戦うか、戦わざるか
●5 戦うか、戦わざるか
船の前甲板で機銃にとりついているマシュー・ローリンズの背中が揺れている。いつも歌っているお気に入りのS・ジャーニーが聞こえる気がして、ジョンはこっそりと笑った。
なにかを拾おうとしている左向きの骸骨。
それがフィリピンの島々の形だとすると、のばした肩から手の部分がミンドロ島、コロン島、左下に細長く伸びたパラワン島である。
最初に通過するはずだったミンドロ島とコロン島の間は、距離も約六十マイルある深い海だが、今彼らが行くのは、いくつもの島の集まりであるコロン諸島と、パラワン島の手前にある岩礁地帯だった。
「あせるなよ。ゆっくりでいいぜディック」
「りょうかい中尉」
なにもしなければ、美しい島々だな、とジョンは思った。
実際、目の前の海は水色に輝いているし、海中にはたくさんの小魚が群れをなしている。こんもりと盛りあがる島の緑は豊かで、小さい鳥だってこんなに飛んでいる。
ただ人間だけが、戦闘に血道をあげているのだ。
コロン島の影に入ったところで、島々の沿岸を警戒しながら、さらにゆっくりと進んでゆく。軽量で小さい船だとは言っても、浅瀬に乗り上げることもある。ジョンは海図を見ながら、注意深く、進路を探した。
「もうすぐ島の岩礁を出ます。そこからは楽になりますよ」
「だといいがな」
敵の飛行機も、まさかここまでは来るまい。そう思いながらも、レーダー要員に声をかける用心深さはあった。
「ブレリトン、敵はいないか。艦船と空に注意だ」
音を聞きながら、レーダーの摘みを回していたブレリトンがおもむろに口を開いた。
「……やっぱり、やつらコロンとミンドロの海峡にいますね」
ジョンはうなずき、腕時計を確認する。
太陽も少し高くなってきた。
「よし。この岩場に隠れた場所で休憩しよう。少し早いがメシにしてもらってもいい」
そう言いながら、船室の方をアゴで差す。
「イエッサー」
ディックがエンジンを停止させた。
彼らもようやく笑顔になる。若い兵士はなにかと腹が減るのだ。
ジョンが船室の扉をノックしようとして、ふとその手を止めた。
「……」
じっと耳をすませる。
かすかに、なにかが聞こえる。
うなるような、ほんのわずかな羽音……。
「!」
慌てて操舵室から顔を出す。
「ウィロビー!」
その剣幕に驚いて後方を双眼鏡でのぞきこんだウィロビーが、しばらくして声をあげた。
「七時に敵機六、距離三千!」
よく見れば肉眼でもわかる。かなり低いぞ。高度数百か……?
「ばかやろう!」
どなりながら、操舵室にもどり船室の鉄扉を叩く。
「司令官ッ!」
「……なにかね?」
ドアを開けると、船室の四人が立ち上がる。
「七時の方向に敵六機、距離三千、高度五百です!」
すでに前方に敵機がおり、そのため進路を変更していることは伝えてあった。今度は後方低空からの敵機である。
「やりすごせるかねジョン?」
特に慌てた風もなく、腰に手をやったマッカーサー司令官は、ジョンの目をじっと見つめた。
「やってみます!」
幸い、ここは小さな岩礁が点在している。うまくいけばまぎれるかもしれず、それには動かないことだ。だが待てよ。このままでは船が風に流される。急いで錨を降ろそう。
「ディック、出来るだけ船を島に寄せるんだ。おいマシュー!」
前甲板に声をかける。
「イエス!」
「ウィロビーを手伝え!」
「イエッサー!」
マシューがくわえていた煙草を捨て、立ち上がる。
「ウィロビー、船が止まったら錨をおろせ。見つかるなよ」
「イエッサー」
ディックが器用に一本のスクリューを使って船首を島に寄せると、二人が鎖をさばきながらウィンチを操作して錨を降ろす。
「降ろしたら中に入るんだ。急げ」
敵の到達までまだ約五分以上ある。まだ大丈夫だ。
作業を完了した二人がはしごを登って、狭い操舵室にあがってきた。身をすくめるようにして詰める。
「危険ですからいったん扉を閉めます」
一応鉄扉だから、前から機銃掃射を受けても、防ぐことはできるだろう。マッカーサー司令官を船室へと追い返し、ジョンはドアを閉めた。
(やりすごせるかもしれない。だがもし見つかったらどうする?)
これは普通の魚雷艇ではない。アメリカ軍のフィリピン総司令官を乗せた船なのだ。対空砲はあるが、それで対抗できるとは思えない。相手は六機、しかもすぐ応援が駆けつけてくる。空から銃撃されたら紙みたいな船だ。バラバラにされてしまう。攻撃はできない。
「ブレリトン、基地に敵と遭遇したと無電を打て。座標もな」
もしも戦闘になって漂流しても、救助を期待できる。
息が詰まるような時間が過ぎていく。
轟音とともに、操舵室の窓から、三機編隊で逆Vの字に並んだ敵機が六機、通過していくのが見えた。
「あれは……爆撃機だ。ゼロファイターじゃない」
上を見あげていたディックがつぶやく。
翼に大きな赤い丸印。やや細長い機体。たしかに機体の下には大きな爆弾をぶら下げている。
では、この船の探査機ではないのか……?
ほっとしたその瞬間……。
三機小隊は突然コースを変え、左右に分かれた。
あっ、と思った瞬間、大きく旋回して戻ってくる。
「くそっ!」
マシューが舌打ちをする。
「まだだ。動くな!」
もし、見つかったのなら、敵は機銃を撃ってくるはずだ。
それを合図に逃走にかかろう。だめなら白旗だ。
「ウィロビー……」
「イエス」
「ゆっくり、見つからないように錨をあげておけ。ウィンチを入れたらすぐに戻るんだ」
「オーケー」
ウィロビーが外に出て、慎重にはしごを降り始めた。
ガラガラと音がして、太い鎖が巻き上げられる。
降ろす時と違って、巻き上げは機械だけでまかなえる。
その間も、敵の爆撃機はなんども上空を旋回している。
ウィロビーがもどってきても、敵はまだ撃ってこなかった。
「中尉!」
「ディックどうした?」
「水上機が来ます!」
「なんだと?」
双眼鏡を取りあげ、ディックの指さす方向を見る。たしかに二機の水上機が前方から飛んでくる。
「味方か……?」
期待もむなしく、それが日本の水上機だとわかったとき、ジョンは船室に通じるドアをノックした。
「司令官」
「どうしたね?」
マッカーサーがサザーランドとともに、船室の固いベンチから立ち上がる。
「どうやら見つかったようです。上空には六機の爆撃機が旋回しており、水上機二機が十二時の方向距離五百に着水します。このまま動かない許可をいただけますか」
言わんとしていることは明白だった。
戦わずして船を鹵獲され捕虜となることを、よしとするかどうか、だ。
「諸君」
マッカーサーが答えた。
「ぞんぶんにやりたまえ」
それを聞いて、幼児を抱く妻のジーンが十字を切った。




