おれ氏、覚醒する
●10 おれ氏、覚醒する
「また雷跡です!」
見張員が叫ぶ。おれは窓から海面を見る。
こちらの右舷にむかって、何本もの敵の雷跡が迫っていた。
まだ距離があるのか、それぞれ三十メートル以上の間隔がありそうだ。
「おれがやる!」
ああっ?!
おれなに言っちゃってんの?!
同じく窓を必死の形相で見ていた勝見が、ふりかえる。
「お願いします!」
えええ?マジかよ!
おれは四方がよく見えるように艦橋の中央に立つ。
左手で計器机の角を持ち、しっかり両足をふんばった。
「行くぞ操舵長!」
「はいっ!」
航海長もコンパスを握りしめている。
「前進全速、取舵いっぱあい!」
おれは敵水雷の進路を読み、間隙を縫うように航行指示をする。
エンジンが高鳴り、艦がゆっくりと右に傾く。
「面舵!半速」
ふっと浮く感じがあり、今度は左にGがかかる。
時速四十ノットもある水雷を避けるのは並大抵じゃないが、おれならやれるという、奇妙な自信があった。
艦がまっすぐになったタイミングで、また令を出す。
「前進全速」
「水雷来ます!」
「取舵」
遠心力が右に左にかかり、身体をささえるのがつらい。
「回避~~~~っ」
必死の回避航行が続いた。
三度目の水雷を、またギリギリですり抜ける。
「神業だ……」
誰かのつぶやく声がする。
一瞬ほっとするが、まだまだ安心はできない。
雷跡の間隔はどんどん近づいてきている。
これは敵が近づいてきている証拠なのだ。
ドンドンドンドンドンドン!
敵の艦隊が白煙をあげ、一斉砲撃をはじめる。
バシャアアアアアァァァァァァァ!
ドバッシャアアアアアァァァァァ!
すぐそばでいくつもの巨大な水しぶきが上がる。
じっとしていては、撃たれてしまう。
早く敵砲弾の散布界から脱出しなければならない。
「勝見、つっこんで爆雷で攻撃するぞ!」
「はっ!」
おれの脳裏に敵潜水艦の動きが浮かぶ。艦後方を沈ませ、角度をあわせてこの艦に魚雷を発射してきている。やっつけるには敵の海域に近づいて爆雷を落とすしかない。
「水雷発射音に注意せよ」
だが今は敵の水雷と砲撃を避けることが先だ。
雷砲を避けつつ、だんだんと近づいてやる。
知らぬ間に真上に陣取り、あとはありったけの爆雷を落としてやる。そのときの深度はおそらく百から百五十か……。
「取舵」
「面舵」
「前進全速」
おれが操舵をやっているあいだ、艦長の勝見は艦橋の天蓋から頭を出し、敵の動きを見ては、砲撃長に指示している。彼も落ちつきを取りもどしているようだ。
「砲撃用意、撃――」
ドンドンドンドンドン!
しかし、むこうの砲弾もどんどん迫ってくる。
「敵艦隊は軽巡一、駆逐艦二、このままでは囲まれます」
航海長が叫ぶ。
もしも囲まれて砲撃されれば、どうしようもなくなる。
「勝見、軽巡を狙え」
幸い、敵には航空機はいない。
とにかく見える敵への反撃をやるのだ。
ドンドンドンドンドン!
ドンドンドンドンドン!
前後の十二・七センチ連装砲による砲撃が行われる。
ドバアアアアアアアアアアアン!
ぐらあっと艦が傾く。水しぶきが凄い。
艦橋にもざばあっとかかり、潜水艦のようになる。
防ぎ、戦うといえども、多勢に無勢だ。
さすがに……もう、だめかも……。
必死に計器机につかまりながら、おれは海上を見つめていた。
すでに敵の潜水艦は見えない。水平距離五百、深度五十ってところか?つまり爆雷の投下にはまだ少し早い。
敵艦隊はもう肉眼でも見える距離に近づいている。
遠くに見えるあの巨大な一隻が軽巡洋艦だろう。
艦隊三隻は散開して、砲撃を雨あられと打ち込んできている。
「水雷発射します!方位九十距離千」
勝見が言うのを見て速度を落とし、発射を合図に、ふたたび全速をだす。
ドバシャアアアアアアアン!
ザバッシャアアアアア!
バシャアアアアン!
また砲弾がばらばらっと至近距離に落下して、艦がもみくちゃになる。
その拍子に倒れ、肩を計器の角にしたたかに強打する。
「ぐうっ」
ごりっと嫌な音がして、右手が動かなくなる。
「航空機が来ます!」
「なにっ!」
なんと、空母がいたのか……。
絶望の文字が浮かぶ。
このうえ、空母が来て航空攻撃を受けたら、ひとたまりもない。
だが、なんという空母だ?
イギリスとは停戦中だからハーミットじゃあない。
ではアメリカの新造船か? ついに製造チートに突入したのか?
週刊空母とか、あいつら、無敵だな。
いや、もういいよ。
南雲ッち、アンタは十分やったよ……。
後悔はなかった。
今までせいいっぱいやってきた。
もうこれで、さよならだ。
あとは頼んだぞ、草鹿、大石……。
「日の丸です!」
勝見が天蓋からひっこめた顔をこちらに向けて叫んだ。
……え?
窓を見る。
ほんの百メートルほどの距離を轟音をあげて飛行機が通り過ぎた。
双発、葉巻のような胴体。
あれは……一式陸攻だ!
誰かが叫び、そしてそれは声にならない歓声となって一気に艦橋が活気づく。あちこちで味方、とか日の丸、とかつぶやいている。
おお!隼もいるぞ!
「援軍です司令官!」
見ると、勝見も笑みを浮かべている。
「マジかああああああ!」
「マレーのコタバル飛行場からの援護が来たんですよ。その数約百です!」
「百かあああああああ!」
中には気が早くバンザイを叫んでるやつもいる。
たしかにその予定にはなっていた。しかし、なにもこのタイミングで……。
グオオ……オオオ……オオン!
海の底から鈍い爆発音が鳴りひびいた。
「今度はなんだ?!同士討ちか……?」
「わかりません」
大きく船が揺れる。
「海中でなにかが爆発したようです」
「海中……?」
「入電!」
伝声管の係が叫ぶ。
「コレヨリ草鹿隊加勢ス」
……なんだと?
草鹿……?
そうか!
ようやくさっきの海中での爆発に意味が理解できた。
草鹿の潜水艦隊が来てくれたんだ!
「草鹿かあああああ……」
おれは肩をおさえてへたりこんでしまった……。
この海域を俯瞰する少し離れた場所で、無電を打った伊十六號艦隊草鹿艦が、その司令塔を海上に現わしていた。
海域にはもやのような硝煙の煙と、真っ二つにちぎれた浦風があげる黒煙の中、重油の匂いが立ちこめ、海上には浦風の乗組員が数十ずつの塊になって浮かんでいる。
米軍の艦船は軽巡洋艦が撃沈し、二隻の駆逐艦は機銃攻撃を受けながら逃げてしまった。いまごろはマラッカ海峡をインド洋へと遁走していることだろう。
ここでも航空機は圧倒的な威力を発揮したのだった。空母のない彼らはこちらが駆逐艦だけと見て、潜水艦と軽巡洋艦艦隊による決戦を挑んで来たが、草鹿艦隊の奇襲と、百機を超える飛行機に成すすべもなくやられてしまった。
どうやら、おれはぎりぎりのところで、生き残ったのだ。
草鹿の潜水艦が近寄ってきた。
ハッチを開け、甲板にあのなつかしい笑顔であらわれる。手に帽子を持ち、ちぎれるほど振っている。
残り四隻の伊號潜水艦が二隻の駆逐艦を取り巻くように浮上し、その上空を陸軍の一式戦闘機が旋回している。
おれは肩を抑え、兵士に支えられてなんとか甲板に出る。
奇跡的にも、谷風には被弾がなかった。
おれたちは、前後が分断され今にも沈みそうな浦風に近づき、こちらの胴体を寄せて遭難者をつぎつぎに救いあげていく。
戦闘はようやく、おわったのだ。




