草鹿はクジラの夢を見る
●33 草鹿はクジラの夢を見る
とはいうものの、このまますんなり推薦を受けると、太平洋にモノが言えなくなる。司令部まかせでアメリカとの戦闘が泥沼化すると、インド洋をどうやったってこの戦争に出口はなくなっちまう。
GF、すなわち連合艦隊の中で、この機動艦隊のポジションが微妙に、やりやすいんだがなあ。
「うーん、なんかいいアイデアないかジョシー?」
「インド洋にしばられたくないなら、講和を急ぐことだ。そうすればインド洋にいる必要がなくなる」
「そうは言っても、こっちはアッズさえ邪魔されそうなんだけど……」
とにかく、あと三日の余裕が欲しい。
「太平洋いまだ波高し、か」
ジョシーが遠くを見る目になった。
「とにかく、それで打電してくれ小野。軍令部の返信を待とう」
「わかりました」
艦橋のまま、おれたちは返信を待った。
はたして二時間後、軍令部からの入電があった。
「来ました!」
「おお、なんて言ってきた?」
小野通信参謀が、緊張した面持ちでメモを読みあげる。
「報告します。軍令部発南雲忠一。停戦ニ遅レアラバ和議ノ遅レトナル。以テインド洋連合艦隊司令長官ニ推挙セズ」
「……どゆこと?」
おれは首をかしげた。
停戦に遅れたら推挙しない……?
「つまり?」
ジョシーが細い腕を組む。
「つまりこう言っている。停戦に従わなければ昇進させない」
「昇進なしは慣れっこだけどな」
「……」
「いや、内地でもおれって昇進のがしてるのさ。つまりおれにとっちゃどおってことはない。そもそも、昇進したくないってんだから、おれの希望が通ることになる」
「停戦延期のお前の希望を通し、さらに罰として昇進をさせなければ、軍令部としても双方に筋が通るってことだな」
「ようするに、やっちまえって、ことか!」
狭い艦橋内が、おおっという声で騒がしくなる。
永野さん、さすがは頭のいい人だね。
おれのリクエストをちゃんと理解して、その両方に理屈を通しやがった。してみると、おれをインド洋に閉じこめるってのは、山本長官の望みなのかもな。そういや、あの人ハワイやオーストラリアに執着してたっけ。
「よし、そうと決まれば話は早い。本艦隊はこのまま南下。三日後にアッズ環礁を攻略する。兵員はそれに備え、明日と明後日は交代で休息せよ。訓練もなし。土日月火水木金だ」
おっと、それだけじゃいけない。こうもつけ加える。
「だが油断は絶対するなよ。レーダーによる索敵は厳重に。また、各空母は三隊に分けて百キロの間隔をとれ。敵失に学ぼうぜ」
おれがそう言うと、参謀連中はすぐに艦隊の再編にとりかかる。
ここにきて、兵士たちの二日の休息は大きい。
それに、敵はおれの歴史観による洞察を知らない。アッズ環礁がバレているとは思わないだろうし、この二日の平和は、きっと停戦が受け入れられたものと、油断するだろう。
草鹿は旗艦伊号潜水艦の中で、うとうとと夢を見ていた。
生い茂る森の谷間を広々とした川が流れ、その途中が鋼鉄の扉で閉じられている。自分はどうしたことかクジラで、そこから海に出られず困っている夢だ。彼は苦しくなり、鼻先をぶつけて暴れるが扉は頑丈でびくともしない……。
「司令官!」
肩をゆすられて草鹿は目を覚ます。
「う……開いたのか?」
「はい」
「……え?」
重い身体をおこした。
疲れが澱のようにたまっている。
目をあげると、佐々木半九大尉が立っていた。
彼は草鹿がこの伊号潜水艦隊に乗りこむまでの指揮官だった。
「諜報員から連絡が入りましたよ草鹿司令官」
「ほ、本当かい?」
草鹿は立ち上がり、中央司令塔に急いだ。
「無線に間違いないか?」
「はい。さきほどホーネットがパナマ運河のクカラーチャを通過した模様です。あと数時間で太平洋に出ます!」
「よし、いよいよだな」
草鹿はぎゅっと口をへの字に結んだ。
もうすぐ、この辛い潜水艦生活も終わる。
潜水艦は隠密行動が命だ。
自分たち伊十六号型潜水艦五隻の艦隊は、潜望鏡深度と深度二十メートルを上下しながら、このパナマ運河の出口海域で、ずっと身を潜めてきた。燃料を節約しないといけないから、あまり動き回るわけにもいかず、さりとてこの海域での浮上は、発見される可能性が高くできない。緊張と我慢を長期間強いられる任務だった。
今はぎりぎりの深度で、潜望鏡を少し上げ、係がのぞきこんで湾を監視している。
「代わって」
そう言って草鹿は潜望鏡の操作桿をつかんだ。
遠くにパナマ運河に通じる入り江が見える。
今はいたって平穏な海だ。
海上付近に浮かぶ長さ百メートルほどの潜水艦は、少しでも海が荒れると立ってはいられないほど揺れる。しかし今はゆっくりと上下を繰り返すくらいで、穏やかだ。
「このまま、黙って出てきてくれれば、言うことないんだけどなあ」
「空母ホーネットがぽん、と飛び出てくるとは思えません」
「やだなあ。駆逐艦に追い回されるの」
草鹿は半分冗談のようだが、佐々木半九にはとてもそんな余裕がない。
水中で八ノットしか出ない速度で、駆逐艦に追い回される地獄は、とても冗談にする気などおきない。
「司令官大丈夫ですよ。なにがあっても、攻撃は成功させます!」
佐々木がそばにやってきて言う。
「大尉は南雲長官をあまり知らないからいいけど、赤城でそんなこと言うと怒られるぞ」
大尉になぐさめられてしまった……。
草鹿はパナマの湾を監視しながら、心の中で苦笑する。
「南雲長官て、精神論が嫌いなんだ」
「いえ、精神論ではなく、必勝の気構えです!」
不服そうな佐々木の声に、草鹿は吹き出した。
「だから、そういうのを、精神論っていうんだよ」
最近、なんとなく南雲長官の気持ちがわかってきた気がする。
潜望鏡をのぞきながら、草鹿はそう思った。
そういえば……。
出発の時に南雲とかわした会話を、なつかしく思い出す。
もう何か月も前のことみたいに感じる。
『おまえなら、できるよ』
南雲は草鹿の肩に手を置いて言った。
『長官、それ、根拠ないでしょ。長官の嫌いな精神論じゃ……』
「根拠ならあるぞ」
「そ、そうなんですか?」
「おまえは精神論が嫌いなおれを見てきた。合理的思考や戦略をな。おまえには、おれと遜色ないキャリアや知識がある。しんぼう強さじゃ、おれより上かもしれん。だから、合理的な考え方さえ身につければ、きっと精神論なんかで無理押しせず、機略縦横に、最善手を選べる。だからこの作戦をやれるのはおまえしかないし、おまえならできる。……な、合理的だろ?」
「機略縦横……」
「ああ、おまえならできるよ」
「……もう一度言ってください」
南雲は笑った。
「おまえは、できるよ」
……無理押しせず、機略でか。
草鹿は、潜望鏡から目を離した。
「いったん深度二十、二時間後に浮上しよう」
その命令を佐々木が実行に移そうとした瞬間――。
「艦長!」
潜望鏡を引きついだ係が、声をあげた。
その声に尋常ならざるものを感じて草鹿もふりかえる。
「どうした」
係の兵士が潜望鏡のまま、こたえる。
「湾より敵駆逐艦!……二隻、いや三隻!」
「み、見せて」
草鹿が押しのけるようにして覗くと、そこには全長が百六メートル、最高速三十七ノットのグリーブス級駆逐艦が、その獰猛な姿をゆっくりと湾内から姿をあらわすところだった……。
「うおいマジだよ」
草鹿は知らず知らず、南雲の口癖を真似するのだった。




