悪魔の誘惑
●31 悪魔の誘惑
戦艦ウォースパイトはまだ動いている。
しかし、空母インドミタブルとフォーミダブルはすでに自慢の装甲甲板をやられ、船体が大きく傾き、アメリカからの援軍、空母ヨークタウンも爆撃をいくつも受けて、もう航空機の発艦はできない状態である。
このとき、上空からこの海域を見れば、砲撃を撃ち、激しく抵抗するいくつもの艦船が、無数の燕のような飛行機に襲われ、まとわりつかれ、やがて沈黙していくさまが見れたろう。
あたりは重油の匂いとともに黒煙がもうもうと立ちこめ、曇天がすこし晴れてきたころには、もう勝敗ははっきりとつき、イギリス海軍は沈没していく船から退避した兵員の駆逐艦収容に追われていた。
つぎつぎに入電してくる戦果の報告を受け、空母赤城の艦橋内はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
「まだ出しますか?」
航空参謀の源田が尋ねる。
次の攻撃隊を出すか、という意味だ。
「そうだな。残酷だけど、やつら修復能力がとんでもなく高いから、やれるときに、きちんと沈めておかないとダメなんだ。疲れているみんなには悪いけど、もうひと働きしてほしい。三次攻撃やろう」
すでに二次攻撃はすませていた。
コロンボで爆雷を投下した艦載機を帰艦させ、新たに兵器を搭載させて二次攻撃とし、次は順にセイロン海域からの艦載機を帰艦させて、また出撃させるのだ。
「おそらく三次攻撃が出るのは五時くらいか。時間がかかるけど、最後までやろう。敵の大型船でまだ沈んでないのは?」
「戦艦ウォースパイトだけです。あとの空母には雷撃隊が十発以上あててますから、沈むのは時間の問題でしょう」
「ふーむ、なら追加で雷撃を二十機ほどもあればいけるかな」
「だと思います」
「なら第三次攻撃隊は雷撃二十機、戦闘機は……いまのままでも充分か」
「はい」
源田が指示に走る。
しかし……補充用の水雷や爆弾はたっぷりあるから問題はないが、航空機の損傷が心配だな。
これからまだセイロン島の通商破壊やトリンコマリー空爆もあるし、なによりその後のアッズ海戦がある。そっちには空母ハーミーズや、まだたくさんの戦艦が残っているはずだ。
「雀部航空参謀、こちらの被害は?」
雀部が長身をかがめてなにかを確認している。
「ゼロ戦六機、艦爆十機、艦攻四機です」
少ない……と、喜ぶわけにいかないよね。
その一機一機にも、ちゃんとおれの部下たちが乗っていたんだから……。
それにしても見事な戦果だった。
レーダーによる、いち早い索敵の効果が、これほどあるとは驚くばかりだ。
結局、空母という存在は、先にしかけられたら守り切れないものなんだろうな……。
甲板にでかい穴一つあけば、それで内包してる全ての艦載機がだめになるし、甲板を貫通してしまったら次々に誘爆をおこしかねない。しかもそこに乗っている優秀なパイロットまでも犠牲になってしまう。
「なあ源田」
「はい、なんでっか?」
「空母を沈めるのはいいが、退避先になる駆逐艦はなるべく見のがしてやってくれないかな。そうしないと乗員たちが救われない」
「はあ……長官がそうおっしゃるのでしたら」
ちょっぴりとまどいは隠せないようだが、少し間があって、ふっとやさしい笑みを浮かべた。
彼らも、もうおれとのつきあいが長い。
去年の真珠湾いらい、数か月にもなるから、おれの考え方がだいぶわかってくれている。
「よろしおます。収容行動中の小型艦船には手を出さないよう言っておきましょう」
そう言って、源田はきりっと敬礼をした。
午後五時十八分。すべての艦載機が収容された。
イギリス艦隊は旗艦ウオースパイトをはじめ、アメリカのヨークタウンを含む空母三隻と駆逐艦三隻を失うことになった。つまるところ、全艦隊が同じところに固まっていたのがあだとなった形だ。
このとき、もしも彼らが空母ごとの艦隊を組んで、百キロほどの間隔をあけて航行していたら、被害はもっと少なく、もしかしたらこちらとの乱戦になっていたかもしれない。
あるいは、アッズへの逃走を反転する際、空母の運用に不慣れであわててしまったのか、それとも油断しただけなのか。
現代人であるおれにしても、そこまでの戦略知識は持っておらず、空母対空母のセオリーをはじめて知った気がする。
よく考えたら、空母が離れていても、いったん離艦した航空機はその距離をじゅうぶん吸収できるんだから、空母どうしがくっついていても、見失わないとか、帰艦しやすいとか、それくらいしかメリットがないよな……。
結局、おれたちのところには一機の攻撃隊も来ず、残った駆逐艦と収容された兵たちは、南のアッズ環礁へと消えていった……。
「ああ長官!」
その夜、おれとジョシーが食堂にはいっていくと、興奮さめやらぬ兵士たちが、びっくりするような大騒ぎをくりひろげていた。
見れば真ん中を大きく開け、そこで相撲をしている。
この艦の食堂は机や椅子にいたるまで、床にしっかり嵌められてあったはずなのだが、ご丁寧にはずされ、壁際に片づけられていた。
おいおい、なにもこんなところで……。
まあ、若い連中(ホントはおれも若いんだけどな)のやることって、いつの世もこんなものかもな……。
おれたちを見つけた彼らが、駆けよってくる。
「いらしてたんですか!」
「やあ、ジョセフィンちゃん!」
「どうした?」
「ぜひ長官も相撲やりませんか?!いま大淵が九連勝なんです」
「……え?」
「おいまずいぞ千早! 長官は柔道やっておられるんだ。ヘタすると投げられるぞ」
柔道、といっても、おれは野球しかしらんけどな。
あ、南雲ッちの経験値か……。
「手加減しますよ……お望みでしたら」
「んだとコラ?」
ジョシーがあきれたようにおれを見あげる。
「やるならメシを食ったあとにしたらどうだ? 腹が減っては戦はできぬ、じゃないのか?」
器用に日本のことわざ使うんじゃないよ……。
「いんや!おれはだれの挑戦でも受ける。来なさい!」
「おおおおおおおお!」
「なんなら、ワタシがやろうか?」
ジョシーがぽつりと言った。
「……え?」
ジョシーが腕まくりをしだした。
みんなが目を剥いて驚いている。
「そ、それは……」
だははははあ!と食堂にいた全員が爆笑する。
「こりゃあ、いいや!」
「やれやれ!オレが相手だ」
「おいおい、ケガさせるなよ」
「おい、木村やれよ」
おお、木村整備兵曹じゃないか。今じゃ坂上の片腕で、日夜電気回路の猛特訓中とか。
そういえば、小さい身体つきだから、なんとなくジョシーと手が合う気もするよな。
「木村か……可哀想だが仕方あるまい」
ジョシーてば、悪魔みたいな笑顔してるぞ。
いやいや、そうは言っても推定身長百五十五の鍛えられた男と、百四十の幼女だぞ?
なぜかみんなはノリまくり、ぐいぐいと真ん中に木村を押し出している。
「や、やめろよ~////」
おい、なんで木村赤くなんてんの?




