笑う提督
●38 笑う提督
ベッドの上の階で目覚ましが鳴る。
早朝午前五時。
いまごろ、外はまだ暗く、早起きの海鳥たちが岩礁で目を覚ましては、ようやくその翼をひろげ始めているだろう。
揺れる船体には慣れたけど、オイルの匂いと低周波の動力振動にはなかなか慣れないよね。
やっぱ何か月も船に乗っていると、だんだん、疲れがたまってくるもんだ。
目覚ましを止めて、ジョシーがごそごそと起きだすのを感じる。安物のパイプ製なので、ちょっとした動きでもギシギシと鳴る。
服を着て、ハジゴを降りるジョシーと、目が合った。
のびた姿勢に痩せた白いお腹が見えてる。
「おっすジョシー」
「起こしたか」
「いや、おれもそろそろ起きる時間だ」
頭を打たないようにゆっくりと身をおこす。
ジョシーはいつものよう洗面器に歯ブラシと手ぬぐいを入れて、部屋を出て行った。
ここには洗面用のボウルもあるんだが、そいつはおれが使うので、自分は兵員用の手洗いに行くみたいだ。トイレだってあるしね。
部屋のボウルに水をはり、顔を洗う。
みだしなみを整え、担当の兵士から就寝中の航行報告を受け終わったころ、ようやくジョシーがもどってきた。
「洗面でボートの準備をする兵に会った。駆逐艦への送達と言っていたが?」
ハシゴから自分のベットにあがり、身の回りのものを、携行鞄に詰め始める。
例の電気部品を手際よくばらし、ぽいぽいと鞄にほうり込む。
「これはいらん。これとこれはいる。こいつは……」
なんか下着っぽいものを慌てて隠してるな。
「ゴ、ゴミ箱よこせ」
部屋にあったゴミ用の籠を渡してやる。
「ところで、おまえのここからの段取りだが、0615に内火艇で十八駆逐隊の霰に乗りかえてくれ。現在地はアッズ環礁との中間点、セイロン沖六百キロ――三百二十海里だ。夜までにはセイロンに着くよ」
「ん? その必要はないぞ。動力ボートで一人のんびり二三日かけてもどる」
「いや、霰はちょうどこの海域で敵潜水艦の警戒に残らせるつもりだった。いったんセイロン島と往復しても問題はないんだ」
「……そうか」
「おまえを送り出したら、おれたちは一気に速度を上げ、今日の夕方までに南下してアッズの手前で戦闘態勢に入るよ。包囲して一気に叩くつもりだ」
「健闘を祈る」
どこで調達してきたのか、ブラシで髪を梳いている。
「さっき比奈にも会ってきた」
「お、そっか」
「比奈には作戦が言えないから、やりずらかった」
「……」
そう言えば、ミッドウェーで別れるときも、外套着せてもらったりで、結構大騒ぎしたっけ? さすがに、この海域じゃあコートはいらないだろうけど……。
「さ、行くか!」
とん、とジョシーが身軽に飛び降りる。
思わず手を出しそうになって、途中でやめた。
「……おう、元気でな」
「つくれよ……原子爆弾」
「うん」
おれは話しやすいように、片膝をついた。
「ゆうべ、あれから考えたよ。今から半年後の九月十一日、太平洋のビキニ環礁という島で、おれたちは核実験を行う」
「ビキニ環礁……?」
「ああ。ウェーク島の南約四百六十四マイル、昔、独領ミクロネシアだったマーシャル諸島の中にある環礁だ。ビキニ環礁という名前はおれが適当につけたが、島の場所はたいして意味がない。なぜなら核爆発で周囲数十キロは近づけないし、逆に大爆発がおこればいやでも場所はわかるからな。……おまえらは近くまで来て見るなり、偵察の航空機を飛ばすなり、好きにしてくれ」
「わかった」
艦首甲板には前回同様、木村や若い兵士が十人ほども集まっていた。
早朝にこれだけ集合するには、いろいろ許可が大変だったろう。
ま、金髪碧眼、若くて可愛いのに、口が悪い賓客だから、これだけの人気もわかる気がするね。
「今度はいつ帰ってくんの?ジョセフィンちゃん」
「わからん。今回はアメリカの本土まで帰るつもりだ。キサマらも元気でいろ」
「おいおい、ずいぶん冷たいじゃないか。木村の股間をどうしてくれるんだよ」
「冷やしておけ」
「わはははは……」
そういえば、反則相撲のあと木村をなぐさめたのも、この艦首甲板だっけ。
その木村が、朝やけのせいか赤い顔をしている。
「木村、世話になったな」
「ジョセフィンちゃんに習った電気回路、うんと勉強するよ」
「ああ、これからは電気の時代だ。こんど会ったらまた教えてやる」
ほーん、あんたら、そうなの。ほーん……。
仲間の兵士がまぜっかえす。
「おれにはダンスを教えてくれよジョセフィン」
「おれは映画の話が訊きたい」
「キサマら、ほんとはアメリカが好きなんじゃないのか?」
「アメリカは好きだけどルーズベルトが嫌」
「気があうな、私も日本は好きだがイソロクは嫌いだ」
「うわああああああああ!」
ひとしきり騒ぎ、上官にも睨まれて、そろそろ出発の時間になった。
東の水平線がすっかり明るくなっている。
駆逐艦『霰』が姿を見せ、数百メートルの距離にまで近づいてきた。
艦首甲板のクレーンから内火艇が吊り上げられ、そこにジョシーも乗りこむ。
「じゃあな南雲忠一」
「おう」
「そうだ、これを渡しておこう。二十五日には渡せんからな」
「……?」
肩から下げた布鞄から、四つに畳んだ白い紙切れをとりだし、おれに差し出す。
開いて見ると、おれの絵だった。
軍装ぽい衣服を身に着け、帽子をかぶり、でかい椅子に座っている。
この時代にはめずらしく、明るい笑顔だ。
そしてかなり上手い。えんぴつで描いていたが、ちゃんと陰影や塗りつぶしにも手が入って立体感がある。右下にはサインもしてあった。
どういうわけか、ジジーには見えない。腹も出ていないし、結構精悍な感じだな。
「ほー、痩せてるな」
「ふん、ちょっぴりハンサムにしておいたぞ」
見方によれば、霧島健人にも見える。
「ん? サインの下になにか書いてあるぞ。Happy Birthday 1942・3・25……あ」
「早くしまえ。飛ばされるぞ」
兵士たちがさりげなく首をのばして見たがっている。
が、さすがに遠慮してのぞきこんだりまではしない。
「誕生日、忘れてた」
というより、ぜんぜん意識してなかった。
そういや、南雲ッちの誕生日って、もうすぐ、三月二十五日だったよ。
にしても、なんでこいつがそれを知ってるんだ……?
ぷいっと横を向くジョシーを見て、おれはあわてて言った。
「サンキューな、ジョシー」
「また会えたらの約束、忘れるな」
「ああ、肩ぐ……」
「出してくれ!」
ジョシーが叫ぶ。
おれは苦笑して、クレーンの操作を命令する兵に目で合図してやる。
機械が大きな音を立てて動き出す。
ジョシーと兵士を乗せた小さな舟が、ゆらゆらと揺れながら、十メートルほども下の海面へと、ゆっくり降ろされていった。




