草鹿への密命
●22 草鹿への密命
「え~っ!自分が、でありますか?」
草鹿が驚いて頓狂な声をあげた。
ここはトラック諸島、夏島にある、料亭『小松』だ。
ニューブリテン島での作戦を終えたおれたちは、井上中将ひきいる南方艦隊とともに、いったんこのトラック島に帰っていた。
湾内には、おれたちの第一航空艦隊と、南方艦隊の一部が停泊している。南方艦隊は、これからラバウルの要塞化にむけて、なんども飛行機や戦車の運搬に追われることだろう。
掛け軸のかかった床の間もある広い和室に、六人用の広い座卓があり、それを向かい合わせに、おれと草鹿は座っていた。
目の前の大きな座卓には、料理とともに、世界地図が広げられていた。
「南洋の魚は旨いな」
……あ、忘れてた。
座卓にはジョシーもいて、今は刺身をぱくついている。
「ジョシー、酒はやめとけよ」
「わかっている。今日は草鹿にとっても、大事な日だからな」
ちらっと草鹿を見る。
おれはくすっと笑って続けた。
「てことで草鹿、おれたちにはもうあまり時間がないんだ。なにもかも、今年のうちに手を打つ必要がある。こんなところで、いつまでも油売ってるわけにはいかない。来年になるとアメリカは、驚異の工業力で日本を圧倒してくる……かもしれないからな」
「そう……なんですね」
「おれたちはこれまで、真珠湾を三次攻撃までやり、空母三隻をやり、レーダーを奪って日本に持ち帰った。海軍技術研究所では伊藤大佐に現在次世代型のレーダーとVT信管、そして原子爆弾の機械技術の開発を進めてもらっている。敵にバレてる暗号も変えさせた。そして、このオーストラリアに来て、井上司令官の指揮のもと、カビエンとラバウルを前線基地として奪取、戦線の不拡大にむけて手も打った」
「はいっ!それはもう、すごい戦果です!」
草鹿がちょっぴり誇らしげに胸をはった。
律儀に、両手は膝の上だ。
「まあ、落ちつけ」
おれは酒をついでやった。
草鹿は恐縮してそれを受ける。
「ここまではこれでいい。だけどな、この二月から三月にかけて、この戦争では重要な事件がいくつもおこるはずで、それをおれたちは、ほとんど同時に解決していかなければならないんだよ」
「で、次にやらなければいけないことの一つが……これなんですね?」
草鹿が目の前の地図に目をやる。
そこには縦に延びた、アメリカと南米大陸があった。
おれは潜水艦に模した青いコマを、アメリカ大陸と、南米大陸の間に移動させる。
「ほう。……パナマ運河か」
ひょいと顔を出したジョシーが、天ぷらのエビをくわえて言った。
おれは草鹿を見る。
「そうだ。で、狙いは……」
「く、空母……」
「ホーネットだ」
「……自分が」
「おまえが、やるんだ」
草鹿が、ごくんとツバを飲みこむ。
「どこにいるんですか? その、ホーネットは」
おれも料理に手をつける。
けっこう好き嫌いはあるほうだが、ここには生野菜もしいたけもきゅうりもにんじんもなかった。
「空母ホーネットは現在アメリカ東海岸のノーフォークで整備中だが、もうすぐパナマ運河を通って、太平洋に出てくるはずなんだ。だから、ペルー沖から伊号潜水艦隊で待ちかまえ、これを雷撃してもらいたい。ただし、彼らの修復能力は高いから、一本や二本の魚雷じゃだめだぞ。少なくとも、十本はぶちこまないとな。でも……」
「……」
「浮いてるものは、かならず沈む」
「空母がいつ出てくるのかはわかるんですか? 潜水艦隊が、ずっと待機はできませんよ」
「パナマ運河を通るなら、そこを見張っていればいいじゃないか」
と、ジョシー。
こんどはレンコンをくんくんしている。
お前は犬かよ。
草鹿の目を見る。
「ジョシーの言うとおりだ。パナマ運河を監視する諜報員が必要になる」
「……ハワイと同じだ」
「草鹿も知っての通り、真珠湾攻撃じゃハワイの諜報員がずいぶん役にたってくれたろ? というのも、ハワイには日系人が十万人以上も住んでいて、島内をうろうろしても、まったく目立たなかったからな。というより、日系人は全島民の三割にも達する最大人口だから、あらゆる場所で諜報が可能だった」
「ですよね」
「で、さすがにパナマ運河じゃ無理か、と思ったが、実はそうでもないんだよ」
「え? そうなんですか?!」
「ここを見てくれ」
おれは世界地図のある地点をぽんぽんと指さす。
「ここがパナマ運河のあるパナマ共和国だ。運河の管理はアメリカが独占しているが、見張るだけならこの国で問題ない。ここは去年親米政権にかわり、日独伊の国民は追放されたが、もともとアジア系先住民が一割もいて、日本人がうろついていても目立たず、空母の通過を見張らせるにはもってこいなんだ」
「へー!」
「諜報員の侵入は、ペルー、エクアドル、コロンビアを経てパナマにいたる約千キロのルートだ。陸路も整備され、警戒もいたって少ない。国境はあってなきがごとしだ」
「千キロ……時間がかかりそうですが、大丈夫なんですか?」
「エクアドルと日本は1918年、つまり大正七年に国交が開かれ、ちゃんと大使館もあるんだぞ。それに対日感情もいい。昔、野口英世って先生がいてな……」
「あ、その話、知ってます」
草鹿がうれしそうな声で答えた。
「なるほど……もぐもぐ……エクアドルからは……もぐもぐ……車か」
旨そうに天ぷらを頬張るジョシー。
「そういうことだ。ペルーの海岸線で三人の諜報員を降ろし、そこから潜水艦はパナマ運河の沖合で身を潜める。諜報員はエクアドルから車でコロンビアを通って、それぞれ別のルートでパナマに入り、諜報活動を開始、空母の監視につとめるってわけだ」
「連絡は……もぐもぐ……無線か」
「……草鹿」
「はい」
「大変だとは思うけどさ、戦果は絶大で、成功率も高いはず。行ってくれるかい?」
「自分が……空母を……」
今の今まで、まさか、自分が指名されるとは思ってなかったのだろう。
潜水艦も慣れていないし、彼のとまどいはよくわかる。
でも、おれ自身が行くわけにもいかない。
なぜなら、おれにはまだやることがたくさんあったのだ。
おれは辛抱強く待った。
やがて、ゆっくり目を閉じた草鹿が、しばらしてかっと見開いた。
「やります!」
……うん、さすがだよ。
おれは膝を叩いた。
「よし!たのんだぞ」
「はっ!」
おれはまた、酒をついでやる。
「あ、それはそうとな、草鹿」
「はい、なんでしょう?」
「今日はもうひとり、別のおれの密命を説明するために、ここに呼んでる人間がいるんだ」
「へえ、まだ他に、密命があるんですね」
「これまた、やっかいな作戦なんだけどな……」
おれは箸を持ち、柔らかい煮物を口に運ぶ。
「お、これ旨いな」
「なんだ、ジョシー、よく食うな」
「頭を使うと腹が減る」
「なんだよ。おれたちが使ってないみたいじゃないか」
おれと草鹿は顔を見合わせて笑う。
「……失礼します。お連れさまがおつきになりました」
「お、噂をすれば影ってか」
おれは障子のむこうから声をかけてきた中居にこたえる。
「入れてやってくれ」
すっと襖が開いた。
「……失礼します」
「あ、あなたは?!」
草鹿が驚いて声をあげた。




