山口多聞に誉められた
●23 山口多聞に誉められた
「お呼びいただき恐縮です」
のそっとした所作で現れたのは、山口多聞司令官だった。
無理攻め無理強い、勇猛にして直情な司令官として知られた彼は、今も空母『蒼龍』を旗艦とした第二航空戦隊を率いている。
このオーストラリア戦線には、パラオに先攻していたため合流が遅れたが、今はおれたちと行動を共にしていた。
おれは山口多聞のちょっと垂れ目でひょうきんな坊主頭を見て、にこやかに声をかける。
「やあ、山口少将、どうぞこちらへ」
「これはどうも!」
座卓に着きながら、まずは自分を無視して料理をパクついているジョシーにとまどう。
「あ、山口さん、この子はジョセフィン……」
「はいはい、知っとりますよ。最近は南雲長官の鞄持ちだそうで」
「通訳だ」
と、ジョシーがぶっきらぼうに言う。
「失礼だぞジョシー。ちゃんと挨拶くらいしろ」
「ジョセフィン・マイヤーズだ。よろしくな」
「すみませんね。こいつはまだ日本語が不自由で」
「山口少将、ジョセフィンちゃんはいつもこんな感じなんです」
なぜか草鹿もあわてて、とり繕っている。
以前の山口なら、無礼者ッ、と一括してもおかしくなかった。
「まあまあ、可愛いから許されるんですな。それに、ミッドウェイでもウェークでも、この子の縁の下に、ずいぶん助けられたと聞いておりますよ」
わはは、と豪快に笑う。
山口多聞にも、さっそく数々の料理が運ばれてくる。
彼はそれを見て相好を崩している。
草鹿ははらはらしながら、おれと山口の顔をなんども見ていた。
中居が去り、襖が閉められて、ようやく、おれは酒をすすめる。
「ささ、まずは一献」
「いやあ、南雲さんにはこれまでいろいろ……」
南雲ッちと山口多聞の不仲は、現代でもわりと知られている。
なんか、酒の席で食ってかかられたことがあるんだっけ?
だけど、今日の山口氏は、いたって柔和に見えた。
「真珠湾じゃずいぶん山口さんには助けられたね。あらためてありがとう」
「いやいや、ここんところの南雲さんには、ほとほと感服しとりますよ。まるで人が変わったように……いや、これは失礼」
「ふふ……失礼なもんですか。この草鹿だって、前は昼行燈だと……」
と、おれは草鹿を見る。
「そう思ってたよなあ草鹿」
「あ、いや。はは。それには異論はありません」
「ちょ……おま、そこは否定するところだろ」
おれたちはひとしきり笑った。
山口多聞も、坊主頭を撫でながら、うまそうに酒を口に運ぶ。
おれはふたたび注いだ。
「時に……多聞さん」
「あ、はい」
急に下の名前で呼ばれて、びっくりしているようだ。
「いいでしょう? 昔から、親しい武人は下の名前で呼び合うのが習わしらしい。どうかおれのことも忠一と」
「そ、それは……」
「ぜひ、そう呼んでくださいな」
「……じゃ、忠一っつあん」
「おお、いい感じ」
「なに男同士でいちゃいちゃしてるんだ」
ジョシー……たまには空気読めよ。
「多聞さん、今日は貴方にお願いがあって来てもらいました」
「ほう。それは?」
「はっきり言います。フィリピンを脱出するマッカーサーを拿捕してもらえませんか」
「な、なんですって?」
箸を持つ手がとまった。
草鹿も、ぽかんとおれを見ている。
ジョシーだけは、下を向いたまま、ピーナッツ豆腐の和え物をいじくっていた。
「ご存じのように、マッカーサーはアメリカ極東陸軍総司令官です。現在はフィリピンにおりますが、もうすぐ、かの地はわが陸軍の手に陥ちるでしょう。そうなると、ヤツはあっさりフィリピンを捨て、おそらくは魚雷艇でミンダナオを経由してこのオーストラリアに逃げ込んでくると思います」
「……」
食事どころの話ではなくなってきた。
多聞は、箸をおき、両手にこぶしを作って座卓の上に置いた。
「それは確かですか?」
「まちがいありません」
「むう……」
ぐっと睨むようにおれの目を見ている。
「実を言うと、この草鹿にはおれの特命で、潜水艦隊を率い、パナマ運河にむかってもらうよう話をしました。空母ホーネットを撃沈するためです」
「ほう!」
多聞が目をぎら、と光らせた。
どっちかというと、自分はそっちをやりたい、そんな顔をしている。
「だが、多聞さんには、マッカーサーをやってほしいんです。フィリピンを脱出する魚雷艇か、そのあとのB17を翔鶴のレーダーで捉え、撃墜するか、不時着したら拿捕する。ただしこれは出ていく判断がきわめてむずかしい。B17は高高度でうちの艦載機じゃ届かないので、降下のタイミングを見計らう必要がある。しかもその時はオーストラリアの基地からお迎えも来るでしょう。この判断はおれや草鹿じゃ無理。どうですか?」
「……」
「できますか?」
おれはふたたび問いかけた。
正直言うと、どちらにホーネットを、そしてマッカーサーをやってもらうか、という判断はずいぶん迷った。結局、潜水艦でホーネットを攻撃するという作戦は、『待ち』と『潜伏』の要素が多く、気の短い山口多聞には向いていないと思ったのだ。
多聞の顔が紅潮した。
「南雲……いや、忠一ッつあん」
「はい」
「翔鶴の電探を使うのはいいが、それだと敵にもこっちがばれる。電探は闇夜に行灯をつけるようなものじゃないか」
「いや、翔鶴のは日本で装備した最新型です。こいつの次世代レーダーは周波数が短いから、敵に察知されにくい。とりわけ、あわてて飛び立つB17にはね」
「では、わしに翔鶴をあずけると?」
「ええ、お預けします」
「……忠一ッつあん、はどうされるおつもりで?」
「おれは空母を乗りかえ、艦隊を編成してインド洋に出る」
「蒼龍で、ですか?」
と、多聞。
「いや、赤城です」
「なんと!」
「空母『赤城』は、修理と新たなレーダーを完備し、すでにこのトラックにむけて出航してます。おれはこれを待ち、インド洋に出航します。この南雲は、やっぱり赤城でなくちゃ、ね」
「……いいなあ。自分も赤城に乗りたいなあ」
草鹿が溜息まじりに言う。船乗りは、長く乗ると愛着がわくんだろう。
「おまえがホーネットをやるのが先か、おれがインド洋をやるのが先か、勝負だな草鹿」
おれは草鹿を見て笑った。
多聞がおれをするどい目で見つめる。
「忠一ッつあん、インド洋の狙いは、イギリス艦隊ですな?」
「そうです」
おれはうなずいた。
「イギリス艦隊を殲滅させるつもりです。すでに日本の暗号もわからなくなり、こっちに強力なレーダーがあれば、『逆』ミッドウェー状態だから……」
いいかけて、おれは苦笑した。
「おっと、これは失礼。……つまり、イギリス艦隊は間違いなくやれます。で、それを成し遂げたら、きっと海軍軍令部の永野総長、太平洋連合艦隊の山本司令長官、そして陸軍の杉山元参謀総長とも会えるでしょう。そこでおれのすべての戦略を承認させる」
「あんたの戦略って何です?」
「イギリスとの講和と、ドイツへの宣戦布告ですよ」
「……え??」
二人とも、あまりのことに言葉が出ないみたいだ。
でも、これしか勝ちパターンはないんだよなあ。
「アメリカは太平洋と中国、そしてフィリピンという利権があって、真珠湾のメンツもある。工業生産力があって、戦争が長引けば長引くほど有利になるから、絶対に講和はしない。それじゃ困るんだ」
「……」
「だがイギリスは違う。艦隊を全滅させられれば、アフリカ戦線への補給も、インド民族運動も、ソ連への補給もできなくなる。そうなれば空路を確保するだろうが、独立運動インドがおれたちと組んで、空輸を妨害しだしたら、どうしようもなくなるから、ある条件さえ出せば、すぐ講和するでしょう」
「それが……ドイツ?」
「すでに、ドイツはユダヤ人を差別、迫害しています。これは民族協和、人種差別反対のわが国の方針と反する。したがってこれを理由にドイツとは手を切り、イギリスの手助けを約束するなら、イギリスはかならず講和に傾く」
「そうなればアメリカとはなし崩し的に休戦、のちに講和することができる。世界大戦が終わったら、帝国は戦勝国となるのです」
もちろんジョシーには、すでにこのことは話してあった。
「その間に、南方艦隊の井上中将にはサイパン、グアム、テニアン、その他太平洋の島々を要塞化してもらう。イギリスとの講和までに、アメリカを迎え撃つ用意をしてもらいます。アメリカからの防衛は、フィリピンをふくめたこれら島々が連携してこれを行う」
じっとおれを見つめていた多聞が、破顔一笑した。
「いやあ、まことに愉快!」
だはは、と笑った。
「そこまでのお考えとは、この多聞、驚きました。どうか、マッカーサーはお任せください」
「やってくれますか!」
「やりましょう!」
おれたち三人は、自然と手を握りあった。
「帝国海軍に栄光あれ!」
「おお!」
「だから男同士でいちゃつくなっての……ふぁ」
ジョシー、腹が膨れて眠そうだ。




