつら、最後はアレをほうり込んで、その隙に逃げるつもりなんじゃないか……?
「マッカーサー閣下、いい部下をもってるな」
「そろそろ失礼するよ南雲提督、君とは長い戦いになりそうだ」
膝が笑う。おれは肩を抑えて絨毯にひざまづき、この尊大なフィリピン総司令官を見あげた。
「行ってくれ。どうせあんたには帰ってもらうつもりだった。でないと、お互いの国を救えないからな。だから大人しく消えるなら、見のがしてやる。しかしその手榴弾を使うつもりなら……」
おれは指を差した。
「原爆実験はアメリカ本土になるぞ……それに、あんたらも日本軍全力の追撃にさらされることになる」
うずくまる通訳の息が荒い。しかしおれの言いたいことは、なんとか伝わったようだ。
このホテルの貴賓室で爆発の騒ぎをおこせば、その騒動にまぎれて脱出することはできるかもしれないが、当然ながらボートにも潜水艦にも追手がかかる。逃げ切れる確率が高くとも、万全とは言い難い。
「それでもやるなら、やれ!」
ああっ!またおれの中の南雲ッ血が……。
こういうのって、おれのセリフじゃないんだってば!
仕方なく、そのまま睨み合う。
彼らにとっても時間がない。見張りは倒し、彼らの潜入は気づかれていない。なにより、これほど大胆な襲撃をしてこようとは、これっぽっちも考えていなかった。ここは日本の基地なのだ。
しかし、いつ誰かがやってくるとも限らない。今のドタバタで、下の階の誰かが通報して、ロビーにいる大勢の兵士がやってくるかもしれない。そうなれば、マッカーサーの救出という任務は失敗に終わるのだ
マッカーサーは威厳たっぷりにうなずいた。
「また会おう。南雲提督」
おれは肩の力をようやく抜くことが出来た。
どうやら、手榴弾を使うつもりはなさそうだ。
「諸君、見送りは結構だ。老兵は去るのみ」
それ、意味間違ってますけど……。
「閣下、太平洋は渡しませんよ。核実験を成功させるまではね」
「あの話が嘘でなければ、それまでせいぜい頑張りたまえ」
マッカーサーと二人の男たちは、扉を閉めて出ていった。
通訳が部屋の電話に走る。
「救護を呼べ。おれから事情を話す」




