ぐるん、ががが
●6 ぐるん、ががが
ジョンの全身にぴりっと電流が走る。
「イエッサー!」
フィリピン総司令官ともあろう自分が、なにも抵抗せず、むざむざ捕まるわけにはいかない。司令官はそう言っておられるのだ。ジョンは覚悟を決めた。
ドアを固く閉め、前を睨む。
遠くに二機の水上機が浮かんでいる。
「総員配置につけ!ディック船を出せ!全速で逃げるぞ」
エンジンが始動される。船がごおっとうねり、機首を持ち上げる。
「あの水上機の右を抜ける!マシュー水上機を狙え!」
それぞれが持ち場に走る。マシューは前方の機銃、そしてウィロビーは後方の二十八ミリ機関砲だ。
旋回していた敵機がこちらのようすに気づき、高度を上げる。
対空機関砲で撃たれることを警戒しているのだ。
船の始動音にプロペラの轟音がうずまき、あっというまに辺りは狂騒状態になった。
「出すぞッ!振り落とされるな!」
PT―40はエンジン出力を最大にして、波立つ海を爆走しだした。
(逃げてやる……だが、どこに行きゃいい?)
小さな島影に停泊していた敵の魚雷艇が、突然白波を立てて動き出した。
「追うんじゃ!攻撃はしなさんな」
僚機へ無線で連絡する。
九九式艦上爆撃機二小隊六機の隊長は高橋赫一だった。
「うっかり撃っちゃいましょうよ」
後席の兵士は狭間儀一大尉だ。。
「ばかもん。そうもいかんじゃろ」
「でも、撃たずにマッカーサーは参ったしますかね? だって、撃たれないなら、ただ逃げればいいんだもん」
「わからん。……わしゃ、こんな作戦は好かんがの」
「自分もですよ」
爆撃や水雷ならお手のもんだ。しかし、今回の任務は敵の司令官マッカーサーの捕獲にあった。山口多聞からはできるだけ攻撃せず投降をうながせ、と聞かされている。しかし、この状態ではたして敵が降参するだろうか……?
数百メートルという近い距離で見る小島の数々は、植生は違うが、故郷四国の瀬戸内海を思いだした。
戦争に仏心はろくなことがない。ベテラン三十五歳の高橋は、ゆっくりと旋回し、魚雷艇のゆくえを追った。目で見る限りなかなかの速度だ。
列機とともに魚雷艇の後ろにつける。
艇は跳ねながら味方水上機方向に向かっている。
あっという間に距離が詰まる。通りすぎる一瞬、魚雷艇から機銃が発射され、海面を水しぶきが走るのが見えた。おそらく水上機を狙ったものだが、高速で航行する艇からの狙いはつけにくい。はたして弾は大きく外れていた。
軽く転回したいところだが、爆弾をぶらさげているので宙返りは危険だ。
ふたたび旋回して念のために水上機の安全を確認をする。
やはり二機とも無事で、ゆっくり動き出すところだった。
「おーい! 攻撃しちゃいかんぞ」
念のために列機の操縦士にも手で合図する。
どうやって動きを止めるか、問題はここからだ。
やはり、当たらないように威嚇射撃するしかないのか?
ためいきを吐きながら、また旋回する。
「にしても、このまままじゃ埒があかんのう」
「まったくですよ。とくに自分は下を狙えませんから」
後席の機銃は上にしか狙いがない。
「さて、ほんじゃ、ちっと脅してみるかの」
そう言って、操縦かんをあやつり、いったん上空に退避する。
後方から機銃を撃ちかけようとして、後部に砲塔が二メートルもある機関砲が突き出ているのを見る。
(あのでかい機関砲は危ない……)
再度旋回して、今度は魚雷艇の真正面に位置をとる。
「高橋機が威嚇射撃行う。手出し無用!」
送声機から他の機に連絡する。
魚雷艇は猛列な速度で南に向かっている。
青い海面を、二十メートルほどの船が跳ねながら進む。
機首を下げた高橋は、高度を三百ほどに落とす。
そのまま、機体を魚雷艇の真正面に突っ込ませる。
ピュン、ピュン……。
敵の前方機銃がこちらに向けて発射され、やたら飛んでくる。
(やる気まんまんじゃないか……)
船から空を狙うなど、めったに当たるもんじゃないが、あまり気持ち良いものでもない。
軽く機体をふって、飛行進路を魚雷艇より二十メートルほど右にずらす。機銃弾と交差しながら、ねらいを定めた。
「ほな、いくぜ!」
スロットルをゆるめる。飛行速度は遅い方が良い。
射撃レバーを押す。
ガガガガガガガガガガガ!
海面にこちらの機銃が水柱をあげる。
飛行進路はこのまま、魚雷艇の二十メートル右だ。
敵の機銃も間断なく飛んでくる。
敵弾を躱しつつ。慎重に進路を維持する。
すれ違いざま、機銃担当のアフリカ系兵士と目があった。
船首を掠めるような銃撃に、敵魚雷艇はたまらず進路を左に変える。
一瞬速度が落ちるが、またすぐに全速で走りだす。
(こりゃあ、なんどもは出来んのう)
こちらは当てられないのに、向こうはしっかり狙ってくる。
こんなことを何度もしていたら、そのうちにやられてしまう。
ならば……。
高橋は送声機を口につけた
「列機、僚小隊ともに旋回して警戒にあたれ。高橋機は敵船の後部を機銃にて撃ち。航行を停止させる」
そう指示を送り、高橋は操縦かんを握りしめた。
魚雷戦の速度は約四十ノットくらいか。
戦艦や駆逐艦よりは速いが、航空機なら対応できないほどじゃない。いつもやっている、急降下爆撃の訓練を思えば、的は小さいが充分試してみる価値はある。
「隊長、七七機銃でやれますかね」
後席の狭間が声をかけてくる。木造船とはいえ、七・七ミリで破壊できるのかと心配しているのだ。
「だめなら何度でもやるわい。まあ見ちょれ」
態勢を整えるため、高橋はまた上空へと占位する。
僚機がすこし離れて警戒旋回しているのが見える。
これしかない……。
敵の後ろから大きな旋回をしながら近づき、七・七ミリ機銃を後部エンジンとスクリューに当てて交差するように掠め去る。うまくいけば、それで敵の動きを止めることが出来るはずだ。
いったん敵の右舷後方へ……。
そして左に大きく旋回しながら、魚雷艇の進路を予測。
描く曲線はこんなものか? いや、もうちょっと緩くか……。
キャノピーは後ろに下げてあるから、視界は良好だ。
むき出しの頬を風が打つ。目の端で左後方に魚雷艇がいることを確認する。速度はこんなものじゃろう。
ガガガガガガガ!
魚雷艇から機銃が発射され、曳航弾がこちらに向かってくる。
ドンドンドンドン!
「こらこら、機関砲もかいな!調子に乗りすぎじゃ!」
ぐうっと左に旋回しながら、高度を下げる。
頭の上を機銃の弾が飛んでいく。
バジッ!!
左の翼をやられた!
いや、かまうことない!
さらに左へ旋回しながら海面を確認すると、魚雷艇が見える。
もっと操縦かんをきる。
もうちょっとじゃ、もうちょっと……。
見えた!
今じゃ!
ガガガガガガガガガガ!
七・七ミリ機銃を撃ちかける。
バス!
血しぶきが舞う。
機関砲の砲撃手に当たったようだ。
しまった! ちょっとずれた。
高橋はぐっとフットバーを押しこみ機首をあげる。
ふたたび魚雷艇を追うと、仲間の兵士が出てきて、負傷した兵を船の中へと引きずろうとしている。
天祐!
この瞬間なら、後部の砲撃手はいない。交代の兵士が出てくるまでの数秒間、後方からの銃撃が自由になる。
素早く旋回して攻撃態勢に入らねば……。
しかし、遅い!
爆弾を積んだ九九艦上爆撃機は、思いのほか時間がかかる。
いかん、これでは間に合わん。
すぐに交代の兵が出てきて砲撃を始めてしまう。
「狭間撃てぃ!」
こなくそじゃっ!
きりもみを一回転して、機体をさかさまにした。
そのまま姿勢を維持する。
ガガガガガガガガガガガガ!
後席には後方の敵を撃つための旋回式七・七ミリ機銃があった。
それが火を噴き、見事、敵魚雷艇の後部に着弾した。
まさにベテラン同士ならではの、あうんの呼吸であった。
「おお! よくやったのう」
こんどこそ旋回して、魚雷艇のようすをうかがう。
「ぐるん、がががでしたよ隊長!」
狭間儀一がうれしそうに叫んだ。




