地獄の目視録
●30 地獄の目視録
「敵艦隊見ゆ!」
北緯五度四十分、東経八十一度五十九分のインド洋上空に、最初に達したのは、宮嶋尚義大尉ひきいるコロンボ帰りのゼロ戦隊だった。
大艦隊も高度三千の高空からは、まるで木の葉の群れに見える。
それでも戦艦が一隻と、空母が三隻いることは、宮嶋にもすぐわかった。
彼らの任務は、艦隊の護衛を担当する直掩機の始末だ。
見れば十機ほどのグラマンF4Fが、こちらより優位をとろうと散開しながら上空へと舞い上がっていく。
宮嶋は仲間の二機とともに、それへと攻撃の陣形をとる。
もうなんども仲間と演習をくりかえしてきた得意の型だ。
まっすぐ突っこむように見せ一射し、そのままうわん、と宙返りする。
敵が後ろをとろうと追いすがるのを、別方向へ宙返りしていた後続の機がすかさず撃ちかけた。
ガガガガガガガガガ……。
バッと火を吹いて一機のグラマンが墜ちていく。
「よし!」
宮嶋は次の得物を探して操縦かんを回した。
「次っ!」
敵のF4Fに対して、こちらは三倍もの数がある。
十機の敵に対し、それぞれ三機のゼロ戦が襲いかかる。
それにもまして、二十ミリ機銃の威力は強烈無比だ。
ヨークタウンのF4Fもかなり訓練されてはいたが、機銃は十二・七ミリ。数と武装の差は歴然としていた……。
「おお! 護衛隊がやってくれよる」
爆撃隊を指揮する江草は、敵の直掩機が宮嶋らに撃墜されるのを見るや、全機突撃せよの報を出して攻撃態勢にはいった。
今度こそ、自らの爆撃を敵の空母に与えてやるのだ。
コロンボ港での据えもの切りとは違って、こちらは生きた主力空母だ。敵に遜色はなかった。
艦隊から無数の高角砲、イギリス海軍自慢のポムポム砲と呼ばれる二ポンド八連装連射式が火を噴き、たちまち物凄い弾幕が張られる。
視界は一瞬で真っ黒になった。
「こりゃあ、ちっとばかり着くのが早すぎだんじゃないか?」
「そうですね。少しようす見ますか?」
後席も同感のようだ。
急降下爆撃には雷撃機との連携がいい。
敵艦が水雷を避け高角砲の狙いが逸れる間に、上空に位置して急降下すれば、彼の腕ならほぼ百発百中の自信がある。
しかし、今はまだ雷撃機は態勢に入っておらず、高角砲も邪魔だ。
旋回するか……?
そう思った瞬間、一機のグラマンがぱっと目の前に現れた。
いかん!
敵機からの曳光弾が目の前を走る。
ガガガガガガガガ
バシバシ!
(うおおっ!)
必死にフットバーと操縦かんを操ってきりもみに避ける。
自機の翼に被弾したのを感じながら、水平飛行に機体を直した。
(被害は……?)
目視で確認すると、自機右翼に敵の弾痕がいくつもある。
幸い、燃料もれはなく、機体の制御にも問題はなさそうだ。
ふっと黒煙が晴れ、下方の視界がひらけた。
いつのまにか、高度がかなり落ちており、敵の空母が目の前に見える。空母ヨークタウンだ!
「目標、二番艦!」
ぐいっと操縦かんを引き上げる。昇降計に目をやり、ほぼ垂直に上空を目指す。高度計を見る。三千をあっという間に通りすぎ、四千、五千……。
高空の頂点からスロットルを締め、がくんと機首を落とす。
急降下に入りつつ、空母の姿を確認する。
黒い弾幕を通りぬけ、一気に空母へ近づいていく。
「て―――ッ」
爆弾投下レバーを操作する。
がくっという切り離しの衝撃を感じた直後、ダイブブレーキを展開して一気に操縦かんを引き、機体をおこす。
ド――――――ン!
「命中―――――!」
後席の兵士が叫んでいる。
江草は当然のように、冷静にそれを聞いていた……。
爆撃の神さまと異名をとる江草が、その腕をいかんなく発揮したあと、遅れを取った形の九七式艦上攻撃隊は、村田重治少佐の指揮で、ただちに雷撃態勢に入った。
狙いは敵の旗艦戦艦ウオースパイトだ。
小さく見える戦艦は、すでに弾幕を張りながら陣形を崩して魚雷への警戒行動に移っている。
「雷撃用意じゃ!」
高度を落とし雷撃の体制に入る。
そこへ一機のF4Fがまとわりついてくる。
「敵機に注意しちょけ!」
応戦するにはもう遅い。
機銃のスイッチに手をやりながら、操縦かんを押しこむ、
逃げる戦艦に合わせて機体を操縦し、海面に向けて水平に占位する。
スロットルレバーを押し、さらに水雷投下のレバーに手をやる。
戦艦からは無数の砲弾と機銃が雨あられだ。正確な機銃掃射は電探の連動か。しかし狙いは遅い。
「二時に敵っ!」
目の端に一瞬、敵機が映る。
咄嗟の判断でほんの少しスロットルをゆるめ、時間差をつくる。
ガガガガガガガガガガガガ……。
ババババババババババババ!
敵の機銃弾が目の前の海面にあたってしぶきをあげる。
瞬間、攻撃を躱したすきに、スロットルを全開にする。
弾幕の中を、通りすぎると、目の前に黒く巨大な戦艦が見えた。
速度計は……百八十!
「いまっ!」
投下レバーが引かれる。
九一式航空魚雷が切り離され、その衝撃でふわっと宙に浮く。
反動を利用して操縦かんをぐいっと引き上げると、機体はそのまま上空へと持ち上がった。
ウオースパイトの艦長はヴィクター・クラッチレーだ。
味方のF4Fが敵の攻撃隊と死闘をはじめたとき、彼はすぐさま操舵士の後方に立った。
敵艦載機の数があまりにも多い。
このままでは魚雷攻撃にも急降下爆撃にもあうだろう。
そのとき、すばやく操舵の指示が出せる位置がよい。
「各艦散開せよ」
「各艦散開!」
サマビル司令官の声で無線士が送話機に叫ぶ。
「全速前進!対空攻撃開始」
先頭の本艦はまっすぐから南へ曲げよう。クラッチレーはそう判断する。
高角砲と機銃が火を噴き、轟音と煙であたりが地獄のようになる。
1915年就航以来、第一次世界大戦を経て地中海やエーゲ海でも活躍したこの艦も、こんな劣悪な戦況ははじめてだろう。
たちまち、上空に敵機が蝟集する。
西と東の双方から敵の制空隊が押し寄せ、あちこちで宙返りをしはじめる。曳光弾が飛びかい、味方F4Fとの激しい交戦がはじまった。
「魚雷!」
「どこだ?」
クラッチレーは全身の感覚を研ぎすます。
この位置からは海面が良く見えない。
しかし、艦橋の周囲には魚雷監視の兵が数名、必死の形相で海面を監視している。
何時の方向か、距離は?
「一時、二時、四時、距離八百!」
右舷担当とほぼ同時に左舷の兵も叫ぶ。
「七時、九時、十時、十一時、距離六百!」
(なにい?!)
「取舵~っ!」
重いはずの船が、ぐうっとピッチングする。
このままではやられる!
危機と見て、ポムポム砲も俯角にして魚雷を狙いはじめる。
ここだ!
右舷二時と左舷十一時の間隙を右に抜ける!
「面舵っ!」
操舵士が素早く舵を切り、また船体がうねりをおこす。
抜けたか?
ドド――――――――――ン!
「よかじゃろー!」
雷撃隊長の村田が叫んだ。
後席を振りかえりながら旋回すると、頑丈な戦艦の横腹に、大きな爆炎があがっていた。
「命中です!」
「ばってん、まだまだじゃ!」
すでにF4Fはほぼ堕とされている。
空母三隻からはようやく数機が離艦したばかりだ。
それも待ちかまえたゼロ戦の餌食になる。
八十機にもなる南雲艦隊の爆撃機、雷撃機が、三隻の空母、戦艦へと次々に襲いかかる。
地獄は、これからだった……。




