アメリカの科学技術は世界一?
●7 アメリカの科学技術は世界一?
ここは港を見下ろすタワーマンション。
大きなリビングからは、眼下にきらめく港の灯りが美しい。モダンアートの掛けられた硬質な部屋には、センスのいい調度と、壁際のクラシックな本棚、そしてたくさんの書物があった。
仁科教授は自慢の身体に熱いシャワーをかけている。
なめらかで沁みのない肌はしっとりしてハリもあるし、まだまだ現役で通用しそう……いい気分だった。
浴室を出て、バスタオルで流れる水滴を拭き、バスローブを羽織ると、頭にタオルをターバンのように巻いた。
今日は新任の准教授のつまらない歓迎会だった。
見た目はそんなに悪くないが、ちょっと煽ると、すぐにわがままな一面があらわれ、うんざりした。
――頭のいいきかんぼう。
一言で言うとそんな感じの男の子だ。
それが来年から明日から自分のゼミを手伝う。操縦術として、ちょっぴり女の武器をちらつかせてやろう。仁科はそう考えて、やっと楽しくなってきた。
キッチンで冷やしておいたオレンジ色のスムージーをとり、ひと口飲んでソファにすわる。
今日中に、去年のゼミの採点をしてしまわないといけない。
バスローブのまま、生徒の卒論をめくる。
『霧島健人』
仁科はその若者の顔を思い出した。
世界史の中でも、特に第二次世界大戦の太平洋戦争に興味を強く示した生徒だ。ちょっと目つきはきついが、ピュアなところがあって仁科は気に入っていた。
太平洋戦争の南雲忠一にスポットをあてた論考が面白く、最後まで一気に読むことが出来た。引用の書物も複数きちんと書いてあって、ちゃんと研究したことがわかる。
最後はこう締めくくられていた。
『神秘的存在の延長線上で硬直した権威主義に陥り、合理性と科学技術の軽視を招いたことが、戦争の大きな敗因であったと推察される』
「……ふふん、やるじゃん」
仁科はテーブルの上のペンを取りあげ、82点優と書いて大きく丸で囲んだ。
窓の外には、わずかにまたたく、星空が広がっていた。
暗闇の洋上を大艦隊がゆっくり進む。
空母六隻が一直線に並び、その左右に戦艦二隻、さらにその外側には巡洋艦三隻、駆逐艦九隻が取り囲む。まさに威容堂々、未曾有の大艦隊だった。
この本隊とは別に、潜水艦三隻はすでに真珠湾に先攻していたが、おれの指示によって明日の攻撃開始とともに作戦中止を、また、北方に待機するタンカー7隻と護衛の駆逐艦二隻は、明日中に合流することになっていた。
ちなみに、軍艦はその大きさと戦闘能力から順に、戦艦、巡洋艦、駆逐艦という名称がつけられている。大きい軍艦ほど丈夫で強く、たとえば戦艦は自分自身の主砲をうけても沈まないことが要諦とされていた。
しかし駆逐艦などの小さい船にも役割はあって、機動力に優れ潜水艦との闘いには有利だったし、浅瀬への接岸も可能なので上陸にも適していた。
おれの載っている空母『赤城』は全長二百六十メートル、乗組員約千六百人の巨大な要塞だ。
もともと戦艦として建造されたが、途中で空母に改造された。そのせいか、前方にはつけ焼刃の甲板を支える奇妙な柱が何本もあったし、船底の近くには戦艦設計だった名残りの施設がいくつも存在する。飛行甲板も初期は三段式、つまり階段のように三段になっていたものを、滑走距離を稼ぐため一段に改修されて今に至っている。
空母の発明は世界で日本が最初だけど、この時代はまだいろいろ試行錯誤してたんだよな……。
運用面で便利な反面、空母の問題は、甲板強度と誘爆。つまり、敵からの攻撃にはめっぽう弱い。
木の甲板は敵の攻撃ですぐ使い物にならなくなったし、揮発性の高いガソリンや爆弾を大量に積み込んでいるから、誘爆をおこせばあっという間に沈没炎上してしまう。
だから、空母には他の戦艦による護衛が絶対必要だった。
おれは記憶と知識の整理をするため、艦内のあちこちを見てまわった。おれにしてみれば、半分はじめての空間だ。
「あ、南雲司令官!」
「うわ!長官だ!」
「おつかれさまであります!」
みんながおれを見て最敬礼をする。
「まあまあ楽に、楽に。悪いね、急に来たりして。いや、別に用があるわけじゃないんだ。みんながどうしてるかなと思ってさ。あ、固くならないで。固いのは、アソコだけでいいぞお」
われながらくだらない下品なギャグだ。
でもこの時代には効果抜群みたい。
みんな、どっと笑ってるよ。
へえ……空母の中ってのはこんなふうになってんのか。
艦内は基本灰色の塗料で塗られてて地味なんだけど、すげえ整頓されてる。
通路は思ったよりは幅があるし、すれ違う兵士がぶつからないだけの余裕はあった。
曲がり角には神棚なんかもあって、一升瓶のお神酒が数本供えてある。
さすがは神道の国家だよね。
通路に対して、各部屋はやたら狭い。だだっぴろいのは甲板下二層の艦載機格納庫群だけで、そのほかはあの艦橋だって司令官たちが全員入ればぎゅうぎゅう詰めになってしまう。
見たところ、准士官や士官の寝室はけっこうちゃんとしているみたい。
司令官室というちょっとしたサロンみたいな部屋もあった。
ひどいのは一般兵員たちの部屋だ。
低い天井に三段ベッドがつめこまれて、安い学生寮みたいだった。
……ん?
ある大部屋で、ひとりの兵士がうずくまり、なにかをしているのを見かけた。
その大きな鉄の部屋には、剥きだしの洗濯機くらいの、いかついエンジンみたいな機械がずらりと並べられてる。
「おっす!」
「あ!これは南雲司令長官!」
おれを見て、兵士ははじかれたように立ち上がり、身体を硬直させて敬礼をした。
小さくてなんだかかわいい兵士だな。
「ごくろうさん!おまえ、だれ?」
「き、木村三等整備兵曹であります。非常発電機の点検を命じられておりました」
へえ。発電機なのかよこれ。
おれは非常発電機と呼ばれた機械を見た。
エンジンとダイナモが剥きだしでつながっていて、しかも巨大だ。
こういう地道な整備が、前時代の遺物みたいな帝国軍……旧日本軍の機械たちを、精鋭ならしめてるんだろうな。
「整備兵か……熱心じゃん。でも、明日は三時起床だぜ。そろそろ寝たほうがいんじゃない?」
「は、はいっ!これがすんだら寝ます」
おれはふと、後ろ手を組んだ。
このポーズって、南雲っちのクセなのか?
ははあ、きっと腹が出てるので、こういう姿勢が楽なんだな。
「なあ木村」
「はい」
「これはおれの大学んときの恩師に聞いた話なんだけどさあ、アメリカって、今後四年間で百隻の空母、千六百機の超大型爆撃機をつくる国力があるらしいぞ。これをどう思う?」
「は?四年で空母百隻?ご、ご冗談を!」
「と思うだろ?マジなんだなあこれが。しかもだよ、今も急ピッチでレーダー、近接信管、原子爆弾というような新兵器を研究、制作してるんだ。こいつらにどうすりゃ勝てるんだ?」
「必勝の信念、大和魂で勝ちます!」
「……やっぱそうなるよな」
こいつらには罪はないんだ。
戦争は過酷なものだから、こういう精神力を養うことも、きっと重要なんだろうな。
でないと、誰かの命令で命がけの戦いなんてできるわけがないんだ。
だけど、現代の戦争は科学技術の戦いでもある。
非合理なものを信奉するだけでは、勝つことはできない。
たくさん並べられてる機械を見おろしながら、おれは木村という直立不動の整備兵にたずねた。
「ところで、木村はどこ出身なの?」
「青森であります」
「おーりんごの産地か」
「……は?」
あれ?まだそうじゃないのかな?
うん、もしかすると青森がりんごの産地として有名になったのは戦後だったかも。
おれ氏、社会の先生失格だわ。
「青森はねぶた祭だな」
「はい!夏の風物詩であります」
「おれも一度は見てみたいと思ってたんだ」
「ぜひ、お越しになってください。ご案内いたします!」
「おー、いいねえ……」
あたりを睨みつける巨大なねぶたがゆっくりと姿をあらわす。
大勢の青森市民が喧騒とともに出むかえるなか、おれと浴衣姿の佐伯七海が、この木村に案内されて祭りの夜を楽しむ。
そんな情景を思い浮かべ、おれは急にせつない気持ちになった。
「南雲長官?」
「……ん?お、すまんすまん」
おれ、現実逃避してたみたい。目の前の木村に意識をもどす。
「次のねぶたまであと八ヶ月あるか。もしもそのとき、まだ戦争をやってたら、相当深刻だよな。早く終わらせないと……」
「はいっ!一気にカタをつけたいであります!」
問題は、この科学技術の差だよな。
「なあ木村、この艦で一番頭のいい、優秀な技師は誰?」
「坂上機関少佐のことでしょうか?」
「坂上……え~と」
「坂上五郎少佐であります!機関参謀であります!」
記憶がぱっとよみがえる。艦橋につめる司令官の一人だ。
「ああ、坂上機関参謀なら知ってる。ふ~ん、彼、頭いいんだね」
「機関の技能は当代一って噂です」
「へー、木村は尊敬してるんだ」
「えへへ。技術畑の人間はみんな、あこがれてますよ」
木村はうれしそうに笑った。
「あ、もちろん艦橋の司令官室にお入りになる、長官や参謀の方々は、みなのあこがれです。はい」
「ふん、調子いいな」
おれは笑った。
科学技術のことは、技術者に相談してみるか。
この空母『赤城』の中から出来ることはあまりないかもしれないが、とにかく今のおれがわかること、伝えられることは伝えておきたい。
「ありがとう木村、じゃ、また会おう」
「長官もおつかれさまです!」
木村は敬礼で見おくる中、おれは開けたままのドアをくぐり、廊下に出た。




