ジョシーの憂鬱
●36 ジョシーの憂鬱
みんなが興奮して口々に草鹿の奮闘をほめる。
おれもガッツポーズしたいくらいに嬉しかった。
「空母は沈んだのか? 大破ではあるまいな?」
ジョシーが無表情に問う。
「そ、そうだな。そこんとこ、どうなの?」
たしかに、それが一番重要だよな。
「軍令部第一報によれば、空母ホーネットは第一撃で少なくとも二十発以上の雷撃を受け、沈みつつあり。駆逐艦三隻はすでに沈没したとのことです」
小野通信参謀が報告を読みあげる。
「うわあ……やりすぎなぐらいだ」
おれは唸った。
かなり犠牲者も出たことだろう。
「二十発なら、沈む。日本の魚雷をそれだけ受けて、沈まない船はこの世にない」
おまえ誰だよジョシー……。
「てことだな。草鹿はよくやった……潜水艦隊に祝電を打ちたいくらいだ。といっても、今は無理だけどな」
マジで、狭く苦しい潜水艦で、よくやったよ。おれにはとても無理だ。現代人のおれには、非情な試練に耐えた経験もなければ、灼熱の艦内で冷静な判断をする精神力もない。
おれたちは遠いパナマ運河の草鹿を思い、口々にせめてもの賛辞を贈った。
「さあ、次は……おれたちの番だな」
「南雲……」
ジョシーが他のものに聞こえないくらいの小声でささやく。
「ん? どうした」
「話がある」
「……わかった。おれはまだしばらく用がある。先に風呂でも入って待っててくれ」
「わかった」
参謀の連中と作戦の打ち合わせをする。
それが終わると、こんどは司令部とのやりとりだ。
明日はいよいよアッズ環礁の海域に入る。
たった二日の休暇だったが、兵員たちは見違えるように元気になった。今日は訓練もなく、おまけに食事係りが腕によりをかけて旨いものを用意したので、士気は大いに盛り上がった。
部屋に帰る。
ジョシーはまだ風呂から帰っていないようだ。
椅子に腰かけ、明日の決戦にむけて、今の状況をふりかえる。
現在、太平洋では帝国海軍がほぼアメリカを駆逐し、陸軍はすでにマレー、シンガポール、インドネシア、フィリピンなど、南洋を制している。オーストラリアは敵ではなく、さらに、おれたち第一航空艦隊はインド洋セイロン沖のイギリスの主要空母を沈め、意気軒高、いっそこのまま、世界でも征服しそうな勢いだ。
だが、もちろんおれは知っている。
この戦果はおもにゼロ戦、その他日本軍の優秀な航空機や、練度の高い兵士の優位性の上に成り立っている。
そしていちはやく装備した次世代型レーダーのたまものだ。
しかし、これからは敵もおおいに新兵器の開発を急ぎ、それらを実践投入してくるだろう。
航空機ではゼロ戦をもしのぐF6Fが登場してくるし、電波兵器もレーダー連動の砲撃システムや、対空砲撃能力が従来の三倍ともいわれる、VT信管が使われるようになっていく。そうなれば、この優位性はいとも簡単に崩れ、戦況は泥沼に陥る。
大日本帝国無敵の快進撃も、一進一退の消耗戦になれば、資源と広大な工場用地を持つアメリカには、徐々に勝てなくなり、こちらを圧倒する兵力での各個撃破、あらゆる海域での制海権、制空権を奪われていくだろう。
そうなる前に、なんとかイギリスと講和し、次には連合国入りをめざさなきゃならない。
ノックの音がした。
「どうぞ」
いま、イギリスは本気で日本との和議をするつもりなのだろうか。
それとも、単なる時間稼ぎだけなのか。
「なあジョシー」
洗面器を持って風呂から帰ってきたジョシーに話しかける。
濡れた髪のジョシーはおれをちらりと見る。
部屋のベットは二段式に変えられていて、ジョシーはいつもその上のマットで眠っていたが、今は下の、おれが使っている方のベットに腰をおろす。
「チャーチルを本気にさせる方法はないか」
本当はジョシーの話を聞きたくなくて、おれは普通をよそおった。
濡れた髪を手ぬぐいで拭きとりながら、ジョシーはこちらを見ずに答える。
「今の日本を味方にできるなら、本当なら講和すべきだろう。だが、問題は連合国にとって日本が信用できないことと、隙が無さすぎることだ」
ジョシーはいつも、親しき中にも礼儀あり、とか言って、おれの前ではきちんと水兵の兵装を身に着けている。
「イギリスが日本を信用できない理由ってなんだい?」
「強欲だからだ」
「欲?」
固い木の椅子は座り心地が悪い。
もじもじと腰を動かして、おれは重心を変える。
「日本はすでに大韓帝国を併合し、傀儡国家満州を独立させた。さらに交戦の戦果として東南アジア・太平洋諸島をわがものとしており、今後もこれを手放すとは思えん。これだけ強欲な国家の停戦合意を、西洋諸国は信用できるだろうか」
「ふうん……じゃあ隙が無さすぎるとは?」
「交渉は相手の隙につけこむものだろ。だが日本は勝ちすぎている。このままでは降伏と変わらない」
ジョシーはギコギコと音の鳴る鉄パイプの梯子をのぼって、自分のベットにあがった。こちらを見下ろすように坐り、足をぷらぷらさせて、長い髪をさばいては風を通す。
「戦争は国家間の紛争を解決する最終手段だ。おどろくべきことに、それはパリ条約以前には国際法でも認められていた。だがそれを主導するのは政治家だから、民衆に認められなければならない。民衆は議員を動かし、議員は議会を動かす。つまり、チャーチルとて、議会の意向には逆らえん。降伏とかわらない条件の和議を、議会が承認するわけはない」
ジョシーが上からおれを見つめた。
こいつのおれに言った『話』ってのが、おれにはわかるような気がしていた。だが、それを聞くのが恐ろしい。
「そろそろ、ワタシの話を聞く気になったか?」
「ああ」
「ワタシは一度アメリカに帰ろうと思う」
どこかで鉄板の倒れるような大きな音がした。いまごろ船内の修繕か?
「一緒にドイツに宣戦布告するんじゃなかったのか?」
「そのつもりだった」
「だった?」
濡れた金髪の髪の毛をまとめ、ポニーテールのようにヒモできつくしばる。軽く頭をふって、その可愛らしさとは裏腹に、きついまなざしでおれを見つめた。
「キサマにもわかってるんだろう? このままではイギリスとの和議はまとまらない。いいように時間稼ぎをされて、あと数年は英米との激しい戦闘が陸と海で行われる。ドイツに宣戦布告するのがワタシとお前の盟約だが、そうなるにはドイツがあと何年もイギリスとソビエトを相手に善戦し続けなくてはならない。しかしそんなに強いドイツだとしたら、日本の大本営はドイツとの同盟破りをするか? 逆に数年のうちにヒトラーが敗れて崩壊するならば、こんどは日本が世界を相手に戦い続けなくてはならない。どっちにしても、矛盾している」
イタリア……いや、なんでもない。
「おれの戦略は、まずイギリスを困らせ、その次に日本が味方になるぞ、とやることだ。つまりその両方は日本の出方次第なんだ」
「……」
「インド洋で日本がイギリスの通商と補給路を破壊すれば、イギリスはヨーロッパでの戦いやインドへの影響を考え困る。そのあとで日本が手のひらを返し講和を持ちかければ、イギリスは必ず喰いついて来るだろ」
「それは知っている。ところが、今回は先にイギリスから講和を持ちかけてきた。つまり、これは自分たちが困らないために先手を打ってきた方便だ」
「だろうな……」
「そもそもイギリスと講和するのは、いずれはアメリカとも講和し、日本が連合国側になるためだろ。だが、そのためにはアメリカが同意せねばなるまい。おまえらは真珠湾を攻撃し、今日もホーネットや、多数のアメリカ国民を殺した。アメリカはとうてい納得するまい」
言われなくても、おれにはわかっていた。
しかし、これ以外にこの戦争を勝ちで終わる方法がないんだ。
これは何度も何度も、この霧島健人が考え抜いて出した結論なんだ。
「アメリカに帰ってなにをする気だジョシー。戦争中に海外旅行でもあるまいし、そんなに行ったり来たりできないんだぞ。帰ったら、もう二度とこっちには来れないかもしれないぞ」
「わかっている」
「じゃあ、どうして……」
おれの質問にはこたえず、ジョシーが天井を見あげる。
「ワタシなら、アメリカをその気にさせることができるからだ」
「マジかよ。アメリカの政治家でもなく、いち兵士にすぎないおまえに、なぜそんなことが……」
「それは……」
ジョシーが一瞬、つらそうな顔をした。




