おれ氏、肥満がいやになる
●8 おれ氏、肥満がいやになる
部屋にもどり、いったんはベッドに横たわったものの、なかなか寝つけない。きっといろいろなことがありすぎて、気がたっているんだろう。
ふと見ると、棚の上に黄色い洗面器が置いてあった。
(そうだ。この船にも風呂場はあったはず。寝る前にひと風呂浴びるとするか)
洗面器をおろすと、うまい具合に手ぬぐいとセッケンが中に入っていた。南雲っちって、几帳面なんだな……。
それを小脇に抱えて、廊下に出る。記憶をたどって、風呂のある地階のゾーンへと向かった。
その場所はいくつもの小浴場で区切られていた。
目についた、適当なのに入ることにする。
「湯」と大きく書かれたドアを開けて中に入ると、むっとした蒸気と、うっすら潮の匂いがした。
明日の起床が早いせいか、脱衣場には三名ほどの兵士しかいない。
「ああ!長官!」
「うわ!失礼いたします!」
彼らはびっくりしてフルチンで敬礼してくる。
「いいからいいから。失礼するよ」
衣類を脱ぎ、浴場に入ると数名が入浴中で、またひと騒動おきる。
「わ!」
「ひぃ!」
「こ、こんな格好ですみませんっ!」
「まま、楽に、楽に。悪いね、こんな時間に」
かけ湯してみんなと同じ湯舟に浸かろうとすると、ひとりの兵士がびっくりして声をかけてきた。
「長官、海水でいいんでありますか?」
「あ、こっち海水だっけか」
ちょっとナメてみる。
「辛っら!ぺっ!……うん、たしかに海水」
兵士はおもしろそうに笑った。
「あ、長官はいつも下士官以上の浴室ですものね。ご存じないのも無理はありません。真水の風呂はそちらです」
「いや、今日はこっちでいいよ。気にしない」
浴室には大小二つの浴槽があって、大きな方は海水、一メートル四方ほどの小さな方は真水を沸かした湯がはってあるようだった。たぶん水の節約のために最初は海水で体を温め、その後真水で清めるんだろう。
海水の湯にゆっくりと身体をしずめる。湯の量が多くないので溢れることはなかった。温かさが身に沁みて、一日の疲れが、どっと落ちていくようだ。
「はああああ。やっぱ風呂はいいなあ」
それにしても、おれってよくこんな状況でお湯なんかに浸かっていられるよな……。
南雲っちの記憶がなじんできてるせいもあるけど、おれってけっこう順応性高いみたい。
湯舟につかったまま、手で海水湯をすくって自分の肩にかけていると、自分の身体がぽよん、とした南雲のそれに見えた。
あーなんだこの肥満体形。
自分がいやになるなあ。
おれはあたりを見回した。
兵士たちは遠慮がちにこちらをチラチラ見ている。
みんな若いのにがっちりした身体をしているよ。
さすがは訓練された兵隊たちだね。
でもみんな痩せてて、おれが見てた現代の中学生らと、そんなには変わらないかもな。
「お前らさあ、アメリカをどう思うよ」
おれは気さくな調子で声をかけた。
兵士たちはおたがい顔を見合わせていたが、やがてそのうちの一人が、意を決するように口を開いた。
「古来、帝国の正義に仇する悪鬼の国家であります!」
悪鬼て、アメリカもえらい言われようだよ。
まあ、たしかに、そうとでも思わないと、命のやりとりはできないよね。
でも国際問題って、いつだって、お互いの言いぶんってやつがあるもんだ。
「むこうが悪鬼軍団で、おれらは桃太郎軍団ってか?」
「やつらはせいぜい餓鬼であります」
どっと笑う。
資源のなさじゃ、今はこっちが餓鬼なんだけどね……。
おれは笑顔のままつづけた。
「アメリカは自分らがヒーロー、つまり勇者軍団で、こっちはホビットか、せいぜいドワーフ軍団と思ってるかもしれんぞ」
「どわあふ?」
まだファンタジーはわからないか……。
ちょっとたとえが悪かったみたい。
「いや、おれは互いには互いの正義があって、引くに引けない衝突をおこす。それが戦争だって言いたいんだ」
「正義は日本です!」
いかにも素朴そうな一人の男が声をあげた。
「お前らの気持ちはよくわかるよ」
おれはうなずいた。
こういう連中の扱いには慣れてる。
ゆっくりしっかり理屈を立てて話し、そのあとたっぷり時間をあたえないと、彼らの意見をかえることはできないんだ。
特に気をつけないといけないのは、プライドを傷つけないことで、それを間違うと命をかけても意地を通すフェイズに入ってしまう。そうなると、もうとり返しがつかない。
「その意気やよし!おまえらはそれでいいんだ」
みんながほっとする。
「さすがは帝国海軍兵士だな、偉いぞ。……でもな、おれが言いたいのは、一方的にこっちが正義だと思いこむと、どうしても上からの傲慢な目線になって、油断してしまうってことなんだ」
みんなは息を殺しておれの話を聞いている。
「向こうには向こうの言い分があって、自分は正しいと思ってる。若いヤンキーたちの目を見てみろ。お前らに負けず澄んだ目をしてるぞ。だからこっちが正義、正義はひとつ、と奢っちゃいかんのよ。世界には百の国があって、正義もその国の数だけあるんだ。わかるだろ?」
「はい、わかります」
「正義と正義がぶつかるのが戦争だ。だからどっちもなかなか音を上げない。こっちに理があるんだから、絶対負けちゃいかんと思うのは、相手も同じだ」
「はい」
「二国間の紛争を解決する手段として、戦争は国際社会で認められてるんだ。ところが、終わった後でこれを裁くのはいつも勝ったほうだ。いやもう負けたほうはいろいろみじめなもんだぞ。あとで勝手に法律作ってそれっぽく裁判やって獄門にしたりさ、だからな、勝たないといかんのよ」
しん、として聞きいってた兵士たちが、ほう、とため息をついた。
「必勝の気構え、ありがとうございます!」
「うん、君らなら大丈夫。でも忘れるなよ、正義はひとつじゃない」
「わかりました!」
ホントにわかってんのかね?
やっぱ、この時代の日本人の国際認識を変えるって、けっこう骨が折れそうだよ。
あーのぼせそう。
肥満体だと、こんな風にのぼせるのかね?
おれはふうふう言いながら身体を手ばやく洗い、真水の湯でさっぱりしたあと、兵士たちに見送られながらその浴室を出た。
部屋にもどろうと艦内を歩いていると、比較的広そうで、ひときわにぎやかな部屋があった。
興味がわいて覗いてみると、おれと同じように風呂上がりの者たちや、平服のものたちが部屋の中央に集まってわいわいやっている。
「どうした?」
おれが入っていくと、みんなはやっぱりというか、敬礼したりかしこまったりしていたが、にこやかなおれの様子を見て安心したのだろう、やがて落ちつきをとり戻していった。
「お!こりゃあ……」
その部屋の中央には、一辺が一・五メートルほどもある、巨大なオアフ島の精巧模型が置いてあったのだ。
彼ら若い兵士、とりわけ飛行隊の連中が、明日の攻撃に備えて、もう一度島の形状や各攻撃目標の位置を確認しているのだろうか。
「ほーよくできてるな」
近くの兵士がびっくりしたような顔をしておれを見つめた。
司令長官のおれは、きっともうなんども見ているはずで、そういえばそういう記憶もある気がする。はじめてみたようなことを言ってはおかしいんだった。あわてて、
「うん、なんど見てもだ」
と、わざとらしくつけくわえてみる。
「明日、自分はカネオヘに行きます」
島の模型を見つめたまま、ひとりの兵士がつぶやくように言った。
長い睫毛が島の一点を見据えていた。
「そうか。帰って来いよ」
静まっていた周囲が、身じろぐ音でざわっとする。
この時代には女々しいセリフ、に聞こえたのかもしれないな……。
自室に戻った。
下着だけになり、冷えた茶を飲んだ。
うちわでパタパタ胸元をあおいで、ようやく落ち着いてきた。
さすがに十二月ともなればハワイでもけっこう寒いから、ほてった身体もすぐに冷えてくる。
(こっちじゃ夏はどうしてんだろ?死ぬんじゃね?)
ここは艦隊司令長官たるおれの部屋なんだから、とうぜんこの艦で一番の設備だろう。
でも、エアコンはやはりというか、ない。
今が冬でよかったな。
意識を南雲に集中してみる。だんだん好きな時に自分の認識を変えられるようになってきた。
ぼよよん、と腹が揺れるのが見えてくる。
……この体形にこの姿じゃ、ただの田舎のオヤジだよな。
下着に寝間着をはおり、冷たいベットに気合を入れてもぐりこむ。
……おふぅ。
ここのみんなは明日の決行を前にさぞ緊張してるんだろうなあ。千六百人もの飛行士、整備士、機関、通信、砲撃要員が、それぞれに緊張し、まだ準備をしているんだろう。
奇襲の成功は、現代人のおれにはもうわかっている。
けど、おれがこうして歴史に介入している以上、なにかべつの変化がおこってもおかしくない。
そう、たとえばこうしている今も、敵が襲ってくるかも知れない。
おれのやることで、いったいどれだけの人間の運命が変わるんだろう。さっきちょっと回っただけで、大勢の顔をみた。そのひとつひとつに命があり、これから先の長い人生がある。戦争で失われていい命なんて一つもないはず。そしてそれは、アメリカの兵士だって同じだ。
勝つということは、逆に言えば相手を殺すことになる。もちろん、味方にだって犠牲者は増える。
犠牲者の中には、おれが転生しなければ、もっと長い人生をまっとうして、なにかを生み出した人間だっているだろう。おれのやろうとしていることは、これでいいんだろうか。
……。
でもなあ。
おれ、もう転生しちゃったし。
パラドクス問題とか、知ったことじゃないし。
……。
うん、そうだよな。
転生したのに、歴史を変えることをおそれる意味はないよなあ。
おれはおれの使命を果たすだけだ。
おれは……。
……。
いつのまにか眠っていた。




