消去法で考える
●34 消去法で考える
もう、いつこちらに気づかれてもおかしくない状況になってきた。
アメリカの駆逐艦三隻は湾を出て、空母の到来を待ち受けるように展開している。こちらはその遠洋わずか約三キロの海中で、五隻の潜水艦が、逆Vの字の陣形で待ちかまえている。
しかしこのままだと、見つかるのは時間の問題だ。いや、見つからずとも、駆逐艦が邪魔すぎて満足に空母への雷撃は無理だろう。
そもそも、空母は出てくるのか?
駆逐艦がこうして警戒している以上、充分安全を確認してから、空母ホーネットは出てくるつもりなんじゃないか?
「湾内の水深はどのくらいある?」
「深くて五十です」
ならば、危険を冒して湾内に突入しても、空母は沈められない。
おそらく何発かの雷撃はできるだろう。
だが、それくらいでは空母は沈まず、逆に浅瀬で爆雷を落とされれば、あっという間に仕留められてしまう。
では、誰かが囮になってあさっての方向に駆逐艦をひきつければ?
……いや、それもダメだ。
草鹿は首を横にふった。
もしもなにかがいるとわかれば、その時点で空母は外には出てこない。
それに、こちらの最高速は浮上時でも二十一ノットしかないのだ。
囮としては危険が大きすぎる。
その間に空母をやれるならともかく、出てこない相手に攻撃はできない。
どうする?
どうする草鹿?
事前の作戦では、空母に駆逐艦などの護衛がいた場合、潜水して待機し、攻撃するかの判断は現場にて行うことになっている。しかし相手が駆逐艦の場合、相当深く潜らないと敵に見つけられるし、その状態では、こちらは空母のようすも、駆逐艦の動きも、わずかな音でしかわからないのだ。
だから、実質的には、あきらめるしかないと思われていた。
このまま、本当に帰るしかないのか……?
「諜報員からの連絡は一時間ごとだよね」
「はい、一時間ごとにあります。しかし、それを受信するためには、こちらも一時間に一度、浮上しなければなりません」
「うん。今から一時間ごとに浮上して、それを空母が出るまで続けるなんて、無茶だ」
「それに、空母が出てくるころには護衛機が飛んでいます。空からも見つけられてしまいます」
「今の時間は?」
「0625です」
万事休す。
あと四時間だとすると、ちょうど視界の良い十時ごろに空母が出てくることになる……。
そこへノコノコ浮上すれば、すぐに護衛のF4Fに見つけられてしまうだろう。そのあとは、駆逐艦に追い回されるだけの戦闘になってしまう。
草鹿は知らず知らずのうちに消去法で考えていた。
では、残る方法は……?
「わかった。じゃあこうしよう。このまま四時間ずっと潜航する。四時間たったら、聴音で状況を把握、ころあいを見計らって一気に浮上。空母に雷撃をくわえて破壊し、その後離脱する。一度きりの勝負だ」
「なるほど、大勝負ですな」
佐々木半九が目だけで笑った。
これしかないです長官………。
草鹿は決断した。
艦内の温度がだんだん上がっていく。
現在の深度は五十メートル。
なんとか海面近くの音を拾える距離だ。しかし、敵の音が聞こえると言うことは、こちらの音も拾われるわけで、そうならないためには、エンジンはもちろん、冷却、送風、すべての音を停止させて文字通り身を潜めていなくてはならない。
時間が来るまで、なにもすることはないが、かといってシャワーもできず、トイレすら気をつかうのは神経にこたえた。
佐々木半九を相手に将棋を二番指した草鹿は、その後、握り飯を無理やり詰めこみ、あとはウトウトとして時間をすごした。もうクジラの夢は見なかった……。
時計が十時十分を過ぎた。
すでに諜報からの第一報があってから、たっぷり四時間は経過している。
潜水艦内は蒸し風呂のようだ。
一刻も早く、浮上したいが、しても今回はゆっくり換気してはいられない。敵の位置確認をして、その方向に大急ぎで回頭し、とにかく魚雷攻撃を行う。そして可能な限り撃ったあとは、すみやかにふたたび潜航するのだ。
いまごろ、空母ホーネットは湾から外洋に出ているころだろうか。
それとも、まだ、湾内で護衛機の発艦をやっているのだろうか。
聴音の兵士からは、頭上の海域で複数の大型船のスクリュー音が聞こえるとの報告があがっている。しかしそれが空母なのか、それとも駆逐艦のものなのかは、わかっていない。
草鹿はずっと伝声管の兵士をにらんでいる。彼は耳当てを手で抑え、聴音室からの連絡を聞き逃すまいと神経をとがらせる。
十時二十分……。
「……む!」
兵士に反応があった。必死で音を探る。
草鹿は無言でたちあがる。
「……」
「湾の方角から、あきらかに大きな推進音が聞こえます。駆逐艦らしき船三隻は東西に分かれました。西に二隻、東に一隻」
「来たか!」
司令部のみんなが草鹿の命令を待つ。
もう浮上すべきか、それとも待つべきか。
しかし、それは潜水艦にいる誰にもわかりはしない。
ただ、勝負の機会がただの一度きりで、そのすべてが草鹿の浮上命令にかかっている。
そのひとことを、総員はシャツ一枚に滝のような汗、そして真っ赤な頬で、ただひたすら待ち続けた。
「大型船動きます」
「距離……五十」
「頭上にいます」
草鹿が小声で言う。
「総員戦闘配置につけ」
「総員戦闘配置」
佐々木が同じく小さい声で繰り返している。
聴音の兵がふたたび告げる。
「大型艦……南へ移動します」
しばらく、静けさが司令部に訪れる。
それから、ふたたび草鹿が動く。
「微速回頭せよ」
「微速回頭」
「駆逐艦も行きます」
「離れます。距離……百」
「……」
「距離……百五十」
後を追う形が望ましいが、全速で湾から離れられると、こちらは追いつけない。まだ速度が出ない今なら、軽い潜水艦の機動力は生かされる。
そしてついに……。
「よし、潜望鏡深度に浮上だ!」
「浮上!」
草鹿と佐々木の命令が艦内を駆け巡り、一気に空気が放出され、艦が上昇していく。
海面がごぼり、と鳴った。




