二回あてたらフォーリンラブ
●6 二回あてたらフォーリンラブ
ここは船内にある私室。
壁の時計は夜の9時をさしている。
室内には報告の当番兵士が直立で報告書を読んでいるところだ。
「……というわけで、盲腸の二等兵については無事手術も終わり、内火艇を出して所属艦に移送せしめました。以上であります!」
「うん、ごくろうさま」
明日の全艦起床は午前三時だから、そろそろ寝る兵士もいるだろう。だが、おれはまだ明日の確認や報告をうけるのにいそがしい。
「それでは失礼します」
当番兵士が出ていき、ようやく一息ついたので、おれは応接テーブルの上のリンゴを齧る。
立ちあがり、執務机の上にあった兵員の名簿を取り上げ、パラパラとめくってみる。
それから、引き出しを興味本位であさっていると、食べかけのチョコレートが出てきた。
(ははあ、南雲っち、甘党なんだな)
そりゃタイコ腹にもなるってもんだよ。
リンゴだけじゃおさまらない自分の小腹に苦笑しながら、紙を剥いてチョコを食う。
うん、旨いぞ、これ。
チョコをながめる。
(あーあ、佐伯七海ちゃん、いまごろなにしてんだろなあ?)
おれは生前?のある出来事を思い出していた。
「あのっ!コレ、もらってください!」
「え?おれ?」
職員室の前で、おれは七海にチョコレートを渡された。
佐伯七海はクラスでも目立たない女の子だった。身長は百六十センチをちょっと超える感じで、華奢なからだつきをしている。いつも一人でいて、静かにノートに向かっている印象だった。
よく見ると顔はけっこう可愛くて、長めのおかっぱもよく似合っていた。
「先生、好きです」
七海が前髪を揺らしながらチョコを差しだした瞬間、突然目のまえがぱあっと明るくなった気がした。
不毛だった学生時代を思い出して、おれはその現実がまだちょっと、信じられずにいた。
「おいおい、なんかのバツゲーム……じゃ、なさそうだね」
思いつめた七海の表情。
頬に赤みがさしている。
「あ、ありがとう」
受けとったのは、箱入りの手作りチョコと、おれへの想いを可愛い文字でつづったラブレター。
ぱたぱたと、逃げるようにして去っていく後ろ姿をぼおっとながめていると、くすくす笑いながら同僚の先輩女教師が通り過ぎていく。
「霧島センセイ、モテますねえ」
「あ、いや、その」
おれはチョコと手紙を乱暴にポケットに入れ、そそくさと歩き出す。
早く手紙読みてえ……。
うわの空の授業を終えて、ようやく一人になると、おれは職員トイレの個室に駆け込み、急いでその手紙を開いた。可愛い模様入りの便せんに、自分で描いたらしい、かっこいい男のイラストが描いてある。
こ、これおれなの?!
今風のコミック絵だけど、けっこう上手だ。なにより、色えんぴつで着色したりして、一生懸命描いた感じが、彼女の想いのたけを物語っている。
そこには、こんな短い文章がつづられていた。
『霧島先生へ
じゃあみんな元気でな!っていうアナタの口グセ、いつもドキドキして聞いてます。あてられたとき、こたえられないのはそのせい、なんちゃって(うそ)
いつか一緒に帰りたい。二回あててくれたらOKのしるし
佐伯七海』
いきなり、おれは七海が好きになってしまった。
いや、そりゃ仕方ないでしょ。だってそれまでずっと、恋愛童貞だったんだから!
「二回あててくれたら……か」
無骨な船室。おれは思いだしてちょっぴり泣きそうになる。
……あれ?
なんか、ひっかかるぞ?
……?
……そうだ!
たしか、真珠湾攻撃の命令系統で、ひとつ重大なミスがあったんだ。
結局、攻撃の成功でとがめられなかったけど、作戦の遂行の障害になったはず……。
おれは兵員名簿を繰った。
(あったぞ!)
伝令管で連絡係に伝える。
「淵田飛行隊長よんでくんない?」
「はっ!」
しばらく、彼の来室を待った。
コン、コン!
やがて、大きめのノックの音がした。
おれはいずまいをただして、声をかける。
「はいれ!」
「淵田、入ります」
南雲っちとはちがって、痩せて精悍な男が入ってきた。
きちんと上着を着ているのは、司令長官たるおれへの敬意のしるしだろう。
おれは淵田飛行隊長を立たせたまま、単刀直入に話す。
「こんな時間に悪いけど、ちょっと直々に言っておきたいことがあるんだ」
「なんでしょう?」
「明日の攻撃で奇襲の場合の信号弾は一発だったよな」
「はい。奇襲か否か、一発は奇襲、二発は強襲であります」
「やっぱりそうか」
おれはうなづいた。
相手に気づかれていないと判断する場合は奇襲、気づかれてたら強襲と呼ぶらしい。それが攻撃にどう関係するかというと……。
「つまり、こうだろ?相手基地の様子を見て、奇襲が成功しそうなら淵田が信号弾を一発だけ撃ち、それを見た魚雷攻撃隊が敵戦艦に真っ先に突っ込む」
「そうです」
「まあ、なんつっても、停泊している戦艦の攻撃には、魚雷攻撃が一番有効だもんな。でもさ、魚雷攻撃は水平飛行から入るので、対空砲火にはめっちゃ弱いっしょ」
淵田はなにをわかりきったことを今さら、という風情でおれを見ている。おれはつづけた。
「でさ、敵に発見されたら、魚雷攻撃はやめて、投下爆弾を積んだ急降下爆撃隊が先行して敵対空火砲を攻撃をする手はずになってる。その合図が信号弾二発」
「はい。……それが、なにか?」
「その手はずだけどさ、もし魚雷攻撃隊が一発目の信号弾を見のがしたら、どうなる?」
「……それは、困ります。しかし、そんなことは」
淵田が憮然として言った。
「あるんだよそれが」
「見のがしたら……もう一発撃ちます」
「そこなんだよなあ」
おれは、人差し指を横に振ってみせた。
「いいか?一発撃って見のがされたと思ってもう一発撃つ。すると両方見てた急降下爆撃隊は二発だと思って突撃するぞ?」
「あ」
「実際、おれが読んだパールハーバー戦記にはそう書いてあったんだよ。雷撃隊が一発目の信号弾を見のがしてしまったおかげで、淵田はやむを得ずもう一発撃つことになって、そのせいで急降下爆撃隊が先に突撃することになってしまったんだ」
「は?パール……」
「い、いや、そうなる可能性があるってこと」
「それは……困りますな」
「だろ?つまりこの合図は、仕組みじたいに問題があるんだ。信号弾はいらん。明日は雷撃が先に行け」
「では、司令長官は、奇襲が必ず成功するとのお考えでありますね?」
「おうよ。あとな、艦爆はいいが、大切なのはまずもって敵戦闘機の破壊だぞ。それと対空砲な。それを先に叩いてしまえば、反撃がうんと減る」
「それでは臆病者です」
「そんなことはないよ」
おれは眉を寄せる淵田の肩をぽん、と叩いた。
「戦艦への爆撃で黒煙がもうもうとあがれば、そのほかの目標が見えなくなって攻撃精度がさがるでしょ。だから基地攻撃は魚雷攻撃から入るんだ。それから格納庫への急降下爆撃な、戦闘機と滑走路を確実に叩けよ。でないとあとあとまで、後悔することになるよ」
「……わかりました」
「明日はなんども出撃するぞ。戦艦と戦闘機やったら格納庫と燃料タンクも忘れずにな。おれらはな、これから何日も戦いを継続することになるんだ」
日に焼けた淵田の目がぎら、と光る。
「言ってる意味、わかるよな?」
「わかります!」
「空母各艦の飛行隊にも光通信で伝えてくれ」
「はっ!」
ビシっと敬礼して、淵田は一瞬まぶしそうな目でおれを見、それから部屋を出て行った。




